@jai_an: 「原稿用紙30枚ぐらいの思考力がないと、正しい「イ」や「4番」を選択することはできないんだっていうような問題をつくることができるのが教員じゃないですか。」
したがって○×試験だとか、あるいは選択回答試験だとか、それらのタイプの最後のきわみであるマークシート試験っていうのは、まさにメリトクラシーにふさわしい選抜試験なわけですね。
2011-09-06 03:06:50なぜかわかりますか。○×試験やマークシート試験の対極にあるのは記述試験と面接試験ですよね。記述とか面接なんてやっちゃったら、貧乏人はすぐにばれる。よく履歴書だとか選抜で手書きのレポートを持ってこいっていう学校だったり会社があったりするけど、手書きを見ればだいたい階層がわかる...
2011-09-06 03:07:42ワープロっていうのは、まさにそれを自由にしたわけですね。文体まで読みぬける人間なんてこの世の中にそれほどたくさんいませんから、筆致がわかれば内容以外のこともわかる。それもあってワープロで文字(筆致)がOUTPUTできれば、階層も性格も隠せる。コピペも自由だし。
2011-09-06 03:08:38だから左翼教育派は(笑)、○×で非人間的な試験をやっちゃいけないってバカなことをすぐ言うわけだけど、そんなことを左翼なら言ってはいけないのです。左翼の理想とする“自由・平等”は、○×試験でないとダメなんですよ。
2011-09-06 03:09:44つまり貧乏人であっても、○か×か書けばいいだけ。お父さんやお母さんが字の汚い人であっても、○か×か書けばいいだけ。○か×の字体までも見ている先生はいないから。
2011-09-06 03:10:45また、こういうことを言うと、左翼教育派(笑)はですね、「点数で人間性がわかるか」って言うけど、点数で人間性をわかるようにするのが試験というものだから。
2011-09-06 03:12:05点数で測れないなら、誰が何の計器でもって測るのよ。こいつの人間性はえらいとか。あるいは思考能力も含めて深い思考は点数や選択式では選べない? そんなことあるわけない。たしかにくだらない試験も多いけれども、もともと試験の点数は、一つの「質」を表現するように作るもの。
2011-09-06 03:12:43イにウするか、1番を選ぶ、4番を選ぶかっていうのは、原稿用紙30枚ぐらいの思考力がないと、正しい「イ」や「4番」を選択することはできないんだっていうような問題をつくることができるのが教員じゃないですか。
2011-09-06 03:13:11教員と言うのは、教える前に問うことのできる人なのだから、点数で人が評価できないというのは教員が言うことではない。数学ができるとか英語ができるとかを点数以外で評価できるとすれば、点数評価よりももっと難しい、高度な専門性が要求される。
2011-09-06 03:13:30点数で人間など評価できないという教員の本心はまた別の所にもあります。点数の上下の格差は生徒や学生の格差であるばかりではなく、教員の専門性や教育力の格差そのものでもある。だから点数のような客観的な差が出るものは、教員にとっても面倒なものな訳です(笑)。
2011-09-06 03:14:11だから点数を嫌うのは生徒・学生ばかりではなく、先生も嫌い。いずれも被評価が嫌いなのです。しかし、点数そのものの意義は、反階層的なメリトクラシーの意義そのものに関わっています。点数試験は教員の「権力」をも相対化する自由の指標そのものなのです。
2011-09-06 03:15:37「関心・意欲・態度」を点数以外に付け加えた92年の新学習指導要領は、結局、教員の裁量権を拡大しただけ、まさに評価が(点数ではなく)「人間的な」分、教員「権力」を拡大することに繋がったわけです。児童生徒の学力のみならず、教員の教育力も相対的に低下した。
2011-09-06 03:18:52というような話も、九州講演でお話しします。続きはこちらで(笑)→ http://ow.ly/6lT79 今夜はここまで。※なおこの私の2月講演の内容は、年内に本となって出版されます。乞うご期待。
2011-09-06 03:20:27