渡邊芳之先生@ynabe39の「内藤朝雄@naitoasaoのいじめ分析が衝撃的であると同時に反感も買うのは,社会文化資本に富んでいたり知的に優れていたりすることで将来社会的強者になる可能性の高い子どもを弱者側の子どもがいじめて潰す,というある種の「弱者の自己防衛」パターンを主要な分析対象にしているからだと思う。」

けっきょく内藤さんの本を読んで「まさにまさに」と素直に思えるのは私のようにいじめられた子どもが育って学者になったような種類の人間だけなのかもしれない。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

内藤朝雄のいじめ分析が衝撃的であると同時に反感も買うのは,社会文化資本に富んでいたり知的に優れていたりすることで将来社会的強者になる可能性の高い子どもを弱者側の子どもがいじめて潰す,というある種の「弱者の自己防衛」パターンを主要な分析対象にしているからだと思う。

2012-01-31 07:25:06
渡邊芳之 @ynabe39

そして著者自身も「自分が優れているから優れていないものからのいじめに遭った」といういじめ観を非常に強く持っているように見える。それはもちろんリアルに事実として存在するシステムなのだが,それを認めたくない人,あるいは自分の受けたいじめはそれではないと思う人も多いだろう。

2012-01-31 07:26:58
渡邊芳之 @ynabe39

「いじめているほうが社会的弱者」というのはほんとうによくあるパターンなのだが,自分を「将来の強者」側に置くことなしにそれを認識することと「いじめは悪くない」的な発想になることを区別するのはけっこう難しいのではないか。

2012-01-31 07:31:49
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょく「悪いこと」というのは「これこれこういう理由で悪い」という論理によって決定されるのではなくて「とにかく○○は悪い」という倫理とか価値とかで決まることだと思う。「人を殺すことはなぜ悪いのか」「いじめはなぜ悪いのか」とか言っている時点ですでにズレてしまう。

2012-01-31 07:34:15
渡邊芳之 @ynabe39

「日本人は子どもが嫌い」というのは相当に事実だと思う。

2012-01-31 07:37:02
渡邊芳之 @ynabe39

いじめられることで「自分はいじめられて当然,いじめられる要素が自分にある」と思うようになる子は多いですね。いっぽう内藤さんは一貫して「自分をいじめる他の子どもや学校,社会のほうが悪い」と考え続けたわけです。だから普通のいじめられっ子は内藤さんに共感できない。@SF_yomi

2012-01-31 07:39:27
渡邊芳之 @ynabe39

内藤さんが守ってきたような「自分ではなく相手が間違っている」という確固たる世界観みたいなもの自体が「社会的強者のあかし」だし,社会的弱者から見れば典型的にいじめて潰したいものに見えると思う。

2012-01-31 07:42:04
渡邊芳之 @ynabe39

いじめられたでしょう? RT @zgohho: 私は昔から社会が悪い!派でしたが

2012-01-31 07:42:23
渡邊芳之 @ynabe39

それはもうはっきりそうですね。 RT @rhinoeye: 自由気ままなひとや、奔放な価値観を持つひとを実は嫌っている、という意味でしょうか。 RT @ynabe39 「日本人は子どもが嫌い」というのは相当に事実だと思う。

2012-01-31 07:43:12
渡邊芳之 @ynabe39

古典的な社会的認知のバランス理論からみても,いじめられている子が「自分がいじめられることには理由があり,それは間違っていない」と考えることは多くの場面で斉合的になるだろう。

2012-01-31 07:45:08
渡邊芳之 @ynabe39

もちろんいじめている子が「自分がいじめているのは,いじめられている子にいじめられる理由があるからだ」と考えるようになるのも自然だ。

2012-01-31 07:45:55
渡邊芳之 @ynabe39

そういった「いじめられれて当然」という「認知的バランス」の中に落ち込まないで「自分は悪くない」と考え続けるためには,すでに「いじめられる以前」の社会文化的資本が必要になると思う。端的に言って「頭がよくなければならない」のだから。

2012-01-31 07:48:31
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょく内藤さんの本を読んで「まさにまさに」と素直に思えるのは私のようにいじめられた子どもが育って学者になったような種類の人間だけなのかもしれない。

2012-01-31 07:50:00
渡邊芳之 @ynabe39

「いじめられて自殺しないタイプのいじめられっ子によるいじめ論」。

2012-01-31 08:50:38
渡邊芳之 @ynabe39

まさにまさに,子どもを嫌うのが子どもです。 RT @nsetz: それにしては、日本は子ども社会である。子どもを嫌うのが「子ども」とも考えられるだろうか。

2012-01-31 08:58:04
渡邊芳之 @ynabe39

俺は自分の子どもをかわいいと思えるようになるのに数年かかったが,人のうちの子どもはその後もずっと汚らしくて憎たらしいだけだった。最近は人のうちの子どもも多少かわいいと思えるようになったところを見ると,ようやく大人になってきたのではないか。

2012-01-31 09:03:35
渡邊芳之 @ynabe39

学校で英語教えていて成績のいい子は褒められているのに帰国子女とかで英語がすごくできるといじめられるというのは面白いよね。「みんなと同じ苦労を共有しないのはずるい」みたいな感じなのかね。

2012-01-31 09:05:28
渡邊芳之 @ynabe39

なにしろ「できる」ことよりも「苦労する」ことのほうが評価される社会なんだよね。そりゃあみんなどんどんできなくなるわけだ。

2012-01-31 09:06:05
渡邊芳之 @ynabe39

べつに文科省がおかしいんじゃないと思う。文科省だけの勝手で日本の教育制度や教育現場の雰囲気が作られてるわけじゃないんで,われわれみんなで日本の学校をそうしているんだと思う。

2012-01-31 09:24:19
渡邊芳之 @ynabe39

「超優秀」なのが問題じゃなくて「みんなと同じ苦労をしていないのに優秀である」ことが問題なんです。 RT @watanabehirono: @omiyas @skjpa アメリカでは特定科目で超優秀な子というのは、いじめの対象にはなっていないんでしょうか?

2012-01-31 09:36:40
渡邊芳之 @ynabe39

その落差をなくすために社会全体の学校化を進めているのが現状です。 RT @pi_ro_ri: 正しくは、評価される「学校」なんじゃないか。社会は基本結果で回ってる。そこに学校とそうでない場所の落差がある。 

2012-01-31 09:42:20
渡邊芳之 @ynabe39

学校と企業社会が違うのは当たり前,ということをきちんと認めて,学校から企業社会への移行をきちんとやることが大事なのに,学校にも企業社会のようなことを求めたり,逆に企業社会に学校化を求めたりするような議論ばかりされている。

2012-01-31 09:44:22
渡邊芳之 @ynabe39

学校も企業もそれぞれ「社会の一部」だけれど,社会の部分を超えて普遍的であるような「社会のルール」とか「社会のあるべき姿」なんて基本的な倫理や道徳くらいしかないと思う。学校と企業は目的も目標も違うのだから,違うシステムと違うルールを持っていて当たり前。

2012-01-31 09:47:52
渡邊芳之 @ynabe39

時間の余裕と多様性への寛容はたいてい相関しますね。 RT @kyougenki: そうですね。ただ、文科省の指導要領を超える優等生や帰国子女を先生が邪魔にする傾向が昔より顕著になったと感じます。同質化のための雑務が増えて先生方の余裕がなくなってる。

2012-01-31 09:50:51
渡邊芳之 @ynabe39

自分が努力するより他人を貶めることで自分が優位に立つほうがコストが低いからね。

2012-01-31 10:23:24