Fav
お気に入りに登録ならここをクリック!
  • CR2A
    高斎正『レーシングカー・技術の実験室』を読もうとして第一章を読んだら止まっていました。世界最初のリアエンジン車とは? その定説とされるのがエドモント・ルンプラーによる"トロプフェンアウト"だというのですが、このルンプラーなる人物にピンと来てスーパーCGを引っ張り出したのです。
  • CR2A
    軍クラ特にWW1に詳しい方なら聞き覚えのある名前ではないでしょうか? あのタウベ偵察機を勝手に生産した事で知られる人物です。ボヘミア生まれのこの工学士はネッセルドルファー社とダイムラー社、アドラー社で20世紀初頭に車を設計し、スイングアクスル機構のパテントを取ったとあります。
  • Content from Twitter
  • ※タウベはそれほど有名ではなかったかもしれなかった
  • CR2A
    このネッセルドルファーという会社なのですが、タトラで有名なハンス・レドヴィンカが人生の半分近く、重要な地位でもって在籍した会社「ネッセルドルフ自動車製作所(NW)」でもあるのです。ネッセルドルファーはタトラの前身でした。1920年までNW車は生産され、タトラが生まれたのです。
  • CR2A
    1850年にチェコスロバキア東部はコプシフニツェで馬車組立業を始めたショタスラ馬車工場――ネッセルドルファーは、鉄道車両製造を経て1890年オーストリアクローネの株式会社に改組されました。1897年に、チェコスロバキアにおける最初の自動車が造られます。
  • CR2A
    名を「プレジデント」とするこの車はベンツから購入した車両とエンジンに強く影響を受けたもので、リアエンジンの搭載位置も同じです。これの製作に関ったとされるのがロムアルト・ブローナー、ルードルフ・ストルハーチェクなど工学士達ですが、その中にエドモント・ルンプラーも加わっていました。
  • CR2A
    ハンス・レドヴィンカは1906年に3.3L30馬力の4気筒S型を設計、これはV型バルブ配置のクロスフローヘッドを持つOHCユニットで、半球形燃焼室を持つ先進的な物でした。そして23年に、頑丈で悪路に強い鋼管バックボーンに空冷水平対向2気筒を積む傑作車、タトラ11を送り出します。
  • CR2A
    これは通常のバックボーンフレームと違い一体化させたエンジン/変速機の後端から前にフレームが伸びない、エンジン自体を構造材とする独創的な物で、これによる680キロという軽量さと後輪独立懸架としたスイングアクスルは良好な安定性/路面追従性を発揮、25年の 長距離耐久競技で優勝します。
  • CR2A
    この長距離耐久競技がどの位長距離か。レニングラード~モスクワ~ヴラディカフカズ~ティフリス~モスクワを結ぶ5300キロで、4割が道路、後は全て原野と大草原というものです。出場したメーカーの数は78。エンジンを強化した後、このタトラはタルガ・フローリオでもクラス優勝を得ました。
  • CR2A
    11は過去のどのタトラ車とも違い、簡潔な構造で経済的、運転も整備も易しい後 の自動車史で生き続ける思想を持って生まれました(ただし整備性に関して言えば、このフレーム構造は必ずしも良好ではありません)。4輪ブレーキを装備した12も含め、30年までに11000台が生産されました。
  • CR2A
    ただレドヴィンカの設計はリアエンジンで知られていますが、最初のプロトタイプV570が1930年に作られるまでは一貫してフロントエンジン車でした。11/12から続いてヒットした57の開発にリソースが裂かれた為です。34年に、コプシフニツェから伝説的なタトラ77が登場しました。
  • CR2A
    スパッツを履いたリアタイヤハウス、プロトタイプではフラッシュサーフェスにまでされたヘッドライト、ボディ下面の整流にまで気の配られた空力処理は徹底され、2973cc60馬力のエンジンで150キロに届こうかという最高速度を記録していました。http://t.co/0GQx3Gxe
  • CR2A
    この数値がどれだけ突出したものかは参考までに29年型デューゼンバーグは7.0L265馬力で190キロ、30-37年型キャディラックV16エンジン搭載車、7.4L165馬力、平均145km/hという資料を。77のエンジンは軽合金/マグネシウム合金を多用した3.0LのV8でした。
  • CR2A
    奇しくもアメリカ初の流線型車デソート・エアフローと同じ年に登場した77でしたがその結果はしかし、エアフローの様に悲劇的ではありませんでした。改良型の77Aも含め総生産255台、77は充分に成功したのです。
  • CR2A
    空冷故の騒音はユニットを後端にオーバーハングさせることで、その上高価なプロペラシャフトが要らず、ロングホイールベースの居住性の良さも実現しました。燃費も良かったようです。77もまた、バックボーンフレームにスイングアクスルの構造でした。
  • CR2A
    ところでこの先進的な流線型モデルの発想はレドヴィンカではなく、社内の工学士E.ウェーベルアッカーの発案を彼が気に入り始めさせたのでした。またヤーライ型と呼ばる事もある77の流線型ですが、正確にはタトラ社内デザインを当時その流線型の考案で注目されていたヤーライが助言をした様です。
  • CR2A
    因みに「プレジデント」製作時にもレドヴィンカはネッセルドルフ ァーで働いていましたが、まだ単なる組立工程度に過ぎず、大きく関ったという訳ではありませんでした。
  • CR2A
    話をルンプラーに戻すと彼はタウベ製造会社を興した後21年に「ルンプラー自動車株式会社」を設立、同年 リアエンジンのトロプフェンアウトを発表。日本的にはミドシップで、W6型という大変珍しいエンジンを積み、ルンプラーの特許であるスイングアクスルの高級車でした。
  • CR2A
    飛行機製造の経験を活かした流線型ボディはCd値0.28らしく驚異的ですが、2年遅れた2人目の流線型先駆者ヤーライとのパテント係争、7500ポンドという高額さ故に商業的には失敗。ルンプラーがこの車においてリアエンジンを選んだのは、騒音等を乗員から遠ざける為であった様です。
  • CR2A
    エンジンとギアボックスの一体化、リアエンジンとスイングアクスル、そして性能向上の為の流線型。トロプフェンアウトとタトラ77にはかなりの共通点が在ります。更にはルンプラーとレドヴィンカはオーストリア生まれという点でも同じなのです。
  • CR2A
    レドヴィンカはルンプラー車を知っていたのかもしれません。元は同じ会社に居た工学士による物で、まさに革新的な車だったはずです。そうでなくとも、同時代の自動車設計家同士似た様な思考を辿ったのかもしれません。あるいはレドヴィンカとポルシェの様に交友が? ここまで来る と唯の邪推です。
  • CR2A
    いずれにせよ19世紀の始まる前後の中央ヨーロッパからは何人か目立って才能ある自動車人が生まれていたことは間違いないでしょう。エドモント・ルンプラー、ハンス・レドヴィンカ、そしてフェルディナント・ポルシェです。どこかでつながっているのかもしれませんね。
  • CR2A
    結果的には別に珍しくもない話をしていたかもしれない……うーむ
  • Content from Twitter
  • 後から

コメント

まとめを作成する