「京都アニメーション・スタッフ座談会-アニメーション制作の現場から-」レポート
勉強になるわw“@Yamagami_Tatuya: いかん、横の人に木上さんとかの説明求められて、『さすがの猿飛』出しちゃったよ”
2011-11-03 16:29:50【京都アニメーション トークセッション】 京都文化博物館の方が初めに、八年前の「京都映像フェスタ」でアニメーションで頑張っている(当時、『犬夜叉』や『ジャングルはいつもハレのちグゥ』をグロスしていた)ということで、展覧会にお招きしたお話から始まる。
2011-11-03 18:51:40【京都アニメーション トークセッション】 展覧会では60日間毎日京都アニメーションのスタッフが来られた。また、この時OVA『MUNTO』の制作時期で、その後『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』を作る立派な会社になるとは思っていなかった。
2011-11-03 18:55:40【京都アニメーション トークセッション】 八年前のスタジオ見学のとき、撮影でデジタルの部署の方がiMacで一枚一枚やていた。楽しそうに眼を輝かせて説明していたのを覚えています。 京都文化博物館の方のコメントはここまで。司会は京都アニメーションの瀬場?さんという方に変わります。
2011-11-03 19:00:16【京都アニメーション トークセッション】その後、武本さん、木上さん、石立さんの順に祭壇に登場し、各々の自己紹介が始まる。木上さんは、「おはようございます」とご挨拶の後、「アニメーション業界では、朝でも昼でも夜でも、おはようございます」と言われた。
2011-11-03 19:03:15【京都アニメーション トークセッション】木上さん、石立さんともに緊張して居られる様で、その後のトークセッションでも武本さんに話が振られることも数々。それぞれ入社して何年かという質問で、武本さんは間もなく20年近く。木上さんはそれより一年多い。石立さんは10年くらいと
2011-11-03 19:06:38司会:アニメーターになろうと思ったきっかけは? 武本:高卒の時に友達から漫画家の話(競争率)聞いて諦め、イラストレーターの話(収入)聞いて諦め、アニメーターになろうと思った。スタッフロール見たら沢山名前載ってるし俺も出来ると思った。
2011-11-03 16:43:42【京都アニメーション トークセッション】(以下敬称略)司会「アニメーターになるきっかけは?」 武本「夢や希望に燃えているわけではなく、汚れているな…、高校のときに進路でサラリーマンや映画は嫌だ。漫画も同人作ってる友人に聞いたら、これは無理だなと」
2011-11-03 19:13:04【京都アニメーション トークセッション】武本「(漫画家として)デビューして残るのは数% イラストレーターとしては稼げなければダメ。アニメを観ていたら(クレジットの)人が多くてこの中の一人として潜り込めばと思って」
2011-11-03 19:17:56武本:沢山の人がいるってことは上手い人も沢山いると入ってから気付いた。 木上:小さい頃に観たディズニーや手塚作品に感動して何とかアニメの仕事に就こうと思った。
2011-11-03 16:45:33【京都アニメーション トークセッション】武本「しかし、実際に入ると沢山の上手い人がいると解って、死ぬ気でやってかないと」 司会「木上さんは?」 木上「普通にディズニーとか手塚治虫の劇場作品で感動し、携われないかと。出身が大阪なのでスタジオがなく東京へ出て行かないと」
2011-11-03 19:27:40【京都アニメーション トークセッション】 木上「そして、バイトして頑張ってスタジオへ」 石立「武本さんと似ていて汚れてる…。子供の頃から絵を描くのが好きで、何になりたいか考えずに大人に…。映像作品が好きで、初めはTV局とかがやる製作スタジオに」
2011-11-03 19:32:06【京都アニメーション トークセッション】 石立「でも、体力がいると知り、当時から僕は体力が無いので、絵も描けて映像に携われるアニメーションを。何故、京都アニメーションかというと、家が近かったから。入ってから木上さんの机の隣で、必死になった。直ぐに『スミマセン』状態でした」
2011-11-03 19:38:24石立:子供の頃から絵を描くのは好きでそのまま何も考えずに大人になって、テレビ番組の制作会社入ろうと思ったけど現場の厳しさ(体力面)で止めて、でも映像作りたいからアニメーションの方に進んだ。京アニを受けたのは近かったから。
2011-11-03 16:48:15