北アイルランド紛争、暴力・復讐・赦しをめぐって

北アイルランド紛争を「過去のもの」とする中での暴力・復讐・赦しへの動き・取り組みについて、アイルランド在住の @preabsanol さんのtweetsと、@nofrills がこれまでに書いてきたブログから。 ところどころに北アイルランドのコンテクストを有する音楽を挟んであります。 最後に、チベット亡命政権のダラムサラから更新されている中原一博さんのブログ「チベットNOW@ルンタ(ダラムサラ通信)」から、1972年に英軍のゴム弾baton roundで失明したデリーの男性のお話を追加しました。 続きを読む
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@preabsanol

@nofrills 今日「エピローグ」という北アイルランド紛争の被害者・家族・影響を受けた人々がどうその怒り・トラウマをプラスの方向に転じていくかというワークショップに参加しました。今月後3回あります。また報告しますね。

2010-06-02 03:22:09
@preabsanol

北アイに来て3年になるのに(正確には国境をはさんで共和国側に住んでるのでそのせいかもしれないが)いまだプロテストタントの友人なし。一旦カトリックコミュニティに入ると"The Other side(向こう側、こっちの人たちはカトリック・プロテスタントがお互いにそう呼んでる)”(続)

2010-06-06 20:46:29
@preabsanol

と関わりあいになるのはとても難しい。もちろん町では色々会ってるんだろうけどみな用心して本心明かさないのでわからない。それがここ最近、今回の自由船団襲撃抗議行動などでもカトリック中心の反戦平和運動に関わったり自称「プロテスタント・リパブリカン」の人に会ったり(続く)

2010-06-06 20:48:49
@preabsanol

こうやってより広い視野をもたらしてくれるような出会いがこれからも続くといいな!

2010-06-06 20:49:28
@preabsanol

北アイ紛争・様々な立場の暴力の当事者(カトリック・プロテスタント双方の犠牲者・実行者・遺族など)の正直な思いを並べてみることで暴力や復讐のサイクル、それが許しに転じるきっかけなどを学ぶワークショップに参加。正直かなり重い。(続く)

2010-06-09 06:32:50
@preabsanol

「復讐の連鎖」と言っても家族を殺された遺族には「復讐など考えたこともない」という人も多数、また「復讐の場面を夢想して年月が経った」という人も。復讐を肯定する人は武装組織メンバーなど家族を殺されたわけではなく同じ側の人間・あるいは武装組織メンバーの仲間が殺され、怒りや(続く)

2010-06-09 06:35:11
@preabsanol

「自分たちの側(例えばプロテスタント)が相手(例えばカトリック)に皆殺しにされる」という恐怖から「復讐」という言葉で発端となった元の暴力とは全然関係ない相手側グループの人を(無差別に)殺す、というのが多いよう(元の実行犯わからないこと多いし)。「復讐」の言葉の使い方が(続く)

2010-06-09 06:38:07
@preabsanol

「加害者に仕返しをする」という普通の使い方から外れてる。まあよくいう「社会に復讐する」みたいな感じかな。

2010-06-09 06:39:29
@preabsanol

1976年のキングスミル事件の話は泣けた。6名のカトリック青年(二家族のメンバーそれぞれ3名。一般市民)が殺された翌日工場労働者が乗るバスをIRAが襲ったのだが、11名のプロテスタントと1名のカトリックが乗っていた。人々は最初ロイヤリストが襲ってきたと思い(続き)

2010-06-09 06:50:26
@preabsanol

カトリックの同僚を囲んで守ろうとした。実は襲ったのはIRAでカトリックの労働者だけが逃がされ後の人々は撃たれて10名が亡くなった。うち一人の青年は前日、カトリックの青年たちが射殺されたニュースを聞いて祈りをささげていたのだと。これが「復讐」の名の下に行われたこと。

2010-06-09 06:53:41
@preabsanol

一方でIRAの暴力事件はTV・ラジオで大々的に報道され遺族の姿も映し出されるのでカトリック側の犠牲者の家族は「ああ、あの人たちも同じ悲しみをいだいているんだ」とわかる人多し。一方カトリック側の被害はほとんど報道されないせいか(続く)

