決断できない政治の愚かしさについて

標題どおり。
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fj197099 @fj197099

普天間問題を巡り日本には本当に社会階層のあらゆる段階に拒否権者がいて、まともなことは全く決められないという印象を諸外国に対して強めたと思う。同盟に関わる話であり、国家の安保政策なのである。一地方自治体である県や名護市に拒否権があるなんて考えるほうが正直言えば頭がおかしいのだ。

2012-02-06 22:43:19
fj197099 @fj197099

けれども現実に日本社会では拒否権があるのだ。法律で決まっていないことでも「地元への配慮」などの情緒論が先行して大事なことは決められない。名護市の判断と国家の判断の優劣さえつけられない。県に至っては法律上の拒否権まで与えてしまっている。公有水面使用許可である。呆れる話ではないか。

2012-02-06 22:45:28
fj197099 @fj197099

そしていとも愚かしい事に決められないことを「民主主義」だと錯覚している。コンセンサス主義の悪しき弊害であるというしかない。前にも言ったがこの国にはリーダーシップという発想がない。受け止めとしてリーダーシップと独裁は紙一重になる。全体の利益、公共の福祉を重視する考えはまず潰される。

2012-02-06 22:47:44
fj197099 @fj197099

ケビン・メアの『決断できない日本』が指摘する通りと言う外ない。重要なことは一切決めない、決められない。それが「民主主義」であり、「弱者への配慮」であり、「人間としての優しさ」になるらしい。だから鳩山由紀夫のような無定見の八方美人が未だに失脚もしない。政治の本質を理解できていない。

2012-02-06 22:50:42
fj197099 @fj197099

政治の本質は「価値の分配」である。価値あるものは無限に存在しない。そこでどう分配するかの問題が発生する。結果として勝者ができ、敗者もできる。不平等が生じ、不満や恨みも発生する。だがそれは政治の帰結として避け難いのだ。その結論を否定したら政治そのものを否定することになってしまう。

2012-02-06 22:53:53
fj197099 @fj197099

政治をするからには政治的な決断を行うリーダーが必要だ。共同体の価値の分配のあり方を決めるのだ。リーダーには決定権とそれを他者に受け入れさせるための権威が必要である。だが仮にここで共同体の各メンバーが決定に拒否権を持っていたらどうなるか。船頭多くして船山に登る結果なのは明らかだ。

2012-02-06 22:55:53
fj197099 @fj197099

なぜなら政治の決定には必然的に不平等が伴う。不平等に不満を持つメンバーがその決定を覆すことができるなら、決定そのものが不可能になる。これは政治の否定に他ならない。拒否権者はリーダーの決定を覆すことで、効果的に共同体そのものの存在意義を否定しているのだ。共同体は解体の憂き目を見る。

2012-02-06 22:57:42
fj197099 @fj197099

抽象的な話をしたが、実はこれが日本社会のあらゆるところで起こっていることなのである。普天間だけではない。普天間は反基地運動の個人・団体、名護市、沖縄県などの存在が国家の政策を否定した。だが同種の問題は他にも幾らでもある。消費増税やTPPだって殆どこれと同じ構図で決められないのだ。

2012-02-06 22:59:25
fj197099 @fj197099

無論、このことはあらゆる問題において国家のリーダーが専権的に全てを決定すべきだという話ではない。そこまで極端なのは独裁である。権力の分立という言葉があるように、チェック&バランスは重要だ。しかしある特定の分野においては国家のリーダーの決定権は至高のものであるべきである。

2012-02-06 23:01:03
fj197099 @fj197099

すなわちそうした分野は主に危機管理に関わる分野である。特に安全保障。国家に出来なければその役割を代替する存在はない。地方自治体に拒否権などもってのほかだ。決断の時間的余裕がない時に愚行を繰り返す余地はない。リーダーシップがなにより必要とされる。安保以外の危機管理でも同じである。

2012-02-06 23:04:17
fj197099 @fj197099

危機管理以外の分野でも多かれ少なかれ国家でなければ最適な判断ができない分野というものはあるだろう。社会保障にしても貿易自由化にしても国ができない決断を誰かが代替できるというのか。国しかできないのなら国の判断に十分な権威が与えられるべきである。拒否権者の跳梁跋扈を許すべきではない。

2012-02-06 23:06:02
fj197099 @fj197099

多分、多くの日本人はこの限界に既に気づいている。だから「決められない政治」への拒否感も強いのだ。時代は拒否権者を粉砕する強いリーダーを求めている。それが大阪市の橋本市長人気にも繋がっているのだろう。無論危うさもある。バランスは重要だが、いつまでも政治が「決められない」のは困る。

2012-02-06 23:08:13