本格ミステリ談義(冬の時代は実りの時代?)
感動したのは鮎川さんの講談社文庫『十角館』解説 「本格物を書ける作家はこの三人でおしまいになるものと考えていた。(略)島田荘司氏の登場を皮切りに綾辻氏の処女作が紹介され、陸続として後継者があらわれて来たのである。(略)わたしは欣喜雀躍した。これは夢なのかそれともうつつなのか」
2011-09-25 00:41:36この解説で表明された鮎川先生の「怒り」が何に向けられているかは、今はわからないでしょうね。某同人誌(SRや畸人郷ではありません)に拠って新本格の新人たちを「死ね」「消えろ」と罵っていた人たちです。RT @junk_land: 感動したのは鮎川さんの講談社文庫『十角館』解説
2011-09-25 01:50:37今だから言ってもいいかな……。そうした人たちの一人が編纂した日本ミステリ通史的なアンソロジーに鮎川先生は作品提供を拒否しました。また立風書房で手がけられたアンソロジー「ミステリーの愉しみ」に先生はご不満でした。別の一人が「××の楽しみ」というアンソロジーの編者をしていたからです。
2011-09-25 01:55:15@ashibetaku そのあたりの事情はまったく存じませんでした。何がそこまで酷い罵倒を吐かせるのか……。いろいろと情けなく、また辛く感じます。
2011-09-25 02:13:37@junk_land MAQさんならあの時代の雰囲気はご存じと思うんですけど、新本格の作家と作品は「安心して馬鹿にできるもの。罵倒してかまわないもの」だったんですよねぇ。だから馬鹿にし、罵倒した。ゲスの一語です。
2011-09-25 02:17:13@ashibetaku そういう空気は確かに色濃くありましたね。ただ、当方は同人誌の類に参加せず、終始イチ読者としてウカウカ過ごしたため、そうした動きを深刻なものとして感じ取れていませんでした。だから腹立たしいより先に、なぜこの人たちはこんなに?と不審な思いの方が強かったです。
2011-09-25 02:35:59@1106eviz 十角館の解説は色々ツッコみたいところがありますね。特に(島荘登場以前は)本格を書ける人間が鮎川、高木、土屋の三人しかいなかったというのは幾らなんでもちょっと……。
2011-09-25 23:25:30@1106eviz まあ初めて十角館を読んだ時は何も知らなくて「そうなのか」と解説を真に受けていましたが(苦笑)。そういう意味では「本格ミステリ・フラッシュバック」はそれを否定するいいガイドブックだと思います。
2011-09-25 23:32:59@mysteryeq 時々、新本格がとてもひどい評価を受けていたという話を聞きますが、なぜそんな風潮があったのかがいまだに理解できません。ものすごくその時代のミステリがつまらなくて未熟だった、というならともかく、今読んでも感心できる名作だっていっぱいあるのに…と!
2011-09-25 23:36:37@fruc1346 一言でいえば、嫉妬ですよ。そして嫉妬する側には「自分たちの方が正しい」という根拠不明の大義名分があったのです。
2011-09-25 23:40:05@fruc1346 それはミステリ特化の作風が鼻に突いたのだと個人的には思っています。実際ミステリとしてはいいけれど小説としては難アリな作品も多かったですしね。まあ論外な意見はさておき、一部の言い分は分からなくはないです。
2011-09-25 23:42:07てか、個人的に『本格ミステリフラッシュバック』がフォローしている時期こそ(ちょっと長いけど)和製本格の黄金時代だと思うんだよね。質は勿論、多様性(←これ重要)という意味でも。
2011-09-25 23:45:47同意ですね。実際、名作がいっぱいあって驚きました。 RT @WasuiMatui2014: てか、個人的に『本格ミステリフラッシュバック』がフォローしている時期こそ(ちょっと長いけど)和製本格の黄金時代だと思うんだよね。質は勿論、多様性(←これ重要)という意味でも。
2011-09-25 23:48:47@mysteryEQ 手元に講談社文庫版『十角館』がないので不正確かもしれませんが、鮎川先生が高木・土屋両氏の名を挙げるときには「戦友」意識が強くて、昭和20年代に本格を書いていた中で残ったのは自分たち――とのニュアンスがあります。同時代の他作家を無視していたわけではないし(続)
2011-09-25 23:51:15@mysteryEQ でなければアンソロジーに採らないでしょう。『本格ミステリ・フラッシュバック』は厳としてあった冬の時代に、いかに本格が擬態し適応し生き延びたかの苦闘の記録として読むことができます。『本格ミステリーを語ろう!』国内編が企画されたとき考えていたのがその視点でした。
2011-09-25 23:54:24などと「本格冬の時代」非存在論についてうかうかと反駁しかけたが、何やら空しくなってきました。過去を振り返るとき忘れられがちなのが「その時代の支配的な最大多数は何だったか」。このあたりを知るのに参照しやすいのは、栗本薫が幻影城で短期間だけやっていた「ミステリ遊歩道」ぐらいか。
2011-09-25 23:59:12