子を連れて西へ西へと逃げて行く… 俵万智さんの歌と母の愛に感動
俵万智さんの歌と311直前の3/10迄のツイートを連続リツイートしました。涙が出ました。もうあの頃には戻れないという思いと母の愛と、おじさんのゆで卵に。
2011-09-27 04:21:40読み聞かせ仲間のママ友とランチ。晩翠通りに面したおしゃれなカフェ。前菜のホヤの酢漬けが美味だった。ふと干支の話になって「寅年? わたしも〜」と言った瞬間に、「ん?」と微妙な沈黙が…。ひとまわり下でも違和感なく友人になれる、素晴らしきママ友の世界、です。
2011-03-10 15:18:44寿司屋に行く夢を見た。なぜか一生懸命、回文を作っていた。夢から覚めても、ちゃんと回文になっていたので、記念につぶやきます。「イカ、食べたかい?」
2011-03-11 08:10:43皆さんご心配有難うございます。発生時は都内の新聞社にいました。数分後「仙台震度7!号外!」の声を聞き、携帯を持つ手がぶるぶる震えました。実家では皿が九割割れましたが家族は幸いにも無事でした。被災されている方々に早く日常が戻りますように。仙台に帰る手立てがなく、
2011-03-12 10:08:19仙台に帰れず、悶々としている。リツイートされてくる様々な情報が、ありがたく、熱い。私は何もできないけれど、歌よみだから歌を詠みます。「リツイート我もするなりツイッターは言葉のバケツリレーと思う」
2011-03-12 14:58:31@yu_miri_0622 息子を被爆させるわけにはいかない、という思いで胸がつぶれそうです。状況によっては、「西」も考えます。サイン本、とりあえず東京の事務所に預けておきますね。
2011-03-15 10:13:31友人が激しくしつこくJALのサイトにアクセスしてくれたおかげで、なんとか今日の便が、とれました(携帯からは無理でした)。ご心配くださった皆さん、ありがとうございます。無事たどり着いたら、またツイートします。
2011-03-15 12:14:39昨晩無事仙台につきましたが、電波状態悪く、ツイートできませんでした。余震かなり大きく、放射能も心配です。息子を連れて、再び山形から西を目指すことにします。逃げ出すみたいで心苦しいですが、息子を守れるのは自分しかいない、とも思う。この子はまだ、恋もしていない。
2011-03-16 09:31:12「何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない 河野裕子」永田和宏は、妻河野裕子の癌を覚悟しつつ、平静を装って歩み寄った。その時の一首。下の句、生まれながらの歌人にしかできない表現だ。新潮社「波」新連載「河野裕子と私」(永田和宏)から目が離せない。
2011-06-14 16:39:57「西を目指す」と書いただけで、いろいろ言う人もいて、結構へこむ。細かいことは子どものためにも書かないけど、なんとか落ち着きました。途中、腹を空かした息子に、知らないおじさんがゆで玉子をくれた。その味を、彼は一生覚えていると思う。
2011-03-17 10:56:03何度もRT@tawara_machi いま出ている「歌壇」九月号(本阿弥書店)に巻頭作品二十首「ゆでたまご」が掲載されています。震災で避難したころの心境を、初めて短歌にしました。「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」
2011-09-27 04:11:48いま出ている「歌壇」九月号(本阿弥書店)に巻頭作品二十首「ゆでたまご」が掲載されています。震災で避難したころの心境を、初めて短歌にしました。「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」
2011-08-16 11:54:52ほのぼの^^RT@tawara_machi 昨晩、筆箱の鉛筆を念入りに削って、得意げに見せてくれた息子。いま見たら、全部机の上にのっている。彼は何をしに学校へ行ったのだろう→帰宅して、照れ笑い。「二時間目に気づいたよ~」。一時間目は何をしていた?
2011-09-27 04:09:46孟母にはあらねど我は二遷して西の果てなるこの島に住む 俵万智「島に来て」「短歌研究」10月号 子供を連れ、島に来てひと月。詠う。今を。歌人であるがゆえに。俵万智!
2011-09-22 00:46:31