2011.09.26 現代芸術論(同志社大学 2011後期)吉岡洋先生 Twitter講義 #dougen
同志社大学「現代芸術論」受講者の皆さん。初日が休講になって申し訳ない。いま出張中で新橋のホテルにいますが、昨年同様、Twitterでこの講義をスタートしたいと思います。5時ちょうどから始めます。ハッシュタグ #dougen を利用してどんどん発言してください。
2011-09-26 16:53:57今年度も後期、同志社大学で「現代芸術論」を担当します。今日はその第1回ですが、奇しくも去年同様、出張中で行けなくなってしまいました。去年のことをおぼえている人たちが、またTwitterで講義してくださいと言うのでやってみます。もちろん受講生以外の人も参加OKです。#dougen
2011-09-26 17:02:10「現代芸術論」というのだから、論ずるに足る「現代芸術」なる客観的な対象があるかのように思えます。しかし、それはいったい何なのでしょうか? #dougen
2011-09-26 17:05:08「芸術」が人間の基本的な活動のひとつなのだとすれば、現代において行われている芸術活動はすべて「現代芸術」なのだろうか? これについて誰か意見はありますか? (板書大変だから口頭でいいよ > mci_y )#dougen
2011-09-26 17:08:46たとえば、お父さんが趣味で撮っている写真や、隣のおばさんが習っている仏画や、銀行の待合室に展示してある児童画は「現代芸術」なのでしょうか? #dougen
2011-09-26 17:11:15「現代」の美術なのか、「現代美術」なのか、という問題ですね、たぬきのせんせのいわはるのは全部前者やと思います。 RT @hirunenotanuki たとえば、お父さんが趣味で撮っている写真や、隣のおばさんが習っている仏画や、銀行の待合室に展示してある児童画 #dougen
2011-09-26 17:16:13なるほど。「現代芸術」と「現代の芸術」を分ける手がかりのひとつは、それが過去の伝統にそのまま従うのではないこと、ある種の新奇性、さらに言えば「過去との断絶」という意識にあるという意見が出た。#dougen
2011-09-26 17:16:40@hirunenotanuki 「現代芸術」というのは過去の芸術を学んだ上で、現代に新しく創られた様式の芸術という意味を内包するのであって、そういうのは「芸術」ではあれど「現代芸術」とはならないと思います。 #dougen
2011-09-26 17:17:01それを誰かが「これは現代芸術やー!」と言い始めたら、そうなると思います。今までの現代芸術を見てると 私達が「芸術」と認識してなかったものも 言ったもの勝ちでなってる気がします。例えば、 何もない真っ白なキャンパスの端っこにちょろちょろっと落書きしたものとかでも #dougen
2011-09-26 17:17:04@hirunenotanuki 芸術家と名乗る人たちが目的をもって作り出した作品は芸術といえそうですが、個人の趣味レベルでは本人に芸術家の自覚は無く、現代芸術とまでは言えない気がします。 #dougen
2011-09-26 17:18:35なにをもって「現代芸術」あるいは「芸術家」であるかという問題は、その定義をもって決まるのではなく、正しく「論」になる=論じられる、ということをもってその価値が生み出され、それをもって初めて現代芸術や芸術家そのものが生み出されるとも考えられる。 #dougen
2011-09-26 17:34:02つまり、現代芸術や芸術家があろうとなかろうと大した問題ではなく、むしろ、なんらかの現象や出来事、あるいは作品が、生み出されると同時に語られるということが重要なのではないか。 #dougen
2011-09-26 17:34:32「これこそが新しい芸術!」と宣言した者勝ちという意見、たんなる趣味ではなくはっきり「芸術」という意識や目的をもって作られたものが現代芸術という意見も出た。#dougen
2011-09-26 17:19:43@hirunenotanuki 安心できるものであるからこそ決別したいのでは?安心な場所に留まりたくないという反骨心が、現代芸術の根底にあるかと。 #dougen
2011-09-26 17:22:56@hirunenotanuki 芸術が「新しい視点」を提供するものだからではないでしょうか。新しい価値を生み出すためには過去を分析して、克服しなければいけない。科学論文みたいなもんだと思います。 #dougen
2011-09-26 17:23:57また、「宣言」することで少数でも同調者が出てきてヒーローになれればいいけど、全員に無視されたらどうするのか? それでもその人は「芸術家」と言えるでしょうか?#dougen
2011-09-26 17:22:39@hirunenotanuki 全員に無視される・・・。時代にそぐわないものでも、後世で認められる場合がありますよね。前衛芸術家とは、やはり同調者、価値を認めてくれる存在が必要かもしれません。 #dougen
2011-09-26 17:25:56@hirunenotanuki 人間は絶えず伝統とは違う新しいものを求めるからだと考えます。また、誰にも理解されなくてもそれは芸術家となりうると思います。 #dougen
2011-09-26 17:26:14@hirunenotanuki それは「芸術家」にはならない気がします。全員に無視されてしまった作家や作品は、歴史に残りません。今僕たちが「芸術家」と読んでいる人達は、そうやって生き残った「宣言することで同調者が出たヒーロー」のことをさすのではないかと思います。#dougen
2011-09-26 17:26:23受講生より 現代芸術と評価される場と人が必要です。なので、具体的にはビエンナーレや個展などの媒体です。なので、銀行の絵などは(そこに飾られている時点では)入りません。はっきりとした時代区分はないが、主には近代芸術以降の作品をさすと考えられます。#dougen
2011-09-26 17:35:37そもそも、なぜ「新しさ」に価値があるの? 科学上の発明や発見は生活に利便(脅威)をもたらすかもしれないけど、芸術上の「新しさ」は直接生活の役には立たない。そんなものになぜ(少数とはいえ)同調者が出てくるのでしょう?#dougen
2011-09-26 17:26:33