• asijaga2nd
    【河内源氏あるある】平家の公達や摂関家の人と話をしていると、官位の感覚の違いに「これが格差社会か…」と黄昏る時がある http://t.co/rCaRgLMi
  • asijaga2nd
    というわけで、今日は格差社会もとい官位の話をしようと思うんだ(・∀・)
  • asijaga2nd
    官位って上から下までどの位あるか知ってますか?一番上は正一位なのは大体見ての通り。で、下はと言うとまず少初位大初位っていうのがある。このあたりは本当に下級で、地方の一番地位が低い雑用役人の身分だった。
  • asijaga2nd
    その上に従八位下・従八位上・正八位下…ってあって、どんどん身分が高くなるんだ。
  • asijaga2nd
    で、この八位から六位までのグルーブが、下級貴族グループ陰陽師とか学者とか、医者とか、色々現場で仕事する人たち。初期の武士もココが居場所なのです。
  • asijaga2nd
    基本的に一部の例外を除いたら、このグループには「昇殿」が許されません。「昇殿」っていうのは天皇が日常生活を送っている禁中に立ち入って、天皇や上級貴族とお仕事すること住む世界が違うんですよね
  • asijaga2nd
    昇殿を認められた人のことを「殿上人」といい、そうでない人を「地下(じげ)人」といいます。はい、格差来たよ!
  • asijaga2nd
    保元物語・平治物語なんか読みますと、このあたりの格差が非常に明確に表現されています。
  • asijaga2nd
    (保元物語には昇進を許されるのが嬉しくて、無断で階上に上がってしまう義朝公がいますね。あれ大河でやるのかなあ)
  • asijaga2nd
    この殿上人と地下人の間の壁は、とにかく分厚い。生まれつき上級貴族に生まれた人は、もう元服と同時に殿上に上がって、スイスイ官位を登れますけど、地下人の子は地下人、よっぽど何かあって帝から昇殿宣旨を賜らない限り、殿上には上がれないんです。
  • asijaga2nd
    で、清盛公はというと、この元服と同時に昇殿が許される組でした。お父上が帝に重用されていらしたのが大きいのかな。摂関家と帝の仲が良くないと、時折帝が自身の手足を作るために、こういうことなさることがよくありますね。
  • asijaga2nd
    で、源氏はと言うとですね…我が先祖ながら色々DQN気質が災いして、出世からは遠ざかり、義朝公が頑張ったことでようやく、頼朝公が元服と同時に昇殿する快挙を果たしました!
  • asijaga2nd
    (平家に邪魔された><的なことを、後の時代言ったりもしましたが、単純に親族で殺し合いしたり、喧嘩にかまけて仕事しなかったり、盗賊一歩手前な真似してたから、出世出来なかっただけです)
  • asijaga2nd
    頼朝公が坂東で特別な存在になったのは、ずばりココなのです。流人とはいえ、彼は殿上人、坂東武者はみんな地下人かそれ以下。
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  • それ以下っていうのは、つまり無位無官、官位も役職も冠も無い、一般ピーポーってこと。武士を武士という一言で括るのが難しいのは、官位も持たないような地方の豪族から、れっきとした武装貴族まで、一緒くたにして考えてしまう所にある、と、私は思うな。


  • asijaga2nd
    まあ、平家には殿上人がゴロゴロいるんですけど…。でも、そんな殿上の平家をぶん殴りたいと思っている人たちにとって、同じ殿上人の頼朝公を担ぐことは、非常に利にかなっていたのです。
  • asijaga2nd
    (承前)というわけで。平家は武士のくせに貴族のような暮らしをしているって認識は間違いなのです。平家は武門の家ですが、あくまで貴族。それは源氏も同じです。スタートが低い地位だったけれど、元から貴族なのです。
  • asijaga2nd
    さっきも言ったように、貴族だって下級貴族がいるのです。末端で働く貴族達は、武門の家だけでなく、デスクワーク派にもいっぱいいたのです。例えばそう、藤原信西とか大江広元とかね。源平合戦の時代期というのは、この末端で働く実務官僚たちの下克上という側面もあります。
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  • この時代まで、高位の官位は藤原氏、そしてその頂点にある藤原北家、「摂関家」が世襲し、その多くを占めていました。生まれながらのキャリア組でなければ、出世できない時代だったんです。
    ところが、今年の大河ドラマの舞台となる院政期は、そんな藤原氏による上位官職の独占が揺らぎ始めた時代だったのです。
    というのは、あまりに力を持ち始めた摂関に対して、天皇が反発を抱き始めるようになったのですね。
    摂関家は、天皇と姻戚関係を持つことで、天皇の外戚として天皇を補佐する役割「摂政」として力を奮いました。
    そこで天皇は、天皇自らが政治を行うために、より行動が自由で俗世間と関わりやすい「上皇」「院」へとクラスチェンジをして、時代の天子に対する摂政の役割を、先代の天皇が行う体制を創り上げたのです。
    これが「院政期」です。
    上皇となった天皇は積極的に「藤原摂関家」以外の人間を用い始めます。結果として、それまで地下人であった下級貴族達が活躍を始めるのです。
    もっともその活躍は、天皇の意向のみに支えられた、ともすれば危ういものであったのですが…

  • asijaga2nd
    さて、なんやかんやあって、平家のように下級貴族から太政大臣にまで上り詰める人間が出てくる時代になりましたが、ここで鎌倉時代がやってきます。武士の時代ですね。
  • asijaga2nd
    しかし、武士の時代だからといって、坂東の地下人が殿上人になれると思ったら、大間違いDA☆
  • asijaga2nd
    鎌倉幕府は色々あって(検閲)将軍家は三代で断絶し、京都から将軍を呼んで執権がそれを担ぐ執権政治がスタートすることになります。
  • sukemori_t
    なぜそこをはしょるww>RT
  • asijaga2nd
    この執権職なんですが、官位は思いがけないほど低いんですよ。えーと、確か得宗でさえ従四位上が上限。大体従五位上からそれくらいです。
  • asijaga2nd
    得宗がそのくらいなんですから、空気が読めるかどうかが生命線になる鎌倉幕府御家人・御内人の皆様に、それ以上の官位持ってる人間なんかいません
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コメント

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