田代ヤネス和温「チェルノブイリの雲の下で」読書録

田代ヤネス和温著「チェルノブイリの雲の下で」(技術と人間)を読みながら気になる一節やらそれから派生した雑感を記録しています。 こちらもとても参考になるサイトです。同書を読もうと思ったきっかけでした。: 「東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解くーPast and Present」 http://tokyopastpresent.wordpress.com/ 続きを読む
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@gmax_jp

この本を注文した。 西ドイツ(当時)バイエルン州の1986年以降の出来事を綴った本。→ 'チェルノブイリの雲の下で':田代ヤネス 和温 via @amazonJP http://t.co/TzxPSNen

2011-12-23 22:12:41
@gmax_jp

田代ヤネス和温 著「チェルノブイリの雲の下で」/ 技術と人間 刊 (1987年) 到着。これから読む。 http://t.co/MuLcKurv

2011-12-27 22:14:26
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@gmax_jp

チ雲)実測値より大幅に低く改ざんされた線量の政府公表、気象台に対する圧力、汚染された牛乳とそうでない牛乳とを混ぜて市中に流通させる、一部関係者にしか通知されない緊急時の防護対策…彼らドイツの市民はすでに経験していた。ため息が出る。

2011-12-27 23:55:37
@gmax_jp

チ雲)南バイエルン州で酪農と有機農業を営む農家は100万円相当の損害額に対して15000円程度の補償しか政府からもらえなかった。牛たちに与える餌は零細ゆえ買えず、やむを得なく自家牧草を与えて原乳を捨て、自分たちは数ヶ月LL牛乳やコンデンスミルクを飲んでいた(1987年)。

2011-12-28 00:42:50
@gmax_jp

チ雲)チェルノブイリ事故の降下物被害を受けたドイツ農家の声「10年20年先に癌が多発したとしても、誰がその原因を証明できるだろうか。政府はそう開き直って、生命に敵対する政策を取り続けている。農民はいつまでもそういう政治の支えであってはいけない。」(1987年)

2011-12-28 00:49:25
@gmax_jp

チ雲)「コール首相夫人や女性大臣のジュスムート保険相(当時)が報道陣の前で野菜を買うポーズをした。普段八百屋で買い物など滅多にしない人たちがだ。テレビカメラの前で汚染された牛乳を飲んでみせる閣僚もいた。こうした高齢の方々が食物の安全を保証したところで何の役に立つのだろうか」

2011-12-28 00:54:40
Kino @quinoppie

数時間前、gmax_jp さんが内容を紹介した『チェルノブイリの雲の下で』、明日RTしよう。 http://t.co/4GzsBeS8 http://t.co/0gv0uhI5 http://t.co/fhSep61j http://t.co/XOTVxZpc

2011-12-28 02:56:28
Kino @quinoppie

『チェルノブイリの雲の下で』は、西独在住のジャーナリストによって事故の翌年に書かれている。あれから25年、当時の西独政府の対応を批判的に検証した本が、かの地では何冊も出版されているにちがいない。邦訳はないのだろうか。

2011-12-28 03:12:28
@gmax_jp

チ雲)雑感。チェルノブイリ以降の西ドイツ国内の混乱について、あまりにも日本政府との酷似が多くて辟易とするが連邦制故州によって対応は異なるところも多々ある。バイエルン州は、その中でも酷いのだがその経緯を見ると核災害に対する「悪のマニュアル」があるのではないかと予感する。

2011-12-28 07:37:32
@gmax_jp

チ雲)悪のマニュアル=ICRP勧告と見る向きも当然あるが、核災害に対する基準として常にICRPを参照してきたのならあの当時よりの反省を少なからず反映している内容と今の日本政府の対応の間には乖離がありすぎる。政府は実は無知なのではなく他国の先例をよく研究し、実践しているのでは?と。

2011-12-28 07:51:51
@gmax_jp

チ雲)まだTwitterには書いてないけれど、市民同士の分断、政財界癒着、そういった最悪な実態もこの本には書かれている。ならばここに希望がある。これらすでに起こったことを僕らは学ぶことが出来る。時間はかかるかも知れないが国ぐるみの合意を得ることもまた不可能ではない。

2011-12-28 07:56:14
@gmax_jp

チ雲)当時のドイツ学会が概ね批判的だったのは事実のようだが、一方で印象操作のため実効線量当量を導入にに精力的に動いた推進側の学者たちもいたし、その発言も記録がある。しかし根拠なく安全に偏りすぎていると今も批判されている彼らのほとんどがその後発言力を失い隠れている。さて日本は。

