フィリピン米軍撤退から見る沖縄問題

さくらさんのつぶやきまとめました
2
森田 友企子 @jaquie35

① 対米従属という点では、我が国以上に不利な状況にあったフィリピンが1987年に制定した憲法にもとずき、米軍基地の完全撤去を実現させた。約400年もの間、植民地支配に苦しめられてきたフィリピンは、米軍基地の規模も沖縄以上であり、経済的にも軍事的にも完全に米軍頼みの社会だった。(続

2012-03-26 11:23:07
森田 友企子 @jaquie35

② 当初フィリピンの基地問題は、我が国とよく似た経緯をたどった。1986年「ピープル・パワー」と呼ばれる民衆革命でマルコス独裁政権を打倒し大統領となったアキノ夫人は選挙前に外国人基地の撤廃を掲げた公約にサインをしたにも拘わらず就任後は一転して基地撤廃に消極的な姿勢を見せ始める 続

2012-03-26 11:28:01
森田 友企子 @jaquie35

③ 一方、民衆革命の熱気の中、新憲法の制定作業が開始、1987年外国軍と基地の受け入れを原則禁止とする新憲法が発効。これにより米軍は1991年以降、完全に撤去せざるをえなくなる。そして撤退期限が迫った1990年5月から、米比両政府の間で、基地問題をめぐる外交交渉スタート。(続

2012-03-26 11:38:19
森田 友企子 @jaquie35

④ この米比両政府の間で始まった外交交渉は1年3ヶ月にも及ぶものであった。フィリピン側の代表はマングラブス外相とベンソン保険相。米国側の代表はリチャード。アーミテージ氏。アーミテージ氏は交渉の冒頭から大声を張り上げ、「これで我々の関係はおしまいだ」と。(続く

2012-03-26 11:44:40
森田 友企子 @jaquie35

⑤ 「ワシントンとその同盟国は激怒している!」と怒鳴りちらすアーミテージ。それに対してベンソン保険相は、こう回想している。「マングラブス外相はおどろくほどの冷静さでアーミテージの怒りに対応し、冷静に反論し、フィリピンの立場を守った。アーミテージは最後には冷静になった」(続く

2012-03-26 11:47:35
森田 友企子 @jaquie35

⑥ 「しかしこの時以降、私は我々は自分の立場を押し通すことに慣れすぎた人物と交渉していることを思い知らされた」と。しかし、この後、米国側の巻き返しによってフィリピン側は追い込まれることになる。1990年8月、スービック海軍基地の継続使用を軸とする新条約が調印されてしまう。(続く

2012-03-26 11:51:23
森田 友企子 @jaquie35

⑦ 一方クラーク空軍基地はこの交渉が行われている最中の6月に、ピナツボ火山の噴火によって使用不能となり、わずか48時間で米軍が撤収、続いて放棄を宣言するという劇的な展開もみせた。新条約が調印されてしまったことに当時すでに交渉団の副団長を辞任していたベンソン元保険相がこう語った 続

2012-03-26 11:55:33
森田 友企子 @jaquie35

⑧ 「フィリピン交渉団の方針がアメリカ追随になっていった理由は、内部からフィリピンの立場を掘り崩す者がいたからだ。ある国を植民地にする場合、大国はその国民のある部分も植民地化してしまうものだ」と。まるで我が国と同じような米国追随の政治家がいたということですね。(続く

2012-03-26 11:59:47
森田 友企子 @jaquie35

(9)ところが、その後、もう一度大逆転が起こります。政府の方針転換に怒った国民の間に、広範な反対運動が巻き起こります。焦点は翌9月に行われる上院での審議と批准の採決に移っていった。条約賛成派も様々な工作を開始する。(続

2012-03-26 12:07:57
森田 友企子 @jaquie35

(10) アキノ大統領は大集会を開き、自らデモの先頭に立ち、上院まで行進して、機運を盛り上げようとする。アメリカ大使館の高官が条約批准への賛成と引き換えに、エストラーダ上院議員(のちに大統領)に翌年の大統領選での支持を提案してきたことも暴露される。(続

