茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの「原理を貫くことと、融通無碍であること」の連続ツイート

脳科学者・茂木健一郎さんの2月2日の連続ツイート。 本日は、さっきヤクルトを飲みながら思いだしたことについて!
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茂木健一郎 @kenichiromogi

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

2012-02-02 06:51:23
茂木健一郎 @kenichiromogi

ヤクルトからコーヒーへの、黄金のリレー、完成!

2012-02-02 07:16:11
茂木健一郎 @kenichiromogi

「連続ツイート」をお届けします。文章は、その場で組み立てながら即興的に書いています! 本日は、さっきヤクルトを飲みながらふと思いだしたことについて!

2012-02-02 07:19:53
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(1)禅僧の南直哉さん(@jikisai_minami)とは、対談して『人は死ぬから生きられる』という本をつくった。今は恐山の院代をされている直哉さん。大変深い思想をもった方で、お目にかかる度にいろいろなことを示唆され、考えるきっかけをいただいている。

2012-02-02 07:22:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(2)仏教は宗教であると同時に思想である。「無記」の思想に特に心を惹かれる。魂があるか、死後の世界があるか、どうして私たちはここにいるのか、そのような問いに「私は答えない」と仏陀は言った。そのような問いを立てるよりも、今、ここの生きる苦しみを救うことが先決であると。

2012-02-02 07:23:17
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(3)直哉さんの話で印象に残っているのが、世間では、生きるということや、前向きということを肯定的な価値としてとらえがちだが、宗教者は、生も死も、本当は区別はないかもしれないというところまで一度は 降りていって、その上で、生きることを語り、支えるということ。振れ幅が広いのだ。

2012-02-02 07:24:41
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(4)厳しい修行をして、考えている人には独特のオーラがある。直哉さんが修業のため永平寺に入ったら、突然女性にもて始めたというのもわかる気がする。永平寺を歩いていると、すれ違う禅僧たちが、同じ空間にいながら我々俗のものとは異なる空気をまとっていることに心打たれる。

2012-02-02 07:26:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(5)その直哉さんが言われたことで、特に心に刺さったのが、融通無碍の問題である。ある時、東北で住職をしている時に、おばあさんが直哉さんに聞いた。お坊さん、私は死んだら極楽に行けますかね? 目の前に、見上げるおばあさんの瞳がある。

2012-02-02 07:27:18
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(6)そんな時に、「いいかい、おばあちゃん、仏教ではそもそも無記と言ってね、魂があるかどうか、死んだら極楽があるのかどうか、そういう問いについては、答えない、ということになっているんだよ」と言えば原理を貫くことになるのだろうが、直哉さんはそうはしなかった。

2012-02-02 07:28:15
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(7)「それはそうだよ。おばあちゃんのように苦労した人が、極楽に行けなかったら、誰が行けるというの。おばあちゃんは、まだまだ元気で死なないけど、死んだから必ず極楽に行けるから」と直哉さんは答えたというのである。

2012-02-02 07:29:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(8)私たちの生きる現場はふしぎなやわらかさに包まれている。人と人が向き合うときに、私たちは相手の心の奥にある消息を聞く。そのとき、必ずしも「原理」を貫かなかったとしても、それは決して妥協でも優柔不断でもなく、一つの命の理のようなものではないのだろうか。

2012-02-02 07:30:17
茂木健一郎 @kenichiromogi

げゆ(9)原理を貫くことと、融通無碍であること。その間のバランスは難しい。イデオロギーは時に人を殺す。もちろん、一切の原理がなくていいというのではない。「無記」の思想に深く感じながらも、目の前のおばあちゃんに「極楽に行けるよ」と言う。その時、きっと人間の顔をしている。

2012-02-02 07:31:27
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、「原理を貫くことと、融通無碍であること」の連続ツイートでした。

2012-02-02 07:31:42