金子兜太について
- k551_jupiter
- 2517
- 0
- 0
- 1
山頭火のチェックを終了し、金子兜太の作者紹介のチェック中。兜太は昭和16年に東京帝国大学経済学部に入学したが、昭和18年9月に繰り上げ卒業だったんだ…なるほど。従来の評論や事典、伝記では、兜太の経歴については詳しく紹介されているけれど、作品に関する評価がほぼないのは興味深いな。
2012-03-28 12:05:10社会性俳句についての評価もほぼないな…いや、社会性俳句に関する言及は山ほどあるんだけど、視点が狭い気がする。これって俳句界だけ見ていたら分かりにくい運動で、たとえば同時代の詩と比較すると、社会性俳句の特徴がかえって見えるはずなのだが。なぜ誰も調べないんだろう。。
2012-03-28 12:09:35@k551_jupiter たいへん共感します。金子兜太の造型論にしても、詩だけでなく、主体性論争やフォイエルバッハテーゼなどが背景にあると思います。俳論の多くに歴史的な視点がぬけていると感じます。
2012-03-28 14:01:13@sekinechikata 個人的な印象ですが、兜太の論や作品の背景にあるもの、つまり同時代小説や現代詩、短歌等の流れや、当時の知識人達の流行言説などを踏まえた上で兜太の言説を分析する、という視点は少ないように感じます。全てを兜太個人の人生観や俳句界の趨勢に帰している気が。
2012-03-28 19:06:19金子兜太の論や作品、影響その他諸々を説明する際、定説になった戦後俳句史の流れと、兜太の個人史や経歴の推移とを参照して終わることが多い。あとは、「現在もその魅力は失われていない」的な感想。冷静な研究がほぼ皆無なのは彼が現役だからか。現存俳人に対して距離を取るのは難しいな。。
2012-03-28 19:21:18そもそも、高浜虚子でさえまともな研究がないのだから、金子兜太も推して知るべし、ということなのか。俳句に研究はさして要らない、という意見もあるかもしれないが、調べると金子兜太はやはり戦後俳句を考える上で興味深い存在に感じる。その作品や論の是非も含めて、多くの可能性があるのでは。
2012-03-28 19:29:14@k551_jupiter 金子兜太さんはご存命で、まだまだ成長中ですから研究対象にはできませんね。でも、社会性俳句や造型論はできますよね。そのとき、技術論でアプローチしただけでは見落としてしまうものがあって、むしろそこがはっきりさせなければいけないように思います。
2012-03-28 20:13:08文学研究的発想としては、例えば兜太の社会性&造型俳句論で使用された「用語」を、彼の読書傾向や同時代思潮の言説を調査して、その「用語」の元ネタを突きとめるとか、そういう分析をしたくなるんですよw RT @sekinechikata (…)でも、社会性俳句や造型論はできますよね。
2012-03-28 20:21:16元ネタを突きとめた上で、兜太の俳句論の「用語」とどのような偏差があるか、つまり彼が同時代俳壇の誰に向けて、どのような媒体で発表したかとかを踏まえ、彼の発想がその時代特有のもので、また具体的な状況の中で出てきたものなどを確認しっつ、それでも残る兜太独特の何かがあるか、とか。
2012-03-28 20:29:49現在の自身に響くものを兜太から取り上げる、というより、当時の兜太を取り囲む状況や感覚や価値観の復元を目指す、それを実際の資料を読みこむことで復元を仮構しつつ、その中に兜太を置くことで見えてくる当時の彼の状況を冷静に判断する、と捉えたくなるんですよね。それが研究ではないか、と。
2012-03-28 20:38:30@k551_jupiter あきらかに吉本隆明の影響はあると思います。昨年、兜太を読みながら、ふとそう思い始めたら、読みたくなくなりました(笑)
2012-03-28 20:44:19そうですよね! 往事の兜太論の横に吉本隆明を置くと何が見えるか、とか、そういうことを具体的に検証することで兜太の特徴がかえって明らかになると思うんですよね。 RT @sekinechikata あきらかに吉本隆明の影響はあると思います。
2012-03-28 20:53:02@sekinechikata 機会がありましたら、そのあたりのことをお聞きして、もしお答え下さったら教えて下さい(笑) そのまま受けとるかは別として、参考になりますよね。当時の兜太氏は精力的かつ幅広く読書をしていたはずなので、氏の思想的バックボーンを後世に残すためにも、ぜひ(笑)
2012-03-28 21:10:34@Seki_Etsushi @sekinechikata 可能性はあるでしょうね。今からは想像しにくいですが、彼の評論や詩は1960年前後にかなりインパクトがありましたし。ただ、谷川ほど割りきって(?)大衆を指導するスタンスは、兜太には少ないかもしれない。
2012-03-28 21:20:24@k551_jupiter @sekinechikata 当人に直接聞いたことがあるのでは、アニミズムの話のときにタイラーが出たり、講演で、造型論を出した後に栗山理一があとづけで正統の中に位置づけてくれたとかくらいで何読んできたのか意外と出ないですね。
2012-03-28 21:23:40@k551_jupiter @sekinechikata メタファーで主体とくればほとんど戦後詩なので三好豊一郎とか黒田喜夫とかもクサそうな、そうでないような。
2012-03-28 21:24:50@Seki_Etsushi @sekinechikata これはただの勘ですが、兜太という人は、かなり影響を受けた書物に関しては黙したがるタイプなのでは、という気がw 実際は、吉本隆明は無論のこと、谷川雁もそうかもしれないし、1960年前後の流行思想に凄い影響を受けた感じがする。
2012-03-28 21:27:56@Seki_Etsushi @sekinechikata 丹念に調べないと正確には分からないにせよ、そういう兜太と戦後詩との具体的関連性を考察する、という視点が従来ほぼなかったのでは。礼讃/否定する前に、同時代資料を読みこんで分かることも多いのでは、と思うんですよね。
2012-03-28 21:34:34@k551_jupiter @sekinechikata あんまり聞いたことないですもんね。計算してみると兜太が10代の頃にシェストフが流行って和辻の『風土』や小林秀雄の「私小説論」や『ドグラ・マグラ』が出て、小説は私小説・新感覚派・プロレタリアの三派鼎立の頃かな。
2012-03-28 21:36:55@k551_jupiter @sekinechikata ないですね。特に実作者が兜太論とか書くと、まず自分が俳句形式の固有性に深入りするにつれて他ジャンルから影響を受けるということが段々減ってくるので、経験的に類推しても他ジャンル横断の視点は出にくくなってくる。
2012-03-28 21:39:07@Seki_Etsushi @sekinechikata 兜太の戦前の「土上」「寒雷」等の新興俳句雑誌への投句を見ると、典型的な文学青年という感じがするので、小説も批評も含めてけっこう乱読していた気がする。それが実作にどう影響したかは別として、文学全般に興味はあったはずです。
2012-03-28 21:43:32「自分が俳句形式の固有性に深入りするにつれて他ジャンルから影響を受けるということが段々減ってくる」と自身を認識する実作者だからこそ捉えられるものがあると同時に、「経験的に類推しても他ジャンル横断の視点が出にくく」なった部分をカバーする文学研究的な分析も必要だと思うんですよね。
2012-03-28 21:51:12