手塚治虫『ぼくはマンガ家』最後のほう、「ぼくの人生は、まだ半分ある。この半分をどうやって使おうか、と考えるのが楽しみでもあり、また不安でもある。」1969年、手塚先生40歳。21世紀まで生きる気満々でしたが、この本の20年後には亡くなられました。
2012-03-16 21:30:43手塚治虫『ぼくはマンガ家』1969年はまだ虫プロがあって、『ブラック・ジャック』その他後期の名作群がなかった時代。虫プロがなかったら、多分サンライズもシャフトも京都アニメーションもなかったはず…。
2012-03-16 21:31:09サンライズ・シャフト・京都アニメーションで天下取ったように見えても、スタジオジブリ(蜀)と東映アニメーション(魏)があるんで、三国志だと「呉」ぐらいな感じ?
2012-03-16 21:31:53今手塚治虫が生きてたらどんな漫画描いてたかというと、多分海賊王女を目指しているミニスカ宇宙海賊少女の話をアフタヌーンで、去年からローマ帝国を舞台にした話をビッグコミックで連載していると思う。そこに今年は新しくジャンプ・スクエアで魔法少女の話を新連載!
2012-03-16 21:33:26手塚治虫先生にゲスト読みきりのつもりで依頼したら、ラストページに「つづく」って描いてあってあわてるジャンプ・スクエア編集部! 編集長が定年退職している元手塚治虫担当編集者に相談したら「黙って受け取っておきなさい…」。
2012-03-16 21:34:08手塚治虫先生「魔法少女なんて、ぼくなんか描こうと思えばいくらでも描けるんですよ!」さすが一番病の手塚先生! とりあえず主人公はの名前は花岡桃子、14歳で趣味はおしゃべりとお菓子作り…ただの魔法少女じゃなくて戦隊ものだ! 黄色とか青もある!
2012-03-16 21:34:52手塚治虫まだ生きてたら、2ちゃんねるの漫画板で「【さすが俺たちの】手塚治虫:1000【マンガの神様】」で1000スレッド達成! 魔法少女新連載のキャラで、「お前がそう思うならそうだろう…」のAAが速攻作られる。
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