「本当の心の豊かさ」と約150年前のアメリカの現実について

タイトルの通り@bukrd405さんが150年前のアメリカの主に庶民の暮らしについての連ツイです
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@bukrd405

最近流行の「本当の心の豊かさ」について。子供のころ『大草原の小さな家』というドラマを見た人は、あそこで描かれている家族愛に感動したことと思う。大自然の中で、貧しくとも家族が助け合って暮らす。そこで、現実の昔のアメリカの田舎の生活がどんなものだったか書いてみる。

2012-04-14 08:31:33
@bukrd405

南北戦争後の農村生活は絶えることのない苦難の連続だった。農民とその家族はなんとか食いつないでいくだけでも、1日14時間せっせと働かなければならなかった。1870年代から1900年にかけての経済困窮の時代には、たくさんの農場が抵当のかたに取り上げられた。

2012-04-14 08:36:49
@bukrd405

農家のまわりを取り巻くのは、バラが咲いているこぎれいな庭どころか、あるのは牛や馬の糞と堆肥の山だった。そのために、ハエやダニやさまざまな虫は群れ集まって、人間と家畜のどん底生活をいっそう悪化させた。人々は生きるのに精一杯で、衛生観念など持ち合わせていなかった。

2012-04-14 08:39:17
@bukrd405

主婦は料理を作るとき、鉄製の料理用ストーブを使うことが多かった。初期のストーブはひどく使い勝手が悪かったので、これを使って料理するのは、囚人が刑罰を与えられて石積み労働をするのと同じくらいの大変な苦労だった。そのせいで田舎の女性たちはその美貌と体力を若いうちに失ってしまった。

2012-04-14 08:42:20
@bukrd405

洗濯は主婦の日常の労働の中でも、最も肉体的に疲れる仕事だった。女たちはふつう週に一度、庭で洗濯に取り組んだ。まず台所から熱湯の入ったおおきなやかんを運ぶか、そうでなければ湯を沸かすために外で火を起こした。洗濯機もなければ洗剤もなかった。

2012-04-14 08:52:03
@bukrd405

あるのは筋力と、洗い桶と洗濯板の両方を兼ねる中をくりぬいた丸太と、そして手作りの石鹸だけ。農作業で汚れた山のような洗濯物は、一つ一つ洗って数を減らすしかなかった。そのために何時間もかけて叩いたり、すすいだり、絞らなければならなかった。

2012-04-14 08:54:57
@bukrd405

農家の若妻には、夫に劣らない、あるいは夫以上の根気と不屈の精神が必要だった。まさに農耕馬なみの忍耐力である。何しろすぐに手にはタコができ、背中は曲がってしまうのだから。顔は苦労でやつれ、それが農夫の悲惨な状況をよく物語っていた。

2012-04-14 08:58:58
@bukrd405

便利さを考えて井戸は家の近くに掘られた。そして農家自体は、納屋、馬屋、豚小屋、鶏小屋、そして汚水槽の近くに建てられていた。下水らしきものもなく、井戸水は土に浸み込んでゆくありとあらゆる有害物質に汚染された。台所から出る廃油、屋外の簡易便所から出る腐った汚物、

2012-04-14 09:02:35
@bukrd405

(承前)そして家畜の糞尿などが浸み込んで、水の供給源はさらなる危険にさらされていた。そしてそのあたりの空気は実に不快な悪臭に満ち満ちていた。

2012-04-14 09:04:15
@bukrd405

百年前の田舎暮らしには、ハエ叩きなどではとても解決できない厄介事があった。ことに夏には、ハエと蚊と何だかわからない虫の大群が農家を襲撃し、ブンブンとうなり声をあげて人間にかみつき、家中ひっくりかえしたような騒ぎになった。

2012-04-14 09:09:34
@bukrd405

虫は農家の開いた窓から群れをなして室内に入ってきた。そして食べ物や人間にとまったり、レンジや天井に集まり、果物に真っ黒にたかったかと思うと、牛乳の入った瓶の中でのたうちまわり、スープの中で死ぬものもあった。

2012-04-14 09:11:39
@bukrd405

食事の間、男の子はたくさん葉のついた木の枝を渡された。この枝はハエを追い払う道具で、食事中に他の家族がなるべく不快にならないようにするためのものだった。ブンブンいう虫は人と家畜の血を吸うことを決してやめなかった。夜が来ても虫はなす術もなく寝室で寝ている人間に襲いかかった。

2012-04-14 09:19:08
@bukrd405

燃料にするためのバッファローの糞を集める開拓農婦の写真。http://t.co/EDmTN67p ちなみに途上国では今でも動物の糞を燃料として利用しています。

2012-04-14 09:20:46
@bukrd405

田舎では夏に戸外の空気を入れようとすると虫に食われる羽目になり、冬に凍えるのを避けるために窓を閉めると、煙った空気で息がつまった。ストーブから出る煙を我慢するか、それとも寒さを我慢するかのどちらかしかなかった。

2012-04-14 09:55:03
@bukrd405

西部の大平原の今にも倒れそうな小屋の暮らしでは、燃料が底をつけばまさに凍りつく危険が待ち受けていた。小屋には床板はなく、凍った土間がむき出しだった。そのため暖かい場所はストーブのまわりだけしかなかった。猛吹雪の間、入植者たちが家畜を家の中に入れてやることも珍しくはなかった。

2012-04-14 09:57:47
@bukrd405

@jonathanohn ちなみにこの情報のソースは、『目で見る金ぴか時代の民衆生活』(オットー・L・ベットマン、草風館)です。興味のある方は図書館ででも借りて読んでみてください。

2012-04-14 11:35:47