奇跡をめぐって、他(Kanon問題[2010])
「辻褄の合わなさそれ自体がひとつの答」ってのはこれのパクリのような気がしてきた。http://bit.ly/ahyNsf「kanonでの世界観の穴ってのは同時にその穴が世界観である、みたいなところがあるような気もします。」
2010-05-16 16:00:18あゆの三つ目の願いと狐や魔物は関係ない、という問題がありまして。スーパーナチュラルな力の複数性は既に作品内で描かれている。奇跡=スーパーナチュラルな現象はあゆの犠牲によってしか起こらない、という解釈はその時点で既に破綻している。
2010-05-17 13:43:36つーか、書いてない部分のことなんか考えても仕方ないんだよ。書かれてない部分は、分からないのでも、決まっていないのでもなく、端的に「無い」んだよ。
2010-05-17 13:51:36あゆルートに行ったときの他のヒロインのことは描かれていないので、救われたか救われなかったかは分からない。それは秋子さんが処女か非処女か描かれてないので分からないのと同じ(処女懐胎の奇跡が彼女の身に起きないと断言できる根拠はないはず)。
2010-05-17 14:00:21で、そういう物事の考え方をもし現実に持ち込んだらどうなるかと考えると、むしろそっちのほうがよっぽどヤバいことに気付く。不幸な人間も、気付かなければいないのと同じだから僕にとって倫理的問題ではない、ということだからだ。
2010-05-17 14:02:00だから、それはあくまで創作物の読解に対する態度としてのみ限定的に考えるべきものであって、こういう立場からKanonのヒロイン生存説を唱えるなら、それは創作物をただの書かれた文字、言葉、としてのみ考えることとセットであるほうが倫理的には望ましいだろうね。
2010-05-17 14:03:18あの街は寒そうだ。冬にはもしかしたら浮浪者が凍死しているのかもしれないし、それもどこかの誰かが日常に降り積もる奇跡で助けているのかも知れない。スーパーナチュラルな力は複数だからね。で、それ現実のホームレス行政を論じるときに何か意味のある議論ですか、という。
2010-05-17 14:08:27@kaolu4s 「攻略しなかったヒロインのその後の行く末」を書くことは、これは意識的に避けていますね。で、そういう心性のほうは問題にしないのかなあ、という。
2010-05-17 14:09:17まず『白痴』で、余命いくばくもないイッポリートがムイシュキンに尋ねるシーンである。「ひとつ教えてくれませんか、どうしたらいちばんいい死にかたができるでしょうね?・・・つまり、できるだけ徳にかなった死にかたがね、教えてください!」ムイシュキンは答える。(続く)
2010-05-17 14:12:20「われわれのそばを通り抜けてください、そしてわれわれの幸福を許してください!」ムイシュキンの答えは残酷だが正しい答えである。もうどうみても助からない少年が苦しむ様を見れば誰もが苦しむのである。イッポリートにとってもっとも正しく徳にかなった死にかたは(まだ続く)
2010-05-17 14:12:34できるだけ人目を避けひっそりと死んでいくことである。(ここまで) 俺には、こっちのほうがよっぽどひどいと思います、そりゃまあ「やさしい」のかもしれないけど。
2010-05-17 14:12:52つーか、昔書いた「サイン」の話とか、最近だと「アイアムレジェンド」とかさ。キリスト教圏の連中のいう奇跡ってああいうもんなんだろうなーと。
2010-05-17 14:17:04信仰を持ってない俺がそういうハッピーエンドを読んで不愉快になっちゃいけませんか。リアリティを引き合いに出すつもりはないけどさ。そんなんじゃ救われた気しないんだよ。
2010-05-17 14:18:55まあ、あゆの三つのねがいとか、確かに真に受けるのは違うのかもね。SFじゃないんだから。それは何かの「サイン」であって、論理を越えたところで結びついているもので。
2010-05-17 14:24:04「Kanonは整合性を求めるべき作品だが、実際には辻褄の合わないところがあります」という規範批評? になっちゃうのがアレなんじゃないかな、とりあえず。日刊海燕か。
2010-05-17 15:20:12