堀茂樹先生( @hori_shigeki )の連続ツイート「上司に命令されたら、〈それがどんな命令であっても〉自分で考えるな。黙って従え。その代わり、お前に責任はない」と言うが如き橋下徹流「組織論」は民主主義の文化に反する

堀茂樹先生( @hori_shigeki )の連続ツイート「上司に命令されたら、〈それがどんな命令であっても〉自分で考えるな。黙って従え。その代わり、お前に責任はない」と言うが如き橋下徹流「組織論」は民主主義の文化に反する 橋下氏が知事だった2011年6月、府立学校の教職員に起立斉唱を義務付ける「君が代起立条例」を施行した。府教委は既に2012年の卒業式で不起立だった高校教員17人を戒告処分とした上で、今後は起立斉唱の職務命令に従うとする書面に署名、押印を要求。同意を拒んだ場合は定年退職後に再任用しない可能性を示唆している……とか。 続きを読む
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堀 茂樹 @hori_shigeki

①「[校長の任務は職務命令の忠実な実行。]ゆえに校長には責任はないのである」( @t_ishin)という橋下氏の「組織」論には呆れます。責任は上司にあると言う点で尤もらしく聞こえますが、実は、部下から一切の責任能力(←ふつう大人なら誰でも持っている)を奪うトンデモ組織論です。②へ

2012-03-15 19:53:08
堀 茂樹 @hori_shigeki

②つまり、部下に対し、「上司に命令されたら、〈それがどんな命令であっても〉自分で考えるな。黙って従え。その代わり、お前に責任はない」と言う訳です。かくして、『君が代』をめぐる口元チェック行為の責任は、校長→教育委員会→知事と遡り、結局、知事を選出した府民にあるという理窟です。③へ

2012-03-15 19:53:31
堀 茂樹 @hori_shigeki

③この手の理窟は、日本の旧いタテ社会的集団主義の感覚にフィットし、しかも同時に、現代日本で橋下市長程度の人々が分かったつもりでいる民主主義の原則の一面にも合致しているように見えるのですね。困ったものです。これが彼の65万人ものフォロワーを通して拡散するという現実の悪夢…。④へ

2012-03-15 19:53:49
堀 茂樹 @hori_shigeki

④本当は、コモンセンスからいえば当然ですが、民主主義の原則に照らしても、法律・条例や職務命令が人権尊重というリミットを踏み越えたら、それはもはや正当ではないのです。例えば、全員一致の民意でも、「橋下市長は公人だから、市長の24時間を可視化する!」などと決めてはならない訳です。⑤へ

2012-03-15 19:54:05
堀 茂樹 @hori_shigeki

⑤ですから、公務員であれ、民間会社員であれ、上司の命令が自分の良心を傷つけ、人として受け容れられない気がしたら、自分で考え、自分で判断し、自分で正しいと信じる行動をしてよいのです。それが責任能力のある個人であり、大人です。民主主義は本来、すべての人を大人として遇する文化です。⑥へ

2012-03-15 19:54:30
堀 茂樹 @hori_shigeki

「大人」とは、カントが喝破したように「自分で考える」人間です。自分の良心が納得しない職務命令には従わぬ個人です。そんな自律的個人たちの組織は機能しないでしょうか?そう主張する橋下氏は歴史にも無知なのでしょう。真に強いのは、メンバーが「自分で考え」て納得して動く大人の組織です。⑦へ

2012-03-15 20:00:42
堀 茂樹 @hori_shigeki

⑦最後に付け加えます。ゲシュタポの「ユダヤ課」課長だったA・アイヒマンも、「リヨンの虐殺者」と呼ばれたクラウス・バルビーも、ナチスに協力したフランスの高級官僚M・パポンも、上層部の職務命令を黙って忠実に実行する「無責任な」公務員でした。その点で、橋下徹氏の絶賛に値するでしょう。

2012-03-15 20:02:46
堀 茂樹 @hori_shigeki

4時間ほど前に、大阪市長の「組織」論らしきものの要(かなめ)を批判する連続ツイートをしたのですが、ウェブに戻ってきて、反響の大きさに吃驚です。メンションが夥しく飛んできていますが、ちゃんと答えるに値すると思われる理性的な質問・コメント・反論には、これから順次お答えします。

2012-03-16 00:05:27
堀 茂樹 @hori_shigeki

11年5月の最高裁判決が違憲でないとしたのは起立斉唱の職務命令自体ですね。以下にお答えします。(続く)RT @Clancyy10国歌斉唱の職務命令は違法ではないとする最高裁判決を理由に「人権尊重というリミットは超えていない」という反論が予想されますが、この点はどのようにお考え…?

