資源動員論的に科学者を論じてみる
- hirotatessai
- 9296
- 1
- 12
- 5
.@kentosho さんの「@skasugaさんの「科学者の責任」についての一連のつぶやき」をお気に入りにしました。 http://t.co/puAEgnJ0
2012-03-28 15:30:28>学者の「批判的精神なんて金で折れるたぐいのものなのか」官僚が思いつきで投げるニンジンを追わなくても「研究」が続けられるアカデミズムの確立を考えるというのが、本来学術会議などが努力すべき「反省」なんではないかな。http://t.co/puAEgnJ0
2012-03-28 15:31:39では、国から研究費用ももらってはいけない、企業からもらってもいけない。どうやって研究するんですか? http://t.co/1zk3PAIO
2012-03-29 13:05:57動員を全くかけずに大規模なデモがどんどん発生するようなら、もう相当に民衆の不満が爆発している酷い状況だと思いますし、デモをより良くしようではなく、「デモなんか、やめちまったほうがいい」というところに、本音が表れているなぁ、と。 http://t.co/uAJdNefx
2012-03-29 14:37:43@A_laragi パロディですが。「物理学でも原子力工学でもなんでもいいんだけど、紐付きの資金に頼らなければできない研究なんか、やめちまったほうがいいんだよ」
2012-03-29 14:44:10@A_laragi パロディですが。「物理学でも原子力工学でもなんでもいいんだけど、紐付きの資金に頼らなければできない研究なんか、やめちまったほうがいいんだよ」
2012-03-29 14:44:10@A_laragi 菊池さんは「資源動員」という観点からの社会運動論が、20世紀末の米国発社会学の主流だったことをご存じないようですね。ある意味では、すべての社会運動は「動員」されるもの。システムが日々の動員によって成り立っているのも自明のこと。
2012-03-29 14:58:18多くの科学者がもっているとされる「数学的な頭の良さ」は人間の「頭の良さ」のほんの一部でしかない。それは叡智(倫理的な判断力をふくむ)とは本質的に異なる。
2012-03-29 16:05:03わたしは個人的には、頭のはたらきが単純な子供っぽい人間ほど「数学ができる」ようになる可能性が高いのではないかと疑っている。社会科学の分野では、経済学者にこのタイプが多い。
2012-03-29 16:05:08いずれにせよ、人間の数学的な能力は二十代前半でピークをむかえる。かのバートランド・ラッセルは「頭が悪くなったので」数学をあきらめて哲学に転じた。さらに年をとって、もっと「頭が悪くなる」と、社会活動に転じた。
2012-03-29 16:05:20ひょっとしたら、「頭が悪い」方が、社会貢献できるのかもしれない――少なくとも「金融工学」を編み出して害悪をまき散らすことはない。
2012-03-29 16:05:29誰でも知っているように「学校の優等生」ましてや「受験勉強の優等生」が、特に「知的」であるわけではない。わたしは個人的には、知的でない(つまり、権威に弱く批判力のない)人ほど「学校の優等生」や「受験勉強の優等生」になる可能性が高いのではないかと疑っている。
2012-03-29 16:05:39Those of you who have been through college know that the educational system is very highly geared to rewarding conformity and obedience...
2012-03-29 16:05:51it is kind of a filtering device which ends up with people who really honestly... internalize the framework of belief...
2012-03-29 16:06:27and attitudes of the surrounding power system in the society. http://t.co/jSAT3tUp
2012-03-29 16:06:33学者・研究者・大学教員が一般人とくらべて特段「頭のよい」「知性的な」「叡智にあふれた」人であるとは限らない。最良部分の多くは一般社会に出る。
2012-03-29 16:06:43研究費を貰っている。研究のための時間がある。情報や人脈がある。研究のための施設や設備(実験装置・観測装置等々)にアクセスできる。
2012-03-29 16:07:01暫定的結論。科学者と一般市民の本質的な違いは「研究資源へのアクセスの有無」に帰着する。研究者としての資質や能力や意欲等は二義的な要素である。
2012-03-29 16:07:18極論すれば、科学研究に多くの「時間と金」をかけられる「特権」(?)をもつのが、専門科学者であり、そうでない人が「一般市民」なのだ(だが、この差異は、現在多くの学問分野――とりわけ、人文・社会系の分野――で曖昧になりつつある。この点については別の機会にふれる)。
2012-03-29 16:07:29scienceという英語は、ラテン語の動詞《scio》(「知る」の意。分詞形が《sciens》、名詞は《scientia》)に由来する。もともとはscience=philosophy(主体・客体の関係をふくむ全体知への愛)だった。
2012-03-29 16:12:12ところが現在では、「科学」とは「分科の学」、すなわち「諸科学(sciences)」のことであり、国家によって支えられ、プロ化・職業化され、「官僚制」的に編成され・組織化された「専門知」・・・
2012-03-29 16:14:05