『この彼女はフィクションです。』最終回を迎えて~ユーリが選んだ理想

『この彼女はフィクションです。』最終巻発売を記念して、『この彼女はフィクションです。』を読んで思うところをまとめてみました。 ユーリはいかに理想と向き合ったのか? まだ言葉にしきれない部分もあるように思いますが、皆さんの感想もお聞かせいただければ幸いです。
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相応恣意 @aioushii

まずは前提として、こんなことを考えていましたよってことで。http://t.co/VHrQtngbこの彼女はフィクションです。』を最終回まで読み切ったことで、色々と解釈が変わっているところがありますが、ご容赦を。

2011-10-11 00:05:12
相応恣意 @aioushii

最終回を迎えるにあたって、ユーリ桂馬の決定的な違いが明らかになったように思う。最大の違いは、桂馬にとっての理想が、現実に屈することなく、積極的に選び取ったものであるのに対し、ユーリにとっての理想現実に屈してしまった上での、逃避の手段だった、ということだ。

2011-10-11 00:11:53
相応恣意 @aioushii

ちひろ編における桂馬が象徴するように、桂馬は現実には絶望していても、自分には絶望していない。たとえどんな現実を前にしても、理想を目指して敢然と立ち向かっていく。対するユーリは、現実に屈し、そのはけ口として、設定の付与という形でミチルという理想に、時に刹那的にぶつけていく。

2011-10-11 00:20:32
相応恣意 @aioushii

正しい創作、というものがあるかどうかは分からないけれど、少なくともユーリの創作活動に、”責任”が伴っていなかったのは間違いない。ここでいう”責任”にはいくつかあるけれど、ユーリが1話冒頭でやろうとしていたことは、自分の子供を殺す行為に近く、作者としての責任を完全に放棄している。

2011-10-11 00:26:19
相応恣意 @aioushii

作者としての責任は最後にもう一度まとめたいと思うけれど、とにかくそういった意味では、フーコという存在によって逃避の必要がなくなったユーリは、創作の必要も欲求もなくなってしまったわけで、実はピグマリオンの恩恵を受けるのに最も遠い立場の人間だったと言えるのかもしれない。

2011-10-11 00:31:44
相応恣意 @aioushii

だからこそ物語の終盤で、ユーリが作者としての責任を自覚していく過程は、同時に現実に向き合う責任を自覚していく過程でもあったと言える。逃避の手段として創作を行う必要がない、つまり現実と向き合ったからこそ、純粋に創作に向き合えるようになったわけだから。

2011-10-11 00:38:38
相応恣意 @aioushii

一言でまとめると。ユーリは”理想”を通して”現実”と向かい合い、そして本当の”理想”にたどり着いたんだと思う。

2011-10-11 00:42:38
相応恣意 @aioushii

そして最後に、ユーリは自分が作り出した作品を終わらせることで、作者としての”責任”を果たす。この時こそ本当の意味で、ミチルは生まれた。誰にも見せることなく燃やされば、それは作品にとって本当の意味での死だけれど、物語を終わらせることは、作品にとっては本当の意味で生だったりする。

2011-10-11 00:48:49
相応恣意 @aioushii

物語は完結することで、解釈を決定できる、あるいは決定しやすくなる。このとき、読者など、作品の提供を受ける側は、それぞれ自分が思い描く作品像を心に描くことができるわけで……つまり百人の読者がいれば、そこには百人の桂馬がいるっていうアレです。(イメージ先行で上手く言葉に表し切れない)

2011-10-11 00:56:29
相応恣意 @aioushii

で、そのそれぞれが心に描く、ユーリだったりミチルだったりフーコだったりが、まさに登場人物たちにとっての新たな生になるわけです。物語は閉じられることで、初めて開かれるわけです。

2011-10-11 00:58:26
相応恣意 @aioushii

「あなたが読んでくれる限りキャラは生き続けます。」渡辺先生のマガジン巻末での発言を、自分はそういう風に解釈しています。

2011-10-11 01:01:30
相応恣意 @aioushii

だからこそ、物語の完結にあわせて、物語の中の物語も完結させるというメタ構造は、読者の中でユーリやフーコやミチルが生き続けるとともに、ユーリやフーコの中にも、ミチルが生き続けるという、『この彼女はフィクションです。』らしい、納得のいく終わり方だったと思います。

2011-10-11 01:05:53
相応恣意 @aioushii

以上、長々とツイート失礼しました。本当は一次創作と二次創作の違いだとか、神のみが作品内の観測でメタ構造を出しているのに対して、このカノが作品外からの観測でメタ構造を出している点にも触れてみたかったけれど、流石にギブアップですね……

2011-10-11 01:08:40
相応恣意 @aioushii

まとめ用に一つだけ追記。ユーリが作中で度々”責任”という言葉を使っているけれど、個人的にはこれ、作者としての責任とはちょっとズレていると思っています。

2011-11-17 01:00:05
相応恣意 @aioushii

ユーリがとろうとしていた”責任”は、理想現実化してしまったことに対する責任であって、作者としての責任、つまり作品を完結させるという”責任”とはズレていた。にも関わらず、ユーリはそれこそが作者としての”責任”だと思っていた。それがあの最終回の気付きに繋がったんだろうと思う。

2011-11-17 01:02:32