【東方】永琳の第2通常弾幕時の背景について
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前の訪問時( http://t.co/uFe9PETi EwigLeere - 京都・奈良四方山紀行 (3日目))には「方向的に、写真の奥に御所がある(大雑把・アバウトに見てください)」のでは、とか考えていましたが…。
2012-04-07 09:53:22師匠の衣装の意匠(駄洒落じゃないですよ)は北の夜空を模していること(カシオペアや北斗七星)や、その他諸々の要素から妙見菩薩との関連等(これは大体KEIYA氏の説の影響)が深く絡んでくるのですが…まあ、ここれは北極星・北斗七星や北天の天体に注目していることを強調しておきますか。
2012-04-07 09:55:55北極星周辺の天体は紫微宮(紫微垣)と呼ばれ、天帝が常にいるところとされた星座になっています。紫微宮の他に、紫宸殿や大極殿とされることも。ところで紫宸殿といえば、日本では皇族の儀式が行われた場所。紫宸殿は京都御所の中にあります。
2012-04-07 10:04:39このことから、御所や紫宸殿を北天をシンボルとする師匠に置き換えると「平安神宮から御所を望む」というのは師匠を見ている…しかも、青龍楼は名前からすれば東の象徴なわけで。
2012-04-07 10:11:30これはもしかしたら、「東の方角(つまり東方、さらに意訳すれば幻想郷?)から御所(紫宸殿(紫微宮)、つまり北極星周辺)」つまりは「幻想郷から師匠を見る」(続く
2012-04-07 10:13:05続き)さらに意訳というか置き換えを進めると、ステージ4の月を中心に星が円に動いている図などの要素から月と北極星が置き換え可能だと判断し、それを行うと、平安神宮の図は「幻想郷から月を見る」ことの暗喩になるのではないか、と思ったり。
2012-04-07 10:13:53…とか考えていたところで、Wikipediaの大内裏のページに「1895年(明治28年)には平安神宮が建立され、内部に大極殿、応天門など大内裏朝堂院の施設が縮尺復元された。」という記述を発見。> http://t.co/4iq44WQp 大内裏 - Wikipedia
2012-04-07 10:15:45あれ、これで行くとわざわざ御所を持ち出さずとも、普通に「青龍楼から対極殿を望む」→青龍は東の方角の象徴、対極殿は天帝のいる宮殿の名称の一つで、北極星周辺の星座がそれだとされた。これより青龍楼は東、対極殿は北極星周辺に置き換えられる。(続き
2012-04-07 10:19:57続く)よって、「青龍楼から対極殿を望む」→「東の方角から北極星周辺の星座を望む」、さらに意訳すれば「幻想郷から師匠を見る」、という図に。
2012-04-07 10:22:14ステージ4の背景や、師匠が月の頭脳と呼ばれている点などの要素から北極星と月を置き換え可能と判断してそれを行うと、「幻想郷から月を望む」図とも解釈できる、と。
2012-04-07 10:23:13