2011-12-28 09:06:43
@gmax_jp

チ雲)「チェルノブイリのあとに、人々の間に三つの立場が生まれた。生活の中に入り込む脅威を身をもって感じる人たち、自分の中の不安感や恐怖感を抑圧し、いつものように生活し機能する人たち、そして恐怖感を持ちながら汚染を宿命的なものと受けとめ、パニックを否定し政治的な行動に走る人たち。」

2011-12-28 16:16:58
@gmax_jp

チ雲)「心の深いところから生まれた立場の差が長年の友人関係や夫婦関係にさえしばしば深い亀裂を生じさせることになった。自分の不安感をおもてに出した人たちは、自分の中にある不安感を抑圧している「強い者」たちから、しばしばエゴイストと呼ばれ、せいぜいのところわずかな同情を受けるほかは…

2011-12-28 16:19:33
@gmax_jp

チ雲)行動的にも精神的にも連帯を受けることは少なかった。」

2011-12-28 16:20:38
@gmax_jp

チ雲)「立場の違う者たちのせまい自己主張の枠を越えて、親身な討論がなされたことはほんとうにめずらしかった。」

2011-12-28 16:26:52
@gmax_jp

チ雲)1986年にはじめて発行された「汚染通信」は二人の技術者により設立された。政府発表の線量と対策の間に大きな矛盾があることに気づき、自ら測定を開始して市民に情報提供を始めたという。表面汚染に関しては最大で30倍の開きがあったという。このような動きは日本でもあった。

2011-12-29 05:19:44
@gmax_jp

チ雲)「政府機関の発表の内容には、各種のトリックが隠されていることに気がついた。その例として、公的機関が地面から1メートルの高さで測った低い値を発表してお茶を濁している。けれども子供たちは背が低いので、地面に近いところで遊び、汚れたり、怪我をしたり指を口にくわえたりする。」p90

2011-12-29 05:22:00
@gmax_jp

チ雲)「別の例として、土壌の汚染地が土の体積や重量あたりで発表されていることがある。土を深く掘るという詐術であり、汚染値は極度に低くなる。なぜなら放射能は一般に高い吸着性を発揮し、ほとんどが土壌の表面かその近くにとどまりやすいからだ。」

2011-12-29 05:25:00
@gmax_jp

チ雲)放射能は高い吸着性を示し、というのは特に放射性セシウムのことを言っていると思う。このあたり著者が専門家ではないことと1986年当時のことだから目をつぶっておくところ。

2011-12-29 05:26:32
@gmax_jp

チ雲)ちなみに1986/5/1のミュンヘンの地面の汚染値はコンクリート舗道上で30万Bq/m2を超えていた。一方西ドイツで住宅地に許容されている汚染値は3700Bq/m2だった。

2011-12-29 05:29:06
@gmax_jp

チ雲)(汚染通信)「行政当局がなぜ誤った情報を市民に伝えるのか、我々はそれが理解できない。5月以来ドイツの市民は原子力についてより深く考えるようになったが、決してパニックに陷ったりはしなかった。むしろ行政当局の態度こそが市民の間に大きな不安を生む原因だった。」p94

2011-12-29 05:42:13
@gmax_jp

チ雲)(1986年5月はじめのアンケート)「より大きな差が出たのは「進歩のためには原発の危険性はやむを得ないと思うか?」の問いに対する返答である。「やむを得ない」の回答が男性28に対して女性はわずかに1だけだった。」p102 数字は%

2011-12-29 05:57:38
@gmax_jp

チ雲)「このアンケートの結果もある程度示唆しているように、生活の内部にまで否応なく侵入してきた放射能は、根の深いところでの男と女の対応の違いをあらわにさせた。夫婦の間にも諍いが生じ、それがこうじて離婚に至ったという話もまれではない。」p103

2011-12-29 05:59:48
@gmax_jp

チ雲)著者はここで男女の性差にちなむ反応の差を過大評価しないように警告している。なぜなら男女の差を問わず個人的な差も大きかったからだ。「母親の思い」というジェンダー慣習にまつわる言葉に頼った心理学者たちの議論も西ドイツでは当時盛んであったがそれだけで括れる話ではない。

2011-12-29 06:06:50
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