高橋源一郎氏 @takagengen による「小説ラジオ」

小説家である高橋源一郎氏が深夜、連続tweetをお届けする企画です(過去ログはコメント欄に)。 今回のタイトルは 『分断線』 続きを読む
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まずは予告編から

高橋源一郎 @takagengen

本日の予告編① 今晩0時から、久しぶりに「午前0時の小説ラジオ」をやりますね。ご無沙汰していたので、知らないフォロワーの方も多そうなので、ひとこと。0時からの、テーマを一つ決めての、連投ツイートです。いつも、一時間弱かかりました。

2011-10-16 22:00:33
高橋源一郎 @takagengen

本日の予告編② 今晩だけではなく、しばらく、断続的に続ける予定です。今夜は「「あの日」から考えてきたこと」の①。「あの日」から、いろいろなことを考えてきました。そのうちのいくつかを、みなさんと考えてみたいと思っています。

2011-10-16 22:02:28
高橋源一郎 @takagengen

本日の予告編③ そして、今晩はその一回目で、「ぼくたちの間を分かつ分断線」というタイトルでやりたいと思っています。「あの日」から、ぼくたちは、たくさんの、目に見える、あるいは、目に見えない線で分けられてしまったような気がします。その線が何なのか、考えるつもりです。

2011-10-16 22:04:18
高橋源一郎 @takagengen

本日の予告編④ たとえば、「原発推進」派と「反・脱原発」派。でも、その分断線はわかりやすいかもしれない。「反・脱原発」派の中だって、それ以上に深い亀裂がある。そんなことを考えてみたいと思っています。では、後ほど、午前0時に。

2011-10-16 22:06:01

いよいよ本編スタートです

高橋源一郎 @takagengen

午前0時の小説ラジオ・「あの日」から考えてきたこと・①ぼくたちの間を分かつ分断線 では始めます。即興ですので、詰まったり、途中で終わってしまうことがあるかもしれませんが、その際はお許しください。そして、みなさんもそれぞれの場所で考えてくださると嬉しいです。

2011-10-17 00:00:12
高橋源一郎 @takagengen

分断線① 「あの日」から、ぼくたちの間には、いくつもの「分断線」が引かれている。そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。それから、その線の向こう側にいる人たちへの敵意に苛まれるようになった。それらの「分断線」は、もともとあったものなのかもしれないのだけれど。

2011-10-17 00:02:09
高橋源一郎 @takagengen

分断線② 大きく分かれた線がある。細かい線もたくさんある。はっきり見える線もある。けれどもほとんど見えない線もある。わかりやすいのは、「反・脱原発」派とそれに反対する人たちの間に引かれた線だ。そこには激しい応酬がある。それから、はっきりした敵意もまた、存在している。

2011-10-17 00:04:16
高橋源一郎 @takagengen

分断線③ 細かい線と見えにくい線はたくさんあって判別が難しい。だから、一つだけ指摘しよう。それは「あの日」の後生まれた線であり、「あの日」以降の行動の指針をめぐる線だ。つまり、津波や震災で直接被害を被った東北への支援に重点を置く人と、原発に関わる問題に重点を置く人たちの間の線だ。

2011-10-17 00:06:32
高橋源一郎 @takagengen

分断線④ もちろん、両方に関わる人も多い。それから「東北」派と「原発問題」派の間に表立った応酬はない。だが、この両者の間には、深い、対立の気分が内蔵されている。誤解を恐れずにいうなら「いまはそっちじゃないだろう」「優先されるのはこっちだろう」といういらだちの感情だ。

2011-10-17 00:08:29
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑤ 本来、誰よりも共に戦うべき人たちの間に引かれてしまう、見えない線がある。見える線を挟んでの応酬は、どれほど厳しいことばが行き交っても、ある意味で健康だ。誰と誰が対立しているのかは明らかだからだ。だが、見えない線を挟む沈黙の応酬は暗い。無言の嫌悪の視線がそこにはある。

2011-10-17 00:10:50
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑥ その分断線は、誰が引いたのか。ぼくたちが自分の手で引いたのだ。その、いったん引かれた分断線は、二度と消えることがないのだろうか。分断線を越えること、分断線を消すことは不可能なのだろうか。自分が引いた分断線から、ぼくたちは出ることができないのだろうか。

