ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化、「出生後中絶」論文論争について
- hijijikiki
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@spitzibara @genjibosi あのやり取りには前段階があるので、江口先生も誤解が広まると困るとおっしゃっていることだし、もし良かったら追記していただけないでしょうか。http://t.co/NUOgUKH4 http://t.co/Ab4nEEIB その後に
2012-03-05 11:08:07@spitzibara @genjibosi http://t.co/MZ2Pp1Ae が続いて、その後であのやり取りになります。その後は、江口先生が「これはしゃべった記憶がある」と認められた発言だけを問題にしているつもりですが、今回の「出生後中絶」を巡る言論の自由に繋がる何かが
2012-03-05 11:11:53@spitzibara @genjibosi 問題の論文著者らから公開書簡が出たようですが、そこにも書かれている「アカデミックな世界の議論を、一般社会の人間は読み違えている」ということとか、その両者の溝とか。
2012-03-05 11:20:03それにしても、私は批判した時の書き方の不備については自分なりに誠意を尽くして謝罪したつもりだけど、その謝罪を受け止めたという意思表示は先方からいただけていない。下げた頭に向かって、高いところから別件を持ちだして、まるで学生に対するようなご指導とご教示が降ってきた。
2012-03-05 11:35:14ふつう、誰かに対して「この本だって、どうせ読んでいないだろう」と決めつけて、相手が既に読んでいたと分かったら、それは非礼を働いたこととして一応「失礼しました」くらいは言うのが礼儀というものじゃないかと思うのだけど、それもいただけていない。
2012-03-05 11:41:46@spitzibara ここでも返ってきたのは、その本に関する私のエントリーの一節についてのご解説だった。そういう一連の対応にも、一部のお医者さんたちに見られる、医師同士または個人的なつきあいの世界でのふるまい方と、患者を相手にした時のふるまい方との使い分けに近いものを感じて、
2012-03-05 11:48:08@spitzibara ここ数日、連続ツイートしている「出生後中絶」論文論争での「知的な議論だから」から、連想がそこにいったのだけど、実はそれ以前にシンガーが障害者運動に対して「どうして実際に殺している医師を叩かずに自分を叩くのか分からない」との発言を思い出し出していました。
2012-03-05 11:54:58@spitzibara ただこれについては、ツイッターでのやり取りで江口先生から誤読しているとのご指摘を受けたままになっていたので、確認しないうちは書きようがなく、やっと問題のインタビューのトランスクリプトを再読しました。これについては、もうちょっと整理してブログにアップします。
2012-03-05 11:58:01そういう医師や学者さんたちの使い分けの背景にある、言ってみれば特権意識みたいなものが、専門分野の価値意識やアカデミックな議論を優位として疑わず一般社会からの異議申し立てへの感受性が鈍いことに通じているのでは、ということを、このところ言いたかったのか・・・?
2012-03-05 12:10:30@spitzibara 礼儀しらずなものですからいろいろご不快な思いをさせているのだと思い反省しております。
2012-03-05 12:33:13@spitzibara 私の人格についてのさまざまなご批判は甘んじて受けるつもりですが、謝罪されるのはあたらないかと思います。私がおねがいしているのは、発言や振舞いを正確に表現されることです。
2012-03-05 12:36:07@spitzibara 私がしゃべったことははっきり「江口がこう言った」と表現してください。そしてなるべく正確におねがいします。
2012-03-05 12:37:20@spitzibara 問題の「酒の席とはいえ、私が重症児の親であると知りつつ正面きって「障害児は殺したっていい」「少なくとも俺(大学教授)のような仕事をして、こうして酒を飲み議論するようなシアワセな生活はできない」はおそらく正確ではないです。
2012-03-05 12:39:03@spitzibara うしろの方は、「幸福は完全に主観的なもので他人には判断がつかない」という考え方がうまくいくかどうかという話の文脈だったはずです。
2012-03-05 12:40:54@spitzibara そして、そういう考え方はとりにくいという話だったと思います。なぜなら、やはり私「たち」(大学教授ではなく、その場にいる人々すべて)が
2012-03-05 12:43:40@spitzibara 酒を飲んだり議論したり愛しあったり憎みあったり)さまざまな活動や経験をしている状態は、そうでない状態より幸福だろうと考えざるをえない、という話だったはずです。
2012-03-05 12:44:07@spitzibara そしてそれは私自身の立場というよりは、倫理学の(いちおう)スタンダードな(?)考え方の一つの紹介としての話だったと思います。
2012-03-05 12:47:07@spitzibara むずかしいですが、個人的な思いやふるまいと、学者としての責任はある程度区別しなければならないと思っています。もちろんすっきり切りわけられるものではないですが、研究者としてたずねられたり批判されている場合はやはり研究者として対応しなければならないと思います。
2012-03-05 12:52:37@spitzibara これも正確ではないです。http://t.co/WPqSgzge では読んでないだろうとは書いてないはずです。実際読んでいるだろうと思ってました。できるかぎり偏見を捨てて正しく読んでほしいということです。
2012-03-05 12:58:37@spitzibara ただし、第2版の最後の付録の部分に目を通していないだろうとは思ったのを憶えています。なぜだったかはよく思いだせません。
2012-03-05 12:59:12@eguchi_thu5 敢えて不正確に捻じ曲げて書いたつもりは私にはありませんし、それぞれの記憶や受け止め方の問題ですから、この点は水掛け論にしかならないんじゃないでしょうか。互いに非を認めさせようとするよりも、自分から見たらこう見えるということをそれぞれに書いて、そこから
2012-03-05 13:02:22@spitzibara @eguchi_thu5 アカデミックな世界におられる先生と、その世界の議論に脅かされていると感じる一般人である私との、溝が見えてくれば、それなりに生産的なんじゃないでしょうか。なんだか、やりとりがGiubiliniさんたちの論文周辺に近い感じがするので。
2012-03-05 13:04:32そう思います。 RT @spitzibara: 敢えて不正確に捻じ曲げて書いたつもりは私にはありませんし、それぞれの記憶や受け止め方の問題ですから、この点は水掛け論にしかならないんじゃないでしょうか。
2012-03-05 13:06:59