2012-03-26 12:12:35
森田 友企子 @jaquie35

(11) そうした中、ついに1991年9月16日、フィリピン上院は12対11で条約の批准を拒否した。フィリピンには、我が国と同じ屈辱的な地位協定があり、何度改定要求を出してもほとんど改善されることはなかった。ところが基地が撤去されたあと、どうなったか・・・(続

2012-03-26 12:17:11
森田 友企子 @jaquie35

(12)「米兵犯罪や騒音など基地にまつわる諸々の忌まわしい問題は、きれいさっぱり消えてなくなった」という。米国の関与と介入は劇的に後退。合衆国政府の影の代表がフィリピンの政治と行政の中枢に深く関わり合うような局面はひとまず終わった。しかもその後、米比関係はとくに悪化していない(続

2012-03-26 12:21:53
森田 友企子 @jaquie35

(13) 最後に条約の批准に反対した上院議員達の演説の中から特に我が国の政治家に聞いて欲しい部分を松宮敏樹氏の著書の中から紹介する。「私を条約反対に駆り立てる最も大事な問題は、主権の問題だ。条約はフィリピンの主権を侵害しつづけ、米比の植民地的な主従関係を永続させる。(続く」

2012-03-26 12:26:05
森田 友企子 @jaquie35

(14) 「この協定は我が民族を米国に操作されやすくしてきたばかりか、我が国民に植民地根性を植え付けてきた。アメリカは、在比米軍基地を閉鎖することこそ、フィリピンにとってもアメリカにとっても、両者の関係にとっても、真の長期的利益であることを理解すべきだ。(続く」

2012-03-26 12:29:18
森田 友企子 @jaquie35

(15) 「我々はまさに、真の永続的米国との友好関係を望むがゆえに、基地撤去を望む」(アガピト・アキノ上院議員)、「そもそも米国は海外基地が、その基地のある国を防衛するために存在すると考えたことなど、一度もない。基地は米国の防衛の為、米軍事力の投射(行使)のために存在する。(続」

2012-03-26 12:34:29
森田 友企子 @jaquie35

(16) 「1955年の初めに、ロバート・マーフィー米国務長官は、海外基地についての本当の考えを述べたことがある。米軍は同盟国への好意として、その国に置かれているのではない。我々アメリカ人も、我々の同盟国もそのことは知っている、と。」(ホアン・ポンセ・エンリレ上院議員)続く

2012-03-26 12:39:01
森田 友企子 @jaquie35

(17) 「理性で判断してみよう。もしフィリピン国内に、我々がコントロールできない核兵器を許すとするなら、その条約は健全な理性や常識に基づいているだろうか。答えは確実にノーだ。我々は我々の生命や国の未来を、たとえどんなに友好的な相手だとしても、外国の手に委ねることはできない」(続

2012-03-26 12:42:44
森田 友企子 @jaquie35

(18) 「フィリピンに米軍基地を置き続けることは、事実上、我が国を独立した主権国家というよりもただの植民地にしてしまう。米国と二国間協定をもち、米国の軍事基地を置いているような国は、米国と対等な関係で尊敬を受けることは出来ない。これは広く認められた事実だ。(続く」

2012-03-26 12:46:56
森田 友企子 @jaquie35

(19) 「在比米軍基地は、我々が他のアジア諸国やその他の国との関係において真に独立した外交政策を追求することを妨げている。自分たち自身の足で立とう!そして、我が外国の友人達が尊厳を持って、我々に接するようにさせよう」(ビクター・シガ上院議員)(続く

2012-03-26 12:50:11
森田 友企子 @jaquie35

(20) フィリピンで出来たことが、どうして日本では出来ないのだろうか。その理由は明白だ。国民の多くが自分の国もそして自分自身が米国の支配の下に置かれているという事実に気づいてないから。一日も早く自分達の足で立てる日がくることを祈ります。

2012-03-26 13:01:27