2011-10-17 00:12:41
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑦ ツイッターは、分断線を挟んだことばの応酬に適したメディアだ。敵はすぐに見つかる。そして、見つけた敵に憎しみのことばを投げかける。なぜ、そんなことをするのかと訊ねると、「いや相手を説得しようとしているだけだ」「大切なのは議論なんだ」という答えが戻ってくることも多い。

2011-10-17 00:14:45
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑧ ぼくは長い間ずっと、どうして、対立する者たちの間で、豊かな対話が成り立たないのかと思ってきた。少なくとも、表面的には、誰も、対話を拒否してはいないのだから。熟議や論争によって、新しい解決策が見いだせるかもしれない、とぼくは思ってきたのだ。

2011-10-17 00:16:30
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑨ こんな文章を読んだ。「人間は説得されて変わることはありません」。その通りだと思う。そして、ぼくは考えてみた。ぼくは、半世紀近く多くのものを見たり、読んだりしてきた。その中に「説得されて、もしくは批判を受けいれて、それまで培ってきた自分の考えを改めた人」がいただろうかと。

2011-10-17 00:18:43
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑩ ぼくの記憶に残っているのは一人だけだ(あとの例はすべておぼろだ)。哲学者の鶴見俊輔さんだ。鶴見さんは、自分への本質的な批判に、あらん限りの誠実さで向かい合い、間違いを認めると、態度と考えを、その批判者の前で改めたのである。

2011-10-17 00:20:50
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑪ 「説得されて変わる」ためには、おそらく、次の条件を必要としている。(1)相手の批判を完全に理解できている。(2)問題になっている事柄について完全に理解できている。その上で(3)自分のプライドやアイデンティーより、真実の方が大事だと思っている、こと。

2011-10-17 00:22:57
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑫ だから、「説得されて変わる」ためには、恐ろしいほどの能力を必要とする。①や②の条件が充たされとしても、ぼくも③だけはクリアできないかもしれない。人はじぶんの間違いだけは認めたくないのだ。間違っているとわかっても、間違いを認めることは、自分を否定することに他ならないから。

2011-10-17 00:25:27
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑬ ぼくは、長い間、鶴見俊輔の読者として、彼が、彼に鋭い批判が向けられると、反論ではなく、その批判を深く理解しようと努める姿を、不思議なものを見るような視線で見つめてきた。彼は、彼が深く影響を受けたプラグマティズムというアメリカの哲学について、こんなことをいっている。

2011-10-17 00:27:47
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑭ プラグマティズムは南北戦争の焦土の中から生まれた。「自分たちは正しい」という二つの主張のぶつかり合いが無数の死者を作り出した。だから、一群の人たちは、対立ではなく、自分の正しさを主張するのでもなく、世界を一歩でも良きものとする論理を生み出そうとしたのである。

2011-10-17 00:29:47
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑮ 対立するものを打ち壊す思想が、「生」を主張しながら、実は「死」に魅かれているとしたら、プラグマティズムこそ、否定ではなく「生」を主張しようとしたのである。

2011-10-17 00:31:33
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑯ だから、鶴見俊輔の「説得を受け入れて変わる」姿は、「洗脳」とも違う。「洗脳」は、過去の自分をすべて捨て去る。けれど、「説得を受け入れて変わる」鶴見俊輔の姿の中には、過去の自分がすべて入っている。なぜ変わるのか。否定するためでない。より豊かになるためなのだ。

2011-10-17 00:33:25
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑰ なぜぼくたちは、「説得を受け入れてかわる」ことを恐れるのだろう。相手が自分と違う意見を主張すると、なぜ胸がざわつき、躍起になって否定しようとするのだろう。それは、ほんとうは、ぼくたちは他人が怖いからだ。自分と違う意見の人間がいることに恐れを抱いているからだ。

2011-10-17 00:35:26
高橋源一郎 @takagengen

分断線⑱ 「説得を受け入れて変わる」鶴見さんの世界は、逆だ。それは「自分と違った考えの人間がいて良かった」という思想だ。人間は孤独であり、それ故、自分以外の他者を必要としている。だから、異なった意見の人間の批判を、鶴見さんは喜んで受け入れる。世界に必要なものは多様性なのだ。

2011-10-17 00:38:11