2010-06-09 06:58:15
@preabsanol

プロテスタント側にはカトリック側の痛みわかる想像力少ないように感じた(あくまでワークショップの映像を見た中での個人的感想です。違う人ももちろんたくさんいると思う。詳しい方教えてくだされ。)

2010-06-09 06:58:35
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

"At the age of 17 he was forced to choose. At the age of21 he's in Catch22. Tin soldier,you never see the truth" http://youtu.be/0QQJBvIcl-0

2010-06-09 12:04:25
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nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt ビリーは東ベルファストのワーキングクラス・プロテスタント地域で生まれ育った。その地域で育つことはロイヤリズムを吸収することだった。彼は10代で UVFに加わった。UDAを選ばなかったのは「UDAはあまりに大きすぎると思われた」からだった。

2010-06-09 06:54:37
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)親には秘密にしており…「自分は親にうそをついている」と心理的な重荷をビリーは感じていた。…戦闘訓練は受けていたものの、特に実際に活動することもなく、彼はだんだんと組織から遠のいていった。ほかの多くのメンバーもそんな感じだった。(続

2010-06-09 06:56:06
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)ビリーは仕事をし、時々職場の友人を家に連れてきてお茶を飲んだりもしていた。ビリーはプロテスタントだが特にセクタリアンな考え方の持ち主ではなく、その友人はカトリックだった。だがあるとき、教会の日曜学校の女性の先生がリパブリカンに殺された

2010-06-09 06:58:08
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)この事件でビリーはUVFに戻った。…時期は1980年代、81年のハンストでIRAが勢いを得ていたころだった。UVFは日曜学校の先生の報復を計画する。報復だから、殺された先生と同じように、暴力には無縁のカトリックを殺さねばならない。(続

2010-06-09 07:00:04
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)話し合った末、ビリーたちUVFの活動家はターゲットを決めた――ビリーが時々自宅に招いていた、職場のカトリックの友人がターゲットに選ばれた。…ビリーたちの報復の予定は繰り上げられた。ビリーは職場の友人を、いつものように、車に乗せた。(続

2010-06-09 07:00:51
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)そして車をしばらく走らせて、そして、彼の後頭部に銃弾を1発撃ちこんだ。「その瞬間、自分の一部が死んだ」とビリーは後に獄中でジャーナリストに語った。…獄中で、ただ有り余るだけの時間を得て、彼はそれまで縁のなかった「教育」に向かう。(続

2010-06-09 07:03:08
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)何の学歴もなく資格もなく中卒で働いていた彼が、獄中の学習会で高卒の資格を取り、その後獄中オープン・キャンパスで政治学を勉強し学位を取った。講師はビリーの熱心さに強く印象付けられたと語っている。…ビリーは10年ほどで仮釈放となった。(続

2010-06-09 07:04:20
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)出所後、ビリーはPUPで政治の仕事をしていた。けれども収入を得るための仕事となるとろくなものはなかった。「殺人犯」への風当たりは強く、学位があっても、生活保護を受給するのとたいして変わらない程度の収入しか得られない。(続

2010-06-09 07:05:26
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)PUPの一員として、ビリーは1998年のグッドフライデー合意に関わった。けれども彼の「戦い」は終わらなかった。「あの日」を境に、ビリーの一部は永遠に死んだ。彼の「戦い」は、そのこととの「戦い」だったのかもしれない。(続

2010-06-09 07:06:29
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)ジャーナリストはビリーが釈放される前に取材に訪れた。職場の友人を殺したことについて、ビリーは「北アイルランドだからこんなことになった」と述べた。ジャーナリストは「でもあなたが自分で決めたのでしょう?友人を殺すことを」と突っ込んだ。(続

2010-06-09 07:07:47
nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など @nofrills

http://bit.ly/9xcoHt 続)ビリーは「確かに自分は知っている人間を殺した。だが、もし自分がイングランドに生まれていたら、相手がカトリックだからって人を殺そうと決意したりはしなかった」と答えた。……全文はリンク先をクリックしてお読みください。

2010-06-09 07:09:10
@preabsanol

@nofrills そうですね、実行犯でも苦しんだ人はたくさんいる。その自責の念を忘れるためにも「復讐」とか「正義」とか自分を納得させる言葉が必要なのかもしれませんね・・・。

2010-06-09 07:12:34