マルチゲーマー平清盛とゲームデザイナー源頼朝

@bakaganeさんによる、 平安末期の武士の生き様をゲーマー視点で見た場合の分析
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銅大 @bakagane

歴史群像111号で『平清盛の野望』(橋場日月)を読む。保元、平治の乱での平清盛の身の処し方に、マルチゲーム的な面白さを感じる。どちらの場合も、清盛は「最適のタイミングまで旗幟を鮮明にせず動揺を誘う」手を使っており、なかなか腕のいいゲーマーであることが分かる。

2012-01-09 15:49:53
銅大 @bakagane

@HighTaka 保元の乱とか、明らかに対立するふたつの派閥(フンタ的に大統領派とクーデター派)の両方からコナかけられて、最後にいいとこ取りですからね。

2012-01-09 15:55:08
銅大 @bakagane

平清盛と同じくらい腕が立つもうひとりのマルチゲーマーが後白河である。どちらもバランス型の、敵対する勢力を互いにぶつけて弱めるプレイを得意とする。が、このふたりの腕が良すぎたせいか、だんだんとプレイヤーそのものの数が減っていってしまう。

2012-01-09 16:02:34
銅大 @bakagane

平家全盛は、同時にバランスを取る他の勢力が消えた時代でもあった。マルチゲームが成立しなくなったのだ。結果何が起きたかというと弱小勢力となったその他大勢のプレイヤーは、平家の足を引っ張る以外にゲームに参加できなくなっちゃったのである。

2012-01-09 16:04:01
銅大 @bakagane

そこで登場したのがゲームプレイヤーではなく、ゲームデザイナー(プランナー?)の源頼朝である。「平安マルチゲームはもうダメだからしまっちゃいましょう。これから武士はソーシャルゲーム吾妻鏡をプレイしましょう」と新しい次元の扉を開き、武士は皆、この課金(単位は奉公)ゲームにはまったのだ

2012-01-09 16:11:02
銅大 @bakagane

@minamofuduki 有能無能は難しい部分ですね。というのも、評価基準が人によって違いますので。「結果がすべて」基準ですと、後白河はあまり良い結果が出ていません。私は「有能な人間でも結果は状況しだい」基準ですので、後白河は有能であったと思います。

2012-01-09 16:14:58
銅大 @bakagane

マルチゲーマーだった平清盛と、ゲームデザイナーだった源頼朝の差は、腕や能力の差ではなく、何を大事にするかの違いだったのだろう。清盛にとってゲームは手段であって目的はそれによって得られた権力で、自らがクールだと考える交易中心の国作りをすることであった。

2012-01-09 16:23:23
銅大 @bakagane

その清盛相手にボロ負けした敗者の息子である頼朝は、平安マルチゲームというゲームそのものを憎悪し、何とかしようと考えた。ゲームに勝利したことでゲームそのものの構造的欠陥には気づけなかったのが清盛で、ゲームにボロ負けしたからゲームに限界があると知った頼朝。立場の差であり能力ではない。

2012-01-09 16:25:52