元王朝による銅銭の流通禁止と紙幣発行政策
『1276年に元が事実上南宋を滅ぼして中国を統一すると、翌年、元は紙幣専用政策を取り死兵の流通を円滑化するため銅銭の使用を禁止した。その結果中国国内で使い道を失った銅銭が海外に大量流出し、それが日本においては年貢の代銭納制を一気に普及させる結果をもたらした』(贈与の歴史学)
2012-04-09 19:47:46色目人の重用というのも特異です。普通は中華世界を支配したら漢人士大夫に依存するものなのですが RT @1059kanri: @sweets_street イスラームと中華世界を遊牧世界でリンクさせた、やはり当時最強のシステムですねー。
2012-04-09 19:59:57@nonomaru116 何なんでしょうね、未来人でも混ざっていたのかと思いたくなりますw 遊牧民的には、銭は重い、というデメリットが我慢出来なかったのかも知れませんw
2012-04-09 20:00:53@sweets_street 不思議なくらい漢人に頼らない王朝ですね元は。先に西方世界との接触が深かったためかも知れませんが。
2012-04-09 20:07:49中央アジアを制圧して東西交易路を押さえてから中華を統一した王朝って他にないですよね RT @1059kanri: @sweets_street 不思議なくらい漢人に頼らない王朝ですね元は。先に西方世界との接触が深かったためかも知れませんが。
2012-04-09 20:10:35@Historian_nomad @1059kanri 宗室や八旗のような中核勢力を重用するのは当然ですね。そんなに特異な話では無いです。最も忠誠な勢力ですから。北周も遼も金もそうして支配層に取り込んだ士大夫に対抗しています。元が特異なのは士大夫を支配層に取り込まなかったことです
2012-04-09 20:17:52@Jiraygyo @1059kanri 人間も組織もお金の出所に依存しますものね。元は中華の農業生産に依存する度合いが少ないという意味で特異ですね
2012-04-09 20:20:20紙幣というか商人間では為替・手形としてペーパーマネーが流通してましたから、天下余すところなく支配して交易の上がりで食っていく彼らには自然な発想だったのではないでしょうか? RT @1059kanri:@nonomaru116 何なんでしょうね、未来人でも混ざっていたのかも混ざって
2012-04-09 20:25:08@1059kanri この話の始まりは北宋の頃になります。北宋は銭を積極的に発行する政策を取り、北宋を通じての発行額は2~3億貫文と言われます。
2012-04-09 19:56:38ちなみに一貫文=1000文だけど、銅銭1000枚あるとは限らない。この話は機会があれば別のまとめでやりたい。
@1059kanri @sweets_street 復帰。さて、かくも銅銭を大量発行した宋朝ですが(先述の単位が貫文だったのに注目)、銅銭というのは重いです。人が一人で運べるのは、道中全てを買う前提で銭しか持たないようにしても10貫文ほどですから、広域決済には向いていません
2012-04-09 20:24:26@akirakenkian ブログに書きましたけど、シルクロードの本だと、遊牧系・中央アジアの民族・王朝が先に交易を始めたのではなく、定住系の王朝が先に交易というものを始めたようですね。初期の「帝国」はむしろ交易が先で、その後領域国家になったんだと思いますよ~
2012-04-09 20:27:56@1059kanri @sweets_street 一方、経済の発展に伴い、寺院が寄付を受けることも多くなりました。蔵物の管理のために倉庫業を始めるようになり、そして本山と末寺間のやり取りのために為替を発行するようになります。
2012-04-09 20:28:12@1059kanri @sweets_street 寺院から始まった為替手形ですが、同様に多量の財物を管理する政府も参入するようになり、開封―地方各地間で為替が徐々に普及するようになりました。以上が北宋の話。でも広域決済に手形が普及してもなお、銭は足りなかったらしい
2012-04-09 20:29:55@nonomaru116 @1059kanri 詳しいことまでは知りませんが、古代バビロニアだって為替や手形自体はあったらしいです。むしろ元のようにどこまでも広大なネットワークや、宋に代表される経済力にならなくては紙幣発行という形態を取れないんじゃないかと思ってます。
2012-04-09 20:30:34@1059kanri @sweets_street そして北宋を追った金では、基本的に銅銭不足でした。(中国の鉱山事情には明るくないのですが、当時の銅鉱山の多くは南部にあったようです)。金朝では南(対南宋)と北(対モンゴル)での戦費調達に苦しみ、紙幣を発行するようになりました。
2012-04-09 20:34:28