石巻の門脇小学校校長(当時)や元教育長が「あの日」と現状を語る
いま、参加者同士、前後左右の皆さんが自己紹介をしています。最初、ええっと戸惑いはありましたが、みなさん和やかにお話ししています。 #石巻を知る。
2012-02-19 13:15:28阿部和夫 元石巻市教育長から、石巻と雄勝で市民が撮った津波襲来の動画を紹介。町が丸ごと動いていく様子、並木がみるみる埋もれていく様子などはじめて見たショックな画像でした。 #石巻を知る。
2012-02-19 13:35:57続いて、鈴木洋子 前門脇小学校校長の講演。今日の参加者は、石巻出身者、石巻にボランティア行った人、石巻のことはよく知らないけれど知りたいという人が1/3ずつ。 #石巻を知る。
2012-02-19 13:38:15鈴木:まずは石巻市の歴史から。去年の2月の人口は16万2千人。地理は2つにわかれる。岩手から流れる北上川が追波湾にながれこむ。大川小があって犠牲がとても大きかったところ。もうひとつは旧北上川。流れ込む石巻湾のそばには、私の通った門脇小がある。すぐ西には、日本製紙など工場がある。
2012-02-19 13:41:16鈴木:石巻は江戸からすごく栄えたところ。二つの川で、米を運んだ。藩政当時、石巻がいかに反映したかが,石巻絵図にかかれている。この絵図、校長室にった。卒業する子どもたちを校長室に招いて絵図を見せ、お抹茶を飲ませながら、卒業を祝う茶会をしておりました。
2012-02-19 13:43:05鈴木:あの日あのときのこと。あの日は、私にとって33年の教員生活を終えようとし、最後の朝会の日でした。子どもたちに残そうと思ったのが「桃花春風に笑む」。別れの季節なので、人が去っていくのだけど、季節がめぐればまた人はやってくるんだよ、という意味。
2012-02-19 13:44:59鈴木:生きていくうえで、辛いこともあるけれど、いいこともいつかやってくるんだよ、という意味として、子どもたちに伝えた。その日の午後、まさか、その通りのこと(大震災)がやってくるとは、朝会の時は思っても見なかった。
2012-02-19 13:46:25鈴木:校長室で仕事をしていたとき、大きな揺れがきた。「あ、きたな」と思った。宮城県沖地震がくると言われていたし、2日前にも震度5がきていた。宮城県沖地震どころじゃなかった。立って捕まっていることもできなくて、子どもたちがパニックを起こすんじゃないかと、揺れの最中に避難指示を出した
2012-02-19 13:48:27鈴木:不安の時におののいているので、涙流したり、大きな声を出したりして、不安を増幅させる。それを押さえたくて、避難の時学校の階段の所に立ち、いつも指示しているように「静かに!」と指示をした。子どもたちは、カバンもオーバーも着ないで避難をした。その後、大津波警報がでた。
2012-02-19 13:49:55鈴木:保護者の方、近所の方がどんどんきた。学校は、海から800Mだから、津波の日難波所じゃないのに、地域の人たちがたくさん来たため、教頭などに対応をさせた。子どもたちは山に避難をした。その後、津波が来た。
2012-02-19 13:51:13鈴木:300人の在籍数ですけれども、犠牲者は7人。欠席、たまたま早い時間に帰宅した子どもが、親と一緒に犠牲になった。避難してから30分ほどしてから旧北上川と湾の2方向から、津波が来た。波が盛り上がった。町の道路が水路になった。南と東から来た波が一直線になって、どーんとなった。
2012-02-19 13:53:05鈴木:学校は海抜10メートル。そこに波がばーんと押し寄せてきた。山に避難してそこからみていたが、そこでも波に襲われそうな錯覚をおこしそうになった。雪がいっぱいふっていて、ものすごく寒かった。地域の人たちがビニール袋を切って、こどもたちを覆ってくれた。
2012-02-19 13:54:30鈴木:校舎で住民対応にあたっていた教員たちが山に上がってきたのをみたら、雪でずぶぬれだった。住民の人たちに後から言われたのは「先生、子どもたちと一緒に逃げたから助かったんです」。子どもたちの動きが地域の人たちの避難を促すことになったのは、よかった。
2012-02-19 13:55:53鈴木:ものすごい人数があちこちの避難所に。最終的に落ち着いたのが石巻高校。親が迎えに来られなかったのが40人。教員は、避難の時にブルーシートと名簿を持ってきた。
2012-02-19 13:57:46鈴木:子どもたちの卒業式は4月。その時も「桃花春風に笑む」を話をした。保護者と、「子育てはともに」と一緒にやってきた。真夏の暑いときに、避難訓練をして、保護者から文句を言われたこともあったが、一緒にやってよかったねと言っている。
2012-02-19 13:59:14休憩です。フリーアナウンサーできき酒師のあおい有紀さんから、きょう会場でふるまわれる石巻の銘酒・日高見と、日和山のかざみどりのクッキーの説明中。 #石巻を知る。
2012-02-19 14:35:04阿部:新聞で、ある家族8人の死亡広告を見た。石巻市のだれもが、親戚知人の誰かを亡くしている。8月4日の石巻河北。その裏側が全部死亡広告。こういう日が何日も続きました。11ヵ月が過ぎたいまも、告別式の死亡広告がいまでも新聞に出る。身元判明と、ふんぎりがついたのと両方だろう。
2012-02-19 15:00:54阿部:今の問題。不便な住環境。仮設住宅の暮らし。すべての地区に仮設がある。公だけでなく、民間の土地を借り受けて、134の団地ができた。仮設住宅では、暑さ、寒さ、苦労の多い生活のようである。でも本当の問題はこれから。2年の期限のあとどうするのか。元の土地に戻れるのか,移転できるのか
2012-02-19 15:02:42阿部:仮設住宅に入らないで壊れた住宅の2階に暮らしているような人たち、3千世帯はある。ここが行政の網の目から漏れている。仮設住宅からお世話が届く。2回で暮らしている人たちには目が届かず、そのままの状態。
2012-02-19 15:04:35阿部:あとは災害廃棄物の問題。石巻市は120年分に相当。宮城県全体の廃棄物の40%を石巻が占めている。みな仮置き場に積み重ねられている。仮置き場にあるのは42%。残りはまだ解体されないまま残っている。それが運ばれれば、もっともっと増える。もっと満杯。もう置けないところが2カ所。
2012-02-19 15:06:40