『マルドゥック・スクランブル 燃焼』劇場版メモ。
あ、でも、昨日『マルドゥック・スクランブル 燃焼』劇場版は観に行った。……ただ、「圧縮」と今回の冒頭や楽園でのバトルシーン等は良かったし、ウフコックの画と動きは実に好き。ただ、カジノでの演出が酷かった。とにかくダメだった。
2011-09-13 11:06:22「緊張」が表現できないギャンブル描写ってなんなの。時間も引き伸ばしたり加速させたりを全く有効に使わないし、場の流れの中で観客が注目すべき場所や一瞬を誘導するのでなく、寸断して順番つけて提示は酷い。
2011-09-13 11:06:38あれだと、観客の緊張を誘えない。たとえば、ポーカーのイカサマは何度か出るけど、一回目の時点で全ての観客が見逃さないというか……わざわざトロく見せつけるとか勿体ない。
2011-09-13 11:06:56バロットにとっても驚きのウフコックによる一瞬の動きだったように、観客にも驚きであって欲しい。そして、驚きの後は「次には……」という意識と備えがバロットと観客に共有されないと。
2011-09-13 11:07:08そもそも観客の視点が、むしろウフコックと同調させられてしまってる。当然の把握、当然の勝利。つまらなすぎる。場に呑まれる、中で迂闊な欲が出る、教えられる、把握していく、ケリをつける……そういうプロセスがおよそ出来てない。つまり、バロットの内面の描写としておよそ機能してない。
2011-09-13 11:08:16ポーカーで流れを作れてないから、ベル・ウィングが現れてのルーレット場面も盛り上がりようがない。それまで固い殻の中で外界を遮断して自らを守っていたバロットが、ゲームの興奮と熱の覚めやらぬ中……
2011-09-13 11:08:38外に向かって好奇心と尊敬と学びの欲を晒してぶつけて運命の流れのままにただ回り流されるのでなく、その「左回り」を「右回り」に変えてみせるという視点と意思を知る。興奮も熱も足りなければ、そういうプロセスとして描きようがない。
2011-09-13 11:08:43あと、全体としてバロットが普通に眼でみて耳で聴き周囲を把握しているように見えてしまった。バロットは全身の人工皮膚(『燃焼』時点では皮膚だけ)と電子干渉能力で周囲を捉える存在の筈。
2011-09-13 11:09:04呼吸や鼓動、興奮や失望などの感情も視覚や聴覚の情報を分析して理解するのでなく、そうして感覚する。それを活かした描写に全くなっていなかった。これ、一体何の作品の映像化だったの?
2011-09-13 11:09:20なんというかな。手品師が技巧を尽くした(その末に実に自然にみえる)マジシャンズ・チョイスでなく「はい、右から二番目のカードを取ってくださいね!おねがいしまーす」とかやってしまったら、それはもはやマジックでもなんでもないと思うんだ。
2011-09-13 11:16:47『マルドゥック・スクランブル 燃焼』劇場版で「いいなぁ」と思えたところと、「岸田隆宏AMV 高画質版」http://t.co/SRIXeNX を(脳内で)なんとなく照らし合わせてみたりしている。
2011-09-13 11:36:48