「福島大学」による「放射線と被ばくの問題を考えるための副読本」についての1科学者の見解

「福島大学 放射線副読本委員会」(福島大学との関連は不明)が出した「放射線と被ばくの問題を考えるための副読本」について、とある物理学者が発達障害当事者としての経験を踏まえた上で、これをどのように受け止めればよいのかの見解を呟いたことのまとめです。
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いちかわ けんと @kentosho

福島の方に様々な知見を伝える前に「放射能に不慣れな人が放射能に恐れを抱くのは、非合理かもしれないが全く間違ったことではない。我々科学者でさえ感情については非合理だから。でも長年の知識の蓄積から科学的で合理的な行動を取ることが良い結果につながると我々は信じてる」と言うのはどうか?

2012-03-27 17:26:25
いちかわ けんと @kentosho

障碍者になった経験があれば思い当たるだろうが、例えば精神を病んだ途端、そんなことはないと分かっていながら自分はテレビで報道に出てくる頭のおかしい犯罪者達と同類になってしまったのかと、なかなか受け入れられない。精神科医に何を言われても、ふとそんな思いがかすめる瞬間がある。(続く

2012-03-27 20:10:06
いちかわ けんと @kentosho

承前)いきなり、自分はまともだという根拠を失なってしまってから、健全な自己肯定に至るには年単位の時間がかかる。それまでは自分は頭がおかしいのかとどんなに理性的に分かっていても逡巡してしまう。(続く

2012-03-27 20:15:14
いちかわ けんと @kentosho

承前) 「福大の放射線副読本」が高線量被爆のJCO事故の被害者を引き合いに出したり小出氏のデータを出したりしてしまうのは、まさに福島の人々がそういう逡巡をしながら、だんだんといつもの自己肯定感を回復していく道程の一過程として見るのが適当な見方だと思う。(続く

2012-03-27 20:18:39
いちかわ けんと @kentosho

承前) だから、彼らがああいう副読本を出したことは、専門家がいろいろと啓蒙に努めたことが無駄であったということを意味しているのではない。大学の人間なのだから、そういう知識だってちゃんと届いてるはずだ。でも、自分はJCO事故の被害者と同じになってしまうのではないかという疑いを(続く

2012-03-27 20:21:20
いちかわ けんと @kentosho

承前)心の中から完全に消すには至っていないだけなのだ。それは不合理な心の働きの中ではとてもよくあることで、むしろ専門家の中で間違いとされる意見を言ってみることもまた自己肯定に至る道の一部なのだと思う。そういう過剰な否定と過剰な開き直りの経過の末に健全な自己肯定が訪れるのだ。(続く

2012-03-27 20:26:46
いちかわ けんと @kentosho

承前)だから、福島の人が危険論者の代弁をしてしまうことも含めて、我々科学者は彼らに寄り添うことが大事なのだ。「散々説明したのにお前は何も分かってないのか!」なんて言って突き放してしまったら、それこそ彼らを突き落してしまうことになる。だから、我々科学者が言うべきことは(続く

2012-03-27 20:30:18
いちかわ けんと @kentosho

承前)「心配なんだね、でも大丈夫なんだよ、大丈夫といえそうな根拠はこんなにあるのだから」と言い続けることこそが大事なのだと思う。長い連続ツイートですみませんでした。

2012-03-27 20:32:35