TL上で交されていた〈ゲーデル・的・脱構築〉をめぐる議論(要約:
http://togetter.com/li/18432)において、一部「
@t_hayashi氏は怒っている」という解釈がみられました。
ところが、まとめを読んだ
@trickenは、そこに「怒り」があったとは思えず、むしろ「アカデミシャンによる簡潔なtweetが、“怒っている”と見なされてしまったり、主張内容よりその態度に注目される」という事態が気になっていました。
今回は、ポール・グレアムの〈反論ヒエラルキー〉というアイディアを用いて、なぜアカデミックな批判が、「何か感情的なものを含んでいる」とか「言葉狩り」であると誤解され、不信感を感じさせてしまうのか、その謎について書いていました。いわゆる「『ゲーデル・的・脱構築』問題」からスピンナウトした僕の個人的関心だけを抽出してみました。
by tricken
コメント