「フランス革命の背景と第三身分(平民)の興隆」あたりについてのよもやま噺

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m_um_u @m_um_u

フランス革命の遠因 http://t.co/ZMeaOQgm 社団国家てのは絶対王政のことで、既存の第二身分に対して第三身分が2.5身分みたいな感じになっていったのはジェントリ→ジェントルマンの形成と同じで問題はなかったと思うんだけど http://t.co/oo2yFjrP

2012-04-15 23:10:18
m_um_u @m_um_u

まぁジェントリと革命についてもなんかあるみたいだけど http://t.co/Kyu6DqEn (ユンカー問題とかもあるんかな)

2012-04-15 23:14:00
m_um_u @m_um_u

農民たちが飢えたり、領主が野盗から守ってくれないことに不満をもった、のがイギリスとの違いのような。前者は「不況」ってことだけどパリ条約がバブルにおけるプラザ合意みたいに効いて、ここを境にルールが変わっちゃったんだよねぇ http://t.co/6NBUBtJ2

2012-04-15 23:17:30
m_um_u @m_um_u

「産業革命の遠因はパリ条約でせしめたプランテーション用の植民地にあった」ということで、ここで一気にイギリスがフランスに優位にたった。にもかかわらず、フランスはそれまでと同じように重商主義で保護貿易により貨幣ためこめばいいとばかり思ってたので、実質的な財が失われた

2012-04-15 23:20:27
m_um_u @m_um_u

重商主義はその前の時代の「戦争で金儲ければいいや」主義に比べるとはるかにマシな国家経営思考だったのだろうけど、保護貿易によってイギリス封じ挑んだのにもかかわらず植民地経営で決定的なところとられてマホカンタくらったのだろうね。んで、イギリスは産業革命+人口増加+植民地農本主義へ

2012-04-15 23:29:42
m_um_u @m_um_u

重金主義はスペインの新大陸銀鉱発掘から。それが貨幣数量説につながり http://t.co/UhOaJ2ED 価格革命(インフレ)に結びつき http://t.co/OKH54U6b 重金(金銀・貨幣ためこめばいい)主義は重商主義に http://t.co/WK8Boqhr

2012-04-15 23:33:29
m_um_u @m_um_u

「重商主義的保護貿易、貨幣ため込みだけだとどうも実質的な富につながらないな」って気づいたのかなんかで重農主義が生まれ http://t.co/jyjsmmBH 「(貨幣だけではなく)商工業用の原材料を重視すべき」、となった

2012-04-15 23:36:10
m_um_u @m_um_u

だから「フランス革命の遠因」というのは「フランスの経済不況」であり、その要因は「イギリスとの競争に負けた」であり、内実は「イギリスとの植民地戦争に三度破れて植民地から手を引かされた」「産業革命用のリソースを失った」「産業的に優位にたたれたのにも関わらずイギリスに封じ込め挑んだ」

2012-04-15 23:41:59
m_um_u @m_um_u

そういうの裏付けるのが名望家(ジェントルマン)の社会的意義のフランスとイギリスでの違いなのかのう。ジェントルマンはジェントリ(田舎領主)を中心として新興平民を取り込んだ準貴族階級だったわけだけど、

2012-04-15 23:45:47
m_um_u @m_um_u

イギリスだとジェントルマンが中心となって産業資本投資から金融資本投資に変化していってパクス・ブリタニカの第二期、資本主義牽引の時代をつくっていったようだけど http://t.co/scJuOAjs (ジェントルマン資本主義)

2012-04-15 23:46:28
m_um_u @m_um_u

フランスのジェントルマンは投資先もなくどうしてたんだろ?(イギリスほどではなくてもちゃんと新興勢力として投資してたのだろうけど)、植民地経営と金融の中心的起爆力もなかったのだったら啓蒙とか市民社会とか言っても絵に書いた餅だったのではないか http://t.co/VCkoh0jQ

2012-04-15 23:57:36
m_um_u @m_um_u

んで、お金ないので力も蓄えられずにプロイセンに二度やぶれていったのだの http://t.co/01210uFZ ナポレオン1世の時の恨みとかもあるだろうし、古くからのロレーヌ領有問題とかもあったのかなぁとか思うけど

2012-04-16 00:00:08
m_um_u @m_um_u

ここまでの流れでのフランスについての疑問はユグノー(プロテスタント)裏切る真似をなんでしたのかなぁ?ってこと。ナントの勅令破って毛織物技術と資本もってたユグノーをイギリス・オランダ・プロイセン・スイスに放逐した http://t.co/vQJk8s6K

2012-04-16 00:02:55
m_um_u @m_um_u

ルイ14世の絶対王政絶頂期のフランスが教皇庁におべっか使って神聖ローマ皇帝位欲しかったからかなぁ、とか思うけど。

2012-04-16 00:06:59
m_um_u @m_um_u

「フランス革命と第三身分(平民)の興隆」の流れで言うと「啓蒙主義によって民主主義が作られていった」というよりは「偶然革命が成功した後に『啓蒙主義によって革命が成功した』って神話が乗っけられた」といったほうが近いような

2012-04-16 00:13:37
m_um_u @m_um_u

「主に不況による不満から暴力革命が勃発。マスケット銃を中心とした時代に移行してまもなくの混乱期だったことにより素人の直列隊列でも通用したことから暴力革命が偶然成功してしまって、そこに流行りのイデオロギーの啓蒙主義が乗っかった」

2012-04-16 00:15:05
m_um_u @m_um_u

啓蒙・理性主義が出てきた背景は第二身分である坊さんに知を独占されていたことがあり、それに対して大学設置やら俗語革命などで知がある程度民主化され、自律的に使えるようになっていったというのはあるだろうけど

2012-04-16 00:18:17
m_um_u @m_um_u

それらを許した遠因的背景として皇帝や王権が諸侯や教皇権に対抗するため商人や銀行家の力を必要としたこと、銀行家などはそれに答えて偏見のない時代の最先端の知を必要としたこと(cf.メディチとレオナルド)、なんかが考えられるかのぅ。

2012-04-16 00:21:52
m_um_u @m_um_u

それが市民革命の始まりの遠因だとすると、終わりのほうでも経済的自律というのが関わってくるのがジェントルマン辺りの話のように、少なくともこの辺りみてると思った(印象論)

2012-04-16 00:23:51
m_um_u @m_um_u

あと、最後に付け加えれば、全体的な時代背景としては「ハプスブルクの終焉」と「プロイセンの終焉」の時期 http://t.co/GvEyoET0 http://t.co/gSvutfJn 「ハプスブルクの宝剣」(マリア・テレジア)の完結かな

2012-04-16 00:25:44

ヘゲモニーとは:政治的支配を伴わない経済的な覇権。ヘゲモニーは生産、流通、金融の順に発展し、同じ順で衰退する。
生産面でその時代で重要な産業で比較優位を握り、生産で得た富を割のいい取引の貿易ルートを構築することでさらに膨らまし、膨らんだ資本を金融で運用・増殖させる、ということっぽい

m_um_u @m_um_u

18〜19cの英仏覇権争いでフランスが先行できなかった背景の基底にはフランスの