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  • nonomurax
    きのう、「現代思想」ディラン特集をやっと買って、ざっと読む。
  • nonomurax
    最初に表紙デザインがいいなあ、と思った。今までの思想系・難解系の雑誌にはまず無さそうなPOPな色使い。しかもデザインのセオリーであるはずの統合感を部分的に無視して、分裂した感じをうまく作っている。ディランっぽいと感じた。誰かと思えば、松本弦人!
  • nonomurax
    内容は、岡崎さんが、ディランを意識していなかった事は無いはずのアメリカの現代美術〜抽象表現主義からミニマリズム、ポストミニマルまで〜作家とディランの整合性について語っている。いちいち裏を取った取材や論文ではなく、類推であり、推論だが、岡崎さんらしい整合性があって、さすが。
  • nonomurax
    そもそも、文化論や社会=文化論として考えれば、60〜70年代のアメリカ社会で、ディランと現代美術のあいだになんらかの親近性がまったく無かったとは考えにくい。しかし、おそらくはディランとアメリカ現代美術をつなぐ論考は、まず、無い。
  • nonomurax
    しかし、と同時に、これと近い、それこそ親近性がある内容の授業を4〜5年ぐらい前に、学校で僕はやっていた。学生にどこまで伝わったか、は、別として。(もちろん、今言ったニュアンスには伝える側の器量もふくまれている。)
  • hkohno_abbr
    お、 @i_kenさんからも勧められたのですが、やはり読まねば、かな。QT @nonomurax きのう、「現代思想」ディラン特集をやっと買って、ざっと読む。
  • nonomurax
    この特集、たぶん、ふだんの「現代思想」読者層を越えて売れるだろうけれど、編集長の池上さんに、ディランに対する思い入れがあったのだろうと類推する。いい意味で、雑誌「現代思想」の枠を、それこそディラン的に壊している号である。
  • nonomurax
    もっとも4〜5年前にやった授業は、現代美術というよりも、ハリウッド映画とウディ・ガスリーについて大衆文化を読み解く、というものだった。
  • nonomurax
    「現代思想」ディラン特集の各論考のなかでもたびたび触れられているが、ディランとウディ・ガスリーについてだけで1本論考があってもよかっただろう。
  • nonomurax
    ディランとウディ・ガスリー? そんなの当たり前じゃん! と、(とくに僕より年配の人は)思ったかもしれない。
  • nonomurax
    ウディ・ガスリーの、オクラになっていた曲を、遺された譜面から起こした『Mermaid Avenue』という論考集、じゃなかった、楽曲集が、ビリー・ブラックとウィルコによって1998年に作られており、これが好評で、vol.2まで制作発売された。日本ではあまり話題とならなかったが。
  • nonomurax
    その『Mermaid Avenue』第一集のブックレットに、ディランがコメントを寄せている。それを読めば、なぜ、今、ディランとガスリーを改めて論じることが可能性があるのか、がわかるはず。
  • nonomurax
    それと、たしか2005〜6年前後だったか、蓮實重彦が、ジョン・フォード論を「新潮」だったか「文学界」だったかに書き始めて頓挫させている。
  • nonomurax
    この、頓挫したジョン・フォード論もまた重要だと(私は)考えていて、当時のアカデミックな映画研究は、文化研究の影響が強くて(それじたいを責めるつもりはない)、ジョン・フォードは悪者の代表、というか論じられなくなってきていた。排除されていた、と言っていい。
  • nonomurax
    まず、西部劇に表象されるインディアン、はかっこうの批判の対象だろうし、〜そもそも40年代のハリウッド西部劇じたいが政治的批判の対象〜、ジョン・フォードとフォードを論じる論考の文体が持つマチズモ、も、また、ジェンダーの視点からはかっこうの批判の対象であった。
  • nonomurax
    しかしながら、フォードの映画に果たした功績は大きいし、作品を形式的に読み込む、という、形式批評の基本がなおざりにされてしまうのは、それはそれで不当だと言えるだろう。
  • nonomurax
    まだアメリカの大学に映画学科が無かった頃だから、映画造りはその世界の一族郎党が伝承する世界、フォード組の構成は建築=組織構成論として論じられてもいい。
  • nonomurax
    そしてなにより蓮實重彦は、不当に低く評価されていたり、さらには無視されている作家が、しかし批評の手によって再浮上再評価される、という事をなにより体験的に知っている。初期ヌーヴェル・ヴァーグ運動しかり。
  • nonomurax
    「許されざる者」はフォードとハリウッド西部劇の弁証法的批判によって成り立っているし、さらに言えば、イーストウッドを高く評価する者がジョン・フォードを評価しない、または端的に知らない、というのも形式的には、おかしい。
  • nonomurax
    平井玄さんは、ふだんはもちろん尊敬しているのだが「現代思想」ディラン特集の論考で、トッド・ヘインズを冒頭に持ってきていながら、トッド・ヘインズについてあまりご存知無かったらしい。そこが(今回は)惜しかった。
  • nonomurax
    つまり、『怒りの葡萄』(ジョン・フォード監督、1940)→ウディ・ガスリー→『Mermaid Avenue』ブラック+ウィルコ→ディランという流れで、ディランをいわばクイアー・スタディーズとして読み返すという事。だからトッド・ヘインズなのね、と、わかるはず。
  • ktk01
    @nonomurax 懐かしいですな!弦人氏。フォローしてるんですが
  • nonomurax
    おお! 追いかけてみます! @ktk01
  • nonomurax
    クイアー・スタディーズを、ディランを使ってホーボー(HOBO)的に読み返すという事。歴史的には逆だと思うが。それが「わが心の故郷」。
  • nonomurax
    そして、それが、岡崎さんの言っている「3人のロバート」、つまりラウシェンバーグ、フランク、ジンママン(=ディラン)なのである。
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