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  • mstr_kk
    フォークナーはまるでドストエフスキーみたいな小説家で、わけの分からない人間を、わけの分からないまま描く。どの人物も巨きい。そして、強迫的なリフレインをはさみながら蛇行する文体がたまらない…!
  • mstr_kk
    フォークナーはさすがに万人にお薦めできる作家じゃないし、『アブサロム、アブサロム!』も意味不明な箇所が多いけど、文体が身体に馴染んでくると、とんでもない興奮が押し寄せる。
  • mstr_kk
    フォークナーは、人間の不可解な本性を描くために、伝聞という手法を用い、「○○にどうしても分からなかったのは、××が〜し、…し、--さえしたことだった」という構文を作る。
  • mstr_kk
    『アブサロム、アブサロム!』、上巻を読み終わった。13年間積ん読だった、未知の下巻へ!!
  • mstr_kk
    フォークナー『アブサロム、アブサロム!』下巻。もうね、読み進めるのがもったいないくらい面白い。物語の興奮と、冴え渡る超絶技巧!
  • mstr_kk
    クェンティンという青年が、友達に、自分の父親から聞いた話を語る。その話は、サトペンという男の物語で、父親はクェンティンの祖父からその物語を聞いたのだが、祖父は、サトペンと一緒にフランス人の建築家を追い回しているときに、サトペン自身からそれを聞いたのだった。
  • mstr_kk
    だから、ひとつの話の中に、それぞれがメチャクチャ面白いいくつもの物語が、同時に流し込まれていて、いくつもの時間が混在している。話法や構文により、その厚みがせりだしてくる。
  • mstr_kk
    これは、アメリカという国の中に、ヨーロッパから来た白人、アフリカから連れて来られた黒人、もとからいたネイティブ・アメリカンなどと、起源の異なる諸民族が混在している様とパラレルなのかも知れない。アメリカでしか書かれ得なかった小説だ。
  • mstr_kk
    しかも、周到にも、サトペンは「自分の家系がどこからやって来たのか自分でも分からない人間」として設定されていて、さらに、クェンティンが語る時点では、南北戦争により「アメリカ南部の旧体制」は崩壊している。人々は、起源から幾重にも隔てられている。
  • mstr_kk
    …なんてことを理屈っぽく言う以前に、サトペンが黒人と一緒に泥の中で眠る描写とか、黒人と犬たちから逃げる建築家が木から木へ飛び移る描写とか、サトペン一家が悲惨な大移動を行う描写とか、いちいち興奮させる名場面の目白押し。
  • mstr_kk
    過去は、経験していない過去であっても、人にとり憑く。たとえば、「おじいさんの話では…」という話法の、強迫的な反復として。/だが、現代でもそうなのだろうか?いま、『アブサロム、アブサロム!』みたいな小説は、書かれ得るのだろうか?
  • mstr_kk
    『アブサロム、アブサロム!』下巻71ページ。「悪魔」と呼ばれた男サトペンが、かわいそうでたまらなくなってきた…。中上健次の『地の果て 至上の時』の浜村龍造みたい(中上はフォークナーをお手本にしたんだから当たり前だけど)。
  • mstr_kk
    フォークナーの凄いところは、伝聞という形式を駆使することで、小説の効果として、一人称の興奮と、三人称の距離感を、つねに同居させているところ。読者は「アツい!」と感じると同時に、「冷徹だ」とも感じる。超高度で効果的。つまり、小説が上手い。
  • mstr_kk
    @mvrov 僕は講談社文芸文庫で読んでるけど、訳が古いなあと思うとこもあるんで、岩波文庫で出た上巻を読みながら、来年1月に出る下巻を待つ、というのがオススメ。
  • mstr_kk
    ひとつの事件を、いろんな人の視点から、何重にも描く。
  • mstr_kk
    大江健三郎の『万延元年のフットボール』も『アブサロム、アブサロム!』をお手本にしている。『万延元年』の技術的な特長は、現在時に最大の物語的展開を持ってきたこと。『アブサロム』の現在時は、青年2人が語り合う静的なものだが、『万延元年』では暴動の最中に兄弟が語り合う。
  • mstr_kk
    にしても、サトペン(当事者)→クェンティンの祖父(当事者の友人)→クェンティンの父→クェンティン(南部人だが当事者を知らない世代)→シュリーヴ(クェンティンの友人、南部人ですらない)、という伝聞の連鎖は凄い。これはすなわち、
  • mstr_kk
    「南部」は伝染する、物語は伝染する、というメタメッセージではないか。だってクェンティンは、物語を「聞かされすぎた」せいで語らざるを得なくなったのだし、シュリーヴも、第8章の語り手になってしまう(関係ない奴なのにwww)
  • mvrov
    @mstr_kk 「繁茂する南」っていう中上のナイスなコピーがあったよね~RT: 「南部」は伝染する、物語は伝染する、というメタメッセージではないか。だってクェンティンは、物語を「聞かされすぎた」せいで語らざるを得なくなったのだし、シュリーヴも、第8章の語り手になってしまう
  • mstr_kk
    @mvrov そう!さらに柄谷は、「物語というウイルス」と言ったんだよ(中上のことをね)。
  • mstr_kk
    『アブサロム、アブサロム!』読み終わった…13年越し…本当に凄い小説だった…
  • mstr_kk
    とにかく、これから僕は、しばらく小説を読もうと思います。海外の、長編の、名作を。このままフォークナー再読コースで行くか、ドストエフスキー再読コースに行くか、ガルシア=マルケスに行くか。批評とか思想とかはあと、あと!戯曲もあと、あと!
  • mstr_kk
    フォークナーの『八月の光』をターゲットにしました。100ページ読みました。これも面白い!そして、『アブサロム、アブサロム!』より10倍くらい分かりやすい!
  • mstr_kk
    フォークナーの人間観は、きっと、「生まれる前からかけられている、永久にとけない呪いに、忍耐し続ける」というものであり、そこにだけ希望を見ている。なまなかな精神では、そんな認識に耐えて小説を書き続けることはできない。恐ろしい作家だ。
  • mstr_kk
    呪いの恐ろしさは、呪い自体が無根拠なものであることが分かっても、それがとけることはない、というところにある。それは歴史と同じなのだ。呪いと向き合ってしまった作家は、それを忍耐しながら、死ぬまで書き続けるしかないのかも知れない。
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