【東方神霊廟】物部布都についての雑考・考察ログまとめ

神霊廟5ボス、物部布都の設定、名前、スペカ、容姿などについて、元ネタを考察。思うところをひたすらつらつらと。 ※※元ログについては、togetter - 【東方神霊廟】雑考・考察ネタのログ http://togetter.com/li/188136 をご覧ください※※
2

※元ネタ・設定、名前について

『先代旧事本紀』(天孫本紀)には物部尾輿の子の列挙の中で、物部守屋の後に「妹物部連公布都姫夫人宇御井夫人亦云石上夫人此夫人倉梯宮御宇天皇御世立為ニ夫人-亦(上から「ム大水」の字。読みは「モウデ」)ニ朝政-奉レ斎ニ神宮」とある。

この記述に拠れば、「物部布都=御井夫人=石上夫人」…か。

『紀氏家牒』逸文では、物部守屋の妹「太媛」が蘇我蝦夷の母だと言っているようだ。 なお、『先代旧事本紀』では蝦夷の母は布都姫の女(娘)鎌足姫とされ、一代挟んでいる…と。

で、蘇我氏って稲目→馬子→蝦夷→入鹿だったっけ? 蘇我刀自古郎女は馬子の娘だったよな…。

ここで『日本書紀』の記述にある「蘇我馬子の妻になった物部守屋の妹」が布都姫と同一人物ならば、布都姫は蘇我氏に入り、系図としては馬子の娘である刀自古郎女に一応は繋がるのか…。

むう、『石上振神宮略抄』(神主布留宿禰系譜料)には太媛は馬子の妻になったという記述があるらしい。>Wikipedia - 物部守屋 http://t.co/6syxPczU

ということで>ついでに『神道大系 神社編 大神・石上』に『石上振神宮略抄』が掲載されているというので借りて目を通してみた。…確かに同書に『石上布留神宮略抄』が収められている。

同書の『石上布留神宮略抄 下』、「神主布瑠宿禰略系譜」「第三十六代皇極天皇ノ御世ニ、大臣蘇我蝦夷宿禰(俗云ニ武蔵大臣-)、母ハ太媛ト申、物部弓削大連ノ妹也、弓削大連ノ滅亡ノ後ニ、太媛斎主首ニ補、…(後略)」という記述発見。

うん、物部蝦夷の母が太媛ならば、つまり太媛は馬子の妻なわけで。馬子の娘には聖徳太子の妃の一人である刀自古郎女(とじこいつらめ)がいる。『石上振神宮略抄』の記述を採用するならば、綺麗に布都と屠自古と神子が繋がるなぁ。

※元ネタとキャラクター、または元ネタのの書物同士の整合性などについての雑感

ただし、今まで見てきたように『先代旧事本紀』では布都姫の娘鎌姫が云々という状態+それより前の代にも太媛という名前が見えるし、『紀氏家牒』では太媛は全然違うところに嫁いでいる…というわけで、一筋縄では行かないのだよなぁ。

公式ではこの辺りの血統や系譜については触れていないので、別にどれでも良いといえば良いのかもしれない。強いて言うなら、神子と布都は尸解仙になる前の時点で直接会話しているので、『先代旧事本紀』の代が異なる太媛が布都である可能性は低いかと…(どれくらい代を遡っているかにも依るけど)。

さて、問題(キーポイント)はキャラを決めるとき、何故このような選択をしたか…だと思う。それに当たって重要なのは今回のテーマが何か、だと思う。ラスボスを聖徳太子と据えるにしても、テーマ次第では他のボスを他のモチーフに変えることもできただろうから。

まず、復活や尸解仙のキャラが多いことから「ボーダーオブライフの再来」というのは大きなテーマだと思われる。生死の境を超える手段として道教を持ってくる。そしてそれに相応しい人物として道士の尸解を目の当たりにした説話を持つ聖徳太子を選んだ…考えられる、か。

ただし、聖徳太子と道教との繋がりは先の説話くらいであまりバリエーションがない。その理由を蘇我・物部の仏教(というよりは人間)と神の争いを使ってカモフラージュしたため、という設定にした…仮にここまでの連想が合っているのであれば、仏教と神道の宗教戦争は派手な方が良い。

そこで、蘇我と物部…しかもなるべく神仏の争いの渦中の人物を選ぶことに必然性が出てくる。そこで聖徳太子と共に物部守屋と戦った馬子の娘であ(り、聖徳太子の妃でもあ)る刀自古郎女と、物部守屋の妹でありながら蘇我軍に内通していたとされる物部布都姫に白羽の矢が立った…という感じだろうか?

つまり、系譜での密接度は副産物的なものであまり重要ではない要素ではないか、と私は考えています。

もちろん、関係が近いに越したことはないでしょうけれど。

つまり何が言いたいかと言うと、系譜の齟齬はあまり重大な問題ではないのではないか、ということ。それぞれのパターンを見せても、それらの間に整合性を持たせることは布都考察においてはさして大きな意味がないのではないかなぁ、と。

寧ろ、物部守屋の妹でありながら、蘇我に内通し、神子と一緒に尸解仙になろうとした、ということの方がキャラを見る上で大きなウェイトを持つのではないか、と。

ただ、そこまで策士であるにも関わらず、本編の勘違いっぷりがその要素を削り取ってしまっていて死んでいる気がしないでもないw

※名前と石上神宮との関連

そういえば、『先代旧事本紀』(天孫本紀)では布都姫は「奉レ斎ニ神宮」、石上神宮に斎いたという。石上神宮といえば、他ならない布都御魂大神を祀った神社。とすると布都という名前には必然性すら感じられるなぁ…。

これを5ボスに落とし込むと逆に奇妙な現象が起こる。「剣」要素が全く見られないという、ね。名前だけでも物部の神である布都御魂大神が連想されるというのに、資料を辿れば石上神宮に仕えたという記録があってより直接の関係性が見出せる。…けど、当の本人には見た目にもスペカにも剣の要素がない。

1 ・・ 4 次へ