• DocSeri
    @siva_yuri クリミア戦争についての解説をお願いできないでしょうか。かなり広い範囲が戦場となった大戦であったにも関らず日本ではあまり情報が得られない感じがありまして、できれば軍の動きを中心に解説頂けると嬉しいのですが。
  • siva_yuri
    芹沢文書さんから: クリミア戦争についての解説をお願いできないでしょうか。かなり広い範囲が戦場となった大戦であったにも関らず日本ではあまり情報が得られない感じがありまして、できれば軍の動きを中心に解説頂けると嬉しいのですが。 ですか。
  • siva_yuri
    朝、書き込みに気づかずすみませんでした。ということで、お答えします。
  • siva_yuri
    クリミア戦争をお話しする前に、情報化社会という言葉の出典がどこかをお話しないといけません。 というのも、情報化社会という言葉を最初に使ったのはナイチンゲールでして、クリミア戦争は当時の情報化社会と無関係ではありませんでした。
  • siva_yuri
    クリミア戦争。その名(クリミア半島)に反して、バルカン半島でも、カムチャッカでも、バルト海でも戦いが起きた大戦争です。 期間的にも、異例といえるほど長い戦いでした。
  • siva_yuri
    戦争が起きた理由はイギリスの帝国主義の教科書ともいえる外交方針によって分かりやすく説明されています。 すなわち、軍事的バランスが崩れると戦争が起きる。 政治空白が発生するとそれを誰かが埋める。その埋めたものが友好的であることはない。です。
  • siva_yuri
    クリミア戦争の場合。地理的にも人口的にも巨大な帝国であったオスマン=トルコが長い間を経て制度疲労し、弱体化していたのがそもそもの原因でした。軍事的バランスが崩れたのです。 同時に、弱体化は(オスマン=トルコの)地方における統治能力の喪失もまねき、それは政治空白になりました。
  • siva_yuri
    その政治空白をうめたのが、他民族国家オスマン=トルコのもとでまとめられていた人々です。ギリシャ人にスラブ人、そういう人々が民族自決や民族独立を掲げて活動を始めます。
  • siva_yuri
    これらによって地域の不安定化が起きたのですが、不安定化に目を付けて、利権を増やそうと動いたのが周辺国でした。ですからクリミア戦争はオスマン=トルコの弱体化を理由にしたヨーロッパ列強+ロシアの利権拡大のさなかで起きた戦争だったといえるでしょう。
  • siva_yuri
    この不安定化に積極的に手を出していたのがロシア帝國です。 スラブの国家であるロシアはスラブ人の保護などをいい理由に今でいうルーマニアの一角に大軍を送りつけます。オスマン=トルコから見ると、統治がゆるくなった辺境で火の手があがり、火の手につられて大国が動いたのです。
  • siva_yuri
    それに対してオスマン=トルコも軍を送るのですが、すぐには開戦せず、(勝てる自信がトルコにはなかったのです)にらみ合いに退去勧告を繰り返していくのですが、らち、あかず、やむなく戦争がはじまります。
  • siva_yuri
    ここで動き出すのがフランス、ついでイギリスなのですが、イギリスは果実はとれども労働せずの基本理念から、いつものように自分では戦わないでけしかけたり手伝うふりして兵器を売りつけ、金を貸す方向ですすんでいました。
  • siva_yuri
    が。最初に説明した情報化社会というやつが、イギリスに凶悪な作用をします。 イギリスで大発達して誰もが読んでいた新聞たちが、ロシア叩きに出たのです。ロシア艦隊がオスマン=トルコの沿岸を砲撃し、火の海になって多くの民間人が被害にあったのを、こぞって新聞は虐殺だといったのです。
  • siva_yuri
    イギリスは世論に叩きだされる形で戦争に参加することになりました。 余談ながら、このイギリスの情報化社会ってやつは日本にも強く影響し、日本擁護の新聞界の動きがあって日本の歴史に大きな影響を与えます。
  • siva_yuri
    さて。ここからは軍事的な話です。少し時間を遡ってイギリスが本格参戦する前まで戻ります。ロシアはお金や武器をオスマン=トルコの独立勢力にせっせと手渡し、また長年煮え湯を飲んでいたギリシャが義勇兵をどんどんおくるという形で、敵の正面を増やして自分の正面の敵を削る手で動いていました。
  • siva_yuri
    イギリス・フランスはついに軍艦を出してこの動きをとめはじめます。さしあたってはギリシャの動きをとめさせるところからはじまっています。 で。この時点ではロシアとトルコがにらみ合っていた戦場はルーマニアの一角というくらいですからバルカン半島でした。
  • siva_yuri
    さて、トルコ、最初はあちこちの反乱で劣勢だったんですが、イギリスやフランスの協力でギリシャが黙ると息を吹き返し、ついにはドナウ川までロシアを押し出します。 が。そこで戦線が膠着しました。この段階で戦争はさっさと終わってもよさそうなものだったんですが、終わらずに続いてしまいます。
  • siva_yuri
    まあ、トルコとしては領土拡張の狙いはなかったんでドナウまでいけば終わり。だったんですが、ロシアはあきらめてなかったんですね。なんとか他の方向からせめられないかと検討した結果、艦隊を送ってトルコ本土砲撃、先ほどのイギリス参戦を招いてしまいます。
  • siva_yuri
    その上でイギリス・フランスは最初、兵をバルカン半島に送る気だったんですが、が実際に送ったんですが。近隣のオーストリアが大兵力をもって国境にあつまりだして(まあ、飛び火おそれてなんでしょうが)、結果、ここで戦うのは無理があると、矛先がクリミア半島に向きます。
  • siva_yuri
    ようやくクリミアがでてきました。ここにてクリミア戦争の名前になる大激戦地が登場します。
  • siva_yuri
    さて、クリミアが戦場になったのはオーストリアの兵の動きによる外交的、消極的理由だったのは先に説明しました。当初予定が大きく狂ったんですが、狂っただけならまだしも、情報すらまともに集めてなかった場所であるクリミアが戦場になったことで、イギリス・フランス軍の攻撃はいきなり頓挫します。
  • siva_yuri
    そもそもフランスに至っては天候の問題で艦隊の半数を失う始末。 天気予報の研究が進むのはこの事件があってからですね。 そしてロシアの兵は、守りについていえば頑強で強く、この地においてコサックは縦横無尽に動いて大いにイギリスフランスを苦しめます。
  • siva_yuri
    かくて、バルカンでもクリミアでも、戦線は膠着します。 膠着するというと、にらみあいのイメージですが、実際には第一次世界大戦の予行練習のごとき、壮絶な死傷者の群れが量産されていました。
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コメント

  • _moondoggie
    ナイチンゲールと言えば環境整備のために医療統計を取ったことで「統計学の祖」と呼ばれることもあると聞いています。その辺りも現代の情報科学社会に通じるものがあるのかもですね
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