• busterbonze
    僧伝を読んでいると、時折(それほど数は多くないものの)賊難に遭ってムッコロされた人が出てくる。そういう人についてどのように説明されているかというと、十中八九まず間違いなく、「宿債を償った」すなわち「これで借金(悪業)を償ったんだからマア良いんじゃね」とされているんである。
  • goyou
    @busterbonze あ、借金を償ったっていう表現、禅師の評伝にも出てくるんだ!
  • busterbonze
    @goyou えっ、チベットでもですか?みんな借金してるんですねえ。
  • busterbonze
    「不慮の死=借金の返済」っつーことは、「寿命による死=借金を返済し終わったのでサヨウナラ」ということなのかしらねえ。なんだかヤクザの世界みたいなのだわ。
  • goyou
    @busterbonze やっぱり生きてることそのものが借金の連続だっていう感覚があるんですかね。
  • g_z_m_z
    @busterbonze 中国には、前世で借金を返済しないまま二人とも死んだ場合、債権者が債務者の子供に生まれ変わって親の金を浪費する、「討債鬼」故事という物語群があるそうです。子供は借金分浪費すると死ぬとのこと。僧伝に出てくる方達も同じタイプのお話なのでしょうか。
  • goyou
    @busterbonze 負債を返そうっていうのはチベットの古いタイプの密教の儀軌にもよく見られる表現ですね。いわゆる正典的なお経には出てこないようにも思います。禅籍に出てくるというのは非常に興味深いです。
  • nirvanaheim
    負債という表現はキリスト教にも頻出するので興味津々。
  • toshiyk
    密教化する際にも世俗化する際にも、負債というたとえは使いやすいんだろうなあ。 誰しも親をはじめとして陰に陽に負債の返済を迫られる機会には事欠かない。
  • nirvanaheim
    うーん、どうでしょうね。「借り」はとかく、負債という表現(仏典で具体的にどうかは不確かなまま言いますが)からは、宗教性よりも、受容する側が都市民的・商業者が重要層だった、みたいな理由の方が強めに汲めそう。 >密教化する際にも世俗化する際にも、負債というたとえは使いやすい
  • nirvanaheim
    「与えられた命」的観念を代表にして、贈与されることとそれによって負い目、借りを負うこと/負っていること、というような発想は人間精神において重要で、宗教性並びに宗教性における人間精神を考える際に無視し難いものですが。
  • shibufusky
    女神に血の生贄を捧げるのは、自分を育む者への最大限の「恩返し」の表現でもありますよね。「お陰様で今まで生きてるのに何も返さないのは悪い」っていう。その負債を「自然」や「神」に感じるか「国」や「社会」に感じるか「親」に感じるかはともかく。どれも実質的側面皆無って訳じゃないですし。
  • shibufusky
    贈与者が無償で与えたものを、受贈者が負い目なく受け取れた場合、「無償の愛」も「純粋贈与」も成立しますよね。育児教育もそうなんでしょうけど、こんなの成立し得ますかね。というか成立しなくていいんじゃ・・・。
  • shibufusky
    就職活動してる時とか進学先探す時、親の恩を意識しない人って相当レアだと僕は思うんですが。傍から見ると、世間知らずの学生が勝手に高望みをしてるだけに見えるかも。
  • shibufusky
    贈与は恐いですよねモースさん。
  • shibufusky
    日本の私らの世代みたいに、小さい頃から、まぁ恵まれてたってことは、それだけの恩があるわけですから、これはやっぱり通過儀礼で贈与のモラルが働くわけですよ。でも私の親の世代みたいに幼いころ貧しかったって場合に、通過儀礼でどんな贈与のモラルが働くのか、正直あまり実感が湧かない・・・。
  • shibufusky
    純粋贈与が成立してないからこそ地母神には血の生贄が捧げられてきたわけで、無償の愛が成立してないからこそ就活で高望みをする人が絶えないんだろうなと。贈与者はむしろ無償のつもりで与えてるし、大半の人は返さなくて良いって言うんですけどね。受贈者がどう反応するかまでは制御できないらしく。
  • shibufusky
    霊長類の贈答って聞いてると結局「短期交換」みたいで、やっぱりいいな畜生はって正直たまに思ってしまいます(懺悔)。カエルなんて贈与のモラルから自由なんじゃないか?
  • nirvanaheim
    人類社会維持という観点から親子間の贈与を考えると、全体としては親から受けた贈与を子が孫に贈与することで社会全体として完結するということでいいのだと思うわけですけれど、そこで完結したら社会維持ができないという話もあって、社会としてと個人としては別のレイヤーがある。
  • nirvanaheim
    社会構成存在としての部分はさておき、個人として見たら無償の贈与を親から貰っているわけで、そこに負い目があるからこそ次世代への贈与を行なうことができる、と言えると思うわけです。
  • nirvanaheim
    贈与の連鎖、社会的連鎖というものは親子みたいな1ユニットでは完結できない。そこに因果というものの問題があるわけで、仏教は考えないようにしてるとこだけど、鎖を辿っていけば、論理的にはいつか始点となる純粋贈与者に行き当たるし、さもなければ始点なき世界永遠説に落ち着くことになる。
  • nirvanaheim
    まあ絶対贈与者を創造主に当てるかはじめに核分裂とか始めた生命(?)に当てるかビッグバンする揺らいでた無に当てるかはさておき……
  • sskyt
    @shibufusky 私も「無償の贈与」のイメージしやすい例として「親が子を育てること」を挙げますが、不適切な場合もあるので、もう一段階「言葉」の例も挙げますね。例えば、日本語は先祖代々人から人へ贈られてきたけど、誰も贈ったとも受け取ったとも意識しないですからね。
  • nirvanaheim
    贈与が贈与者に属するものであって、贈与された側の負い目とか何かの反応が贈与者と別個に考えるべき精神現象なのは、「生んでくれなんて頼んだ覚えはねぇよ!」という例の台詞からも皆さん察っせられますよね。
  • busterbonze
    @goyou 外典に禅宗の影響が見えるというのは、宗論以前のモノが残っているからなんですかねえ。ふううん。
  • Content from Twitter

コメント

まとめを作成する