読解力の種類について。

特定の文を読む際に必要と思われる読解力を大まかに分類してみました~。
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

TLでしばしば見かける読解力がない(と思われる人)というのはおそらく、(1)どの文章に対しても同じような方法で読むことができると信じている(2)または、ある特定の読み方しか知らないのではないかと思う。

2012-03-06 05:14:55
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

私が思うに文章の読み方は大きく分けて3つあると思われる。(1)文章内の根拠だけを手掛かりにその文章を読む方法(2)文章内の根拠に+して自分の主観的経験や偏見を加えながら読む方法。(3)文章内で提示されている根拠を補足する為にその文章内の議論と関連するソースを参照しながら読む方法。

2012-03-06 05:18:57
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

(1)の読みが必要なのは主に論説文であり「事実」に関する言及がなされている文について。(2)の読み方が必要なのは小説や詩、随筆、あるいは個人の経験などが書かれた文章。(3)の読みが必要なのは主に論説文や小説の中でも、もし(1)や(2)の読み方をしてみて適切な解釈が見つからない時。

2012-03-06 05:21:52
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

例えば、「AはBでありCはDである」という文があったとする。この文章に対して適切な解釈は、もしこの文が事実に関する記述でらることが文脈から明らかであれば(1)の読みをするべきである。しかし、読解力が低いと思われる人は先ほどの理由から、(2)のような読みをしたりしていると思われる。

2012-03-06 05:24:01
加藤@ガトリングチューン @rinneyggdrasill

@yutakioka それまでの人生で物事を順序立てて考えるってことを全くやってこなかった人ってのは、根拠と結論の間にあるプロセスを認識することができないのかもしれませんね。だから関連の無いことが根拠として成立すると思ったり、論理的に語られている事柄を見当外れの理由で否定できる。

2012-03-10 11:29:04
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@rinneyggdrasill そして、その根拠と結論との関係性を吟味しないので、自分が思う結論を示唆するような根拠が文中に内にも関わらずそれがあると思い込むパターンが多いですね。私が「それどこに書いてあるんですか?」と聞かなければいけない事態に陥るのもそういう事だと思います。

2012-03-10 11:33:28
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

読解力がない人もこのタイプの人とかぶっていて。例えば私はよく、文中に全く書かれていないことを持ち出されて藁人形論法されるんだけど、それがなぜなのかと考えたら、そういうタイプの人は人の話を聞こうとするよりもまず自分の結論があるから、結論ありきで相手の考えや文章を読む。

2012-03-10 11:35:31
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

(1)の読みをすると当然ここではAとCが主語でそれぞれの特徴B,Dを記述していると考えられる。ここで(2)の読み方をすると無理やりだがこんな読み方もできる。AはBより優れているとこの文の作成者は言いたいのだなと。つまり読み手側がこの文中からは演繹できない前提を勝手に想定する場合。

2012-03-06 05:26:00
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

この誤読により、この読解力のない人は、この文の作成者の”差別意識”を攻撃したりする。こういう例はほんとによくある(笑)。なぜそういえるかというと、文中のどこに書いてありました?と質問すると「書いていないけどそう思いました」とかそういう印象を(勝手に)受けましたとか言われる。

2012-03-06 05:28:51
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

この様な誤読をなぜするのかというと初めに書いたように、どの文章でも(2)の読み方ができると信じているか単に(1)の読み方をすべきであるという事に気が付かず(2)の読み方をしているからと思われる。前者の場合はどうしようもないが、後者の場合は訓練でどうにかなる。

2012-03-06 05:30:04
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

センター試験などの問題における読解というのは一応論説であってもあるいは小説でも(1)の読み方をした解釈を”正解”としている。であるから、センター試験の場合は常に正解は決定できるし、間違えの選択肢には(2)や(3)の読みをした場合の解釈が含まれている。

2012-03-06 05:31:28
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ここでの論説文・小説という区別は厳密である必要はないが、とりあえず実在する「事実」に関する言及をしている文章なのか実在しないその環境内での「事実」に関する言及をしているのかという観点から区別をしておく。

2012-03-06 05:34:46
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

(3)の読みは主に何らかの資料の文脈を調べるときや、”相互参照型”の小説や詩などを読む場合に有効的な読み方といえる。”相互参照型”というのはある小説が他の小説に対して開かれているような小説の組み合わせを言う。

2012-03-06 05:38:36
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

開かれているとは、ある小説がある小説のパロデイであったりモチーフを利用している場合を指す。この用語は単に便宜的につけてみた。

2012-03-06 05:39:39
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ある特定の種類の文章には一応それにより適した読み方があるといえるだろう。私が示したいくつかの組み合わせはその一例に過ぎないという事を強調しておく。

2012-03-06 05:41:19
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

これが読解力がある人とないと思われる人との大きな差。帰納と演繹の違いといってもいい。

2012-03-10 11:41:45
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

読解力がある人は、まず自分の意見はおいておいて、文章中の根拠から演繹して、その内容を理解する読み方をする。そして、相手の考えを理解した後に自分の考えと比較してみる。

2012-03-10 11:40:02
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

そして、自分の思い込みの結論を導くための根拠が相手の文中にないかを探し出す。これが彼らが書かれていないにも拘わらず、そう書かれているような気がしました、そういう印象です、それに近い表現がありましたと言い出す理由。つまり文章を自分の考えに合わせようとする、だからあり得ない解釈をする

2012-03-10 11:38:51