2012-03-16 00:47:36
堀 茂樹 @hori_shigeki

(続き)①起立と斉唱を、つまり、国法の遵守とその具体的内容への同意を区別しな い点で、考えの浅い判決と思い候。②それでも国民として、最高裁の法的権威には服さざるを得ません。これが欧州なら、個人でも国家を欧州人権裁判所へ提訴できるのですが、アジアにはそんな裁判所はないので。(続く)

2012-03-16 00:49:28
堀 茂樹 @hori_shigeki

(続き)②平教員の口もと監視による歌唱強制や、その強制に服さなかった場合の処分の合憲性は、別立てで問えるでしょう。③いずれにせよ、憲法もまた実定法ですから、最高裁判決はあくまで合法性の判断です。合法性(legality)と正当性(legitimacy)は峻別すべきです。(続く)

2012-03-16 00:50:06
堀 茂樹 @hori_shigeki

(続き)④そして、本物の自由民主主義国家の市民は、合法性の次元では国法を遵守し、裁判所の判断に服さなければならない一方、正当性の判断においては、法律・条例がどうあろうと、裁判所が何と言おうと、あくまで自分自身の良心の声に従う権利を有するのです。それが、思想信条の自由です。(続く)

2012-03-16 00:50:41
堀 茂樹 @hori_shigeki

(続き)⑤しかし、勿論、自分が〈正当〉と信じる行為を実行に移した場合、それが司法によって〈非合法〉と判断されれば、法律の名において処罰されます。法治国家の原則を信奉する以上、それは受け入れなければなりません。⑥最後に、問題は、日本国が本物の自由民主主義国家であるかどうかです。了。

2012-03-16 00:51:17
堀 茂樹 @hori_shigeki

①「橋下徹流『組織論』は民主主義の文化に反する」の連続ツイート中、「上層部の職務命令を黙って忠実に実行する『無責任な』公務員」という表現が分かりにくかったようです。以下②~⑨で、「責任/無責任」とはどういう事かをもう少し明確に説明しつつ、少し別の観点を導入してみます。②へ

2012-03-17 04:55:42
堀 茂樹 @hori_shigeki

②「責任」という名詞は英語でresponsabilityですが、仏語でresponsabilitéです。仏語で「答(応)える」にあたる動詞はrépondreなんです。つまり、responsabilité(責任)とは、文字どおり、répondre(答える)義務なんです。③へ

2012-03-17 04:56:05
堀 茂樹 @hori_shigeki

③ふつう、責任があるのに、それを放ったらかしにする態度を「無責任(な)」irresponsible(英)、irresponsable(仏)といいますね。ここにも仏語のrépondreが見え隠れしています。「無責任」とは、まさに「答えない」ことなんだなあ、と分かります。④へ

2012-03-17 04:56:30
堀 茂樹 @hori_shigeki

④では、そもそも答える(répondre)義務がない場合はどうでしょう?全く端的に、「無責任」irresponsible/irresponsableです。幼い子供はまだ自分で考え、自分で行動する自由を持っていません。そして、これが大事なのですが、自由なきところに責任なしです。⑤へ

2012-03-17 04:56:47
堀 茂樹 @hori_shigeki

⑤ですから子供は、一人前の人間であるという、その事に答える義務を負っていません。その意味で、子供は、犬やネコと同様、「倫理的無責任」の天国に、いわば「子供の国」にいます。さて、思うに、橋下徹氏のいう「組織」は、大人をもその種の「子供の国」に入れてくれるのではないでしょうか。⑥へ

2012-03-17 04:57:17
堀 茂樹 @hori_shigeki

⑥大阪市長の「組織」論は、組織に属する者と、組織外の者を区別しますね。そして、「組織」内の者は、個人の内心の自由を侵害する(or本人がそう感じる)ような職務命令にも服従しなければならない、服従しない自由が欲しければ組織の外に出よと言います。この理解で、間違っていませんよね?⑦へ

2012-03-17 04:57:35
堀 茂樹 @hori_shigeki

⑦結局、人格ごと組織に属する100%組織人か、組織から離脱して基本的人権の自由権を取り戻す人間か、という二者択一を迫るわけです。社会的身分にまるごと完全に残りなく包摂されよ、それが嫌ならば、組織人(例:公務員)という社会的身分から離脱せよ、「組織=不自由」なのだ、という次第。⑧へ

2012-03-17 04:58:06
堀 茂樹 @hori_shigeki

⑧100%組織人は「子供の国」に入れます。一見職務命令に「答えて」責任を果たすかに見えますが、人間としての自由に背を向けて職務上の役割に一致するのですから、まさしく昔サルトルが暴いた「自己欺瞞」です。社会的身分に立て籠もって、人間である事に「答えない」倫理的な「無責任」です。⑨へ

2012-03-17 04:59:45
堀 茂樹 @hori_shigeki

⑨これに対し、基本的な自由権を有する人間として、組織に属する社会的身分を生きる、というのが民主主義の文化です。自由なきところに責任なし。組織から、個人の自由を完全排除すれば、その組織は倫理的な意味で「無責任」の体系と化します。すると、内部批判の契機が失われてしまいます。危険です!

2012-03-17 05:00:13
堀 茂樹 @hori_shigeki

(追伸)義務なきところに権利なし、とよく云われますが、あれは嘘です。赤ちゃんは何の義務も負っていませんが、食べ物を与えられる権利を有します。つまり、大人が赤ちゃんに対して義務を負っているのです。これに対し、自由なきところに責任なし、これは確かです。(尤も、自由とは何か、が難問。)

2012-03-17 05:21:48
氏家法雄 @ujikenorio

「責任の所在論」の連続ツイートを追加します。

2012-03-19 15:17:44
堀 茂樹 @hori_shigeki

①迂闊なことに、私の連続ツイート「…橋下流『組織論』は民主主義の文化に反する」 http://t.co/WC8FywYP にコメント欄がある事に、今頃気づきました 。で、そこに、次のように書いている方がおられました。②へ @ookmlse

2012-03-19 14:44:22