ポロックの絵画とドッペルゲンガー

2011年11月11日(金)-2012年1月22日(日)まで愛知県美術館、2012年2月10日(金)-5月6日(日)まで東京国立近代美術館にて開催される「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」、ポロックの絵画とドッペルゲンガーについて岡崎乾二郎さんと野々村文宏さんの呟きをまとめました。
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ポロック、最大級の作品がないにせよ。おおいに考えさせる(感受させるところ)あり。さて確認しなければならないことは、ポロックが実現した空間の拡張は、(当然であるが)むしろ前後の広がりであるということ、。すなわちこの本質において、画面の大きさは大きな問題ではない。

2011-11-25 00:08:12
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

端的に、観者を包みこむ空間というのは、画布に描かれたものが、画布を見ている観者の背後にまでまわりこんでいるという意味であろう。すなわち画布は目の前にあるはずなのに、画面は背後にまでまわりこんできている。

2011-11-25 00:11:46
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

従って画面の奥行き=視界は、画布の奥ではなく手前に実現される(3dのような言い方恐縮)。ゆえにこのときいかなる抽象画面だろうとその画面=視界は形象を含んでしまう。その形象とはその視界が包み込んでいる(その視界を生成させた)ところの観者その人。観者は自身の像を感受。ドッペルゲンガー

2011-11-25 00:21:57
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ドッペルゲンガー。ポロックの絵画が実現した手前に拡張される空間に包まれているもの(これがなければ拡張は実現しない)。それは観者の影でない。むしろ包む側(つまり画面の側)に主体が移行したゆえに感じられる観者の身体そのもの。画面が観者を包むのでなく観者自身の視野が観者自身の身体を包む

2011-11-25 00:28:21
野々村文宏 @nonomurax

immersive experience、って奴ですね。懐かしい。 @kenjirookazaki

2011-11-25 00:30:59
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ひとことでいえば、ドッペルゲンガー経験。これがポロックにとりついていた、ということを考えるには、いい展覧会。で確かに観客も自分自身のドッペルゲンガーを、一部の成功した、ポロックの作品から、感じることができる。

2011-11-25 00:33:21
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

そういうとつまらないが確かにそう。では問題は、なぜ絵の具と画布だけでこれが実現してしまうのかRT @nonomurax: immersive experience、って奴ですね。懐かしい。 @kenjirookazaki

2011-11-25 00:37:28
野々村文宏 @nonomurax

ポロックの身体が埋め込まれているからではないですか? @kenjirookazaki そういうとつまらないが確かにそう。では問題は、なぜ絵の具と画布だけでこれが実現してしまうのか

2011-11-25 00:40:18
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

当然、それを実現する技法がある。これは詳細に分析可能。いいかげんにいっておけば、魚釣りをする身振りとポロックの身体運動が似ていると示唆だけしておこう。もちろんこの場合、つられる魚は、それを描いているポロック自身。あるいはこの絵をみている観客自身に回帰する。

2011-11-25 00:46:30
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

釣り糸か蜘蛛の巣か。作品制作プロセスとは蜘蛛の巣のように主題をつかまえることだ、といったのはマティス。プロセスで分解すれば一枚の絵は無数の絵を含み、この無数の絵(これがデッサンということ)はくもの巣のように組織される。くもの巣をくもの巣にするのはそれが捉えんとする獲物。

2011-11-25 00:52:28
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

もちあげてくださり、ありがとうございます。@nonomurax なつかしい会話の日々。

2011-11-25 00:53:18
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

存外、ポロックの絵の描き方(軌跡)は、金魚掬い そのもの。 こっちは金魚になったかのよう。 http://t.co/zgDqc2K3

2011-11-25 00:58:52
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