教育機会の平等としてのエリート教育について。
エリート教育って自分の子どもは受けられないことを前提に議論した方がいい。そうすると誰のための議論か見えてくると思う。
2012-01-22 01:02:16「どんな子でも我が子は可愛い」という前提が正しいとし、かつ「自分の子がどんな人間であるかは生まれる前には予想することができない」のであれば、「自分の子供がどんな人間であろうとまっとうに育てられる」ような環境を社会には要求したいところですね。
2012-01-22 11:08:29だからエリート教育も必要なわけで。エリート教育というと聞こえが悪いかもしれないけど、例えば知的障害者は知的障害者に必要な教育を受けているわけで、それは憲法26条が保障する権利なわけで。だったら同じ理屈でギフテッドにはギフテッドにふさわしい教育を受ける権利があるわけで。
2012-01-22 11:16:54順番としては、「エリート教育はほっといても社会がしようとするが、同じ理屈で知的障害者教育が必要だ」な気がしますが。 RT @yutakioka: エリート教育にNoという人はじゃあ知的障害者の教育にもNoといわなければならない。
2012-01-22 11:20:33憲法26条に何と書いているかというと個人はその能力に等しい教育を受ける権利がある、ふつうの人がふつうの教育を受ける、これは個人の能力にふさわしい権利です。知的障害者が特別な教育を受けるのもその能力にふさわしい教育。ならばギフテッドが受ける教育はギフテッドにふさわし教育であるべき。
2012-01-22 11:20:56だから「機会の平等ではなく結果の平等」という主張ですね。 RT @yutakioka: しかし、一部が上に行くことで、例え平均以下の学力の子供の学力が下がるわけではないので、ギフテッドの教育だけを禁じるのはむしろ機会の平等に反します。
2012-01-22 11:24:56しかし、一部が上に行くことで、例えば平均以下の学力の子供の学力が下がるわけではないので、ギフテッドの教育だけを禁じるのはむしろ機会の平等に反しますRT @ynabe39 「全員が同じレベルをめざすための例外はいいけど,一部が上に行くための例外はダメ」と主張することはできるのでは。
2012-01-22 11:25:19例えばロールズが格差原理で述べている様に、ある権利が制限されなければならないとしたら、それが社会的な弱者の権利を侵害する場合である。しかし、例えば一部のギフテッドを教育することで、学力が平均以下の人が何か実害を被るのだろうか?被らない。従って禁止されるべきではない。
2012-01-22 11:27:51例えばAという人は学力が10であるとしよう。そしてBという人の学力が80であるとする。この時にこのBをギフテッドと定義して、特別な教育を施したとする。そして学力が100になったとする。この場合Aの学力には何の影響もない、むしろ全体の平均は45→55に上がる。
2012-01-22 11:30:59ここが一番の相違点かもしれませんね。私は機会の平等を結果の平等よりも重要視するので。RT @ynabe39 だから「機会の平等ではなく結果の平等」という主張ですね。
2012-01-22 11:33:08例えば先ほどの例で、もし仮にBを教育することでAの学力が下がる、もしくわ、Aに回すための予算をカットしてまでBの教育を優先させるというのであれば、私は反対する。しかし、そうでもない場合に特にギフテッドだけ差別することを正当化できるとは思わない。
2012-01-22 11:36:57日本はここに異を唱える人が多い気がするけど、何故なのだろう。一部が更に上に行くことで社会が得られる利益は決して少なくは無いのに RT @yutakioka RT @ynabe39 全員が同じレベルをめざすための例外はいいけど,一部が上に行くための例外はダメと主張することはできるの
2012-01-22 11:36:57同感です。RT @unamune @ynabe39 日本はここに異を唱える人が多い気がするけど、何故なのだろう。一部が更に上に行くことで社会が得られる利益は決して少なくは無いのに
2012-01-22 11:38:34そうですよね~。私も基本的には中高一貫校の方が効率よく勉強させられると思うんですよね。だからそのような公立が増えてきたのは望ましいことですね。RT @kazushi_ 公立の中高一貫校が増えてきたことは評価できる.30年前は中学にはなかったが高校には理数科があった.
2012-01-22 11:41:50社会的弱者を助けるのは当然これはわかる、しかし、ある程度できる人は自己責任これは著しい差別ではないのだろうか?
2012-01-22 11:43:11こういうとエリート主義者とか言われそうだが、(笑)そうではなくて、私は能力に応じた等しい教育という憲法が保障する権利を擁護しているだけ。この権利がふつうの人にも向けられるのならば、普通でない人にも向けられるべきで、その方向性が知的障害者かギフテッドかというだけ。
2012-01-22 11:48:23教育資源が有限だとすれば(実際に有限である)、特定の層への教育資源の集中投資は、他の層へのそれを相対的に減らします(したがって、直ちに実害なしとは言えない)。 RT @yutakioka: 一部のギフテッドを教育することで、学力が平均以下の人が何か実害を被るのだろうか?被らない。
2012-01-22 11:48:56だから同じ理論でもし、ギフテッドの教育はダメで知的障害者の教育はいいというのならば、これは法の下の平等に反する。
2012-01-22 11:49:03勝てる力を持ってるから・・微妙ですね。勝って欲しいという期待が大きいです。 RT @yutakioka: 社会的弱者を助けるのは当然これはわかる、しかし、ある程度できる人は自己責任これは著しい差別ではないのだろうか?
2012-01-22 11:49:26それについては、ギフテッド教育がもし、平均以下の学力の子を犠牲にして行うならば反対であると。RT @quine10 教育資源が有限だとすれば(実際に有限である)、特定の層への教育資源の集中投資は、他の層へのそれを相対的に減らします(したがって、直ちに実害なしとは言えない)。
2012-01-22 11:51:53もちろん学力別クラスというのはその一つでしょうね。でもそれだけではなくて飛び級を導入したり。RT @ALC_V 学力別クラスにすればいいだけちゃう?
2012-01-22 11:53:32@yutakioka 学校教育の場における結果の平等というのは、能力を持った子どもに対してそれに見合った処遇を受けることができないという犠牲を払わせることで維持されているんですよね。それでも親の所得が高ければ私学や塾等でカバーできるけど、環境に恵まれない場合もあるでしょうし。
2012-01-22 11:54:40同意RT@_m_n_c_ 学校教育の場における結果の平等というのは、能力を持った子どもに対してそれに見合った処遇を受けることができないという犠牲を払わせることで維持されているんですよね。それでも親の所得が高ければ私学や塾等でカバーできるけど、環境に恵まれない場合もあるでしょうし。
2012-01-22 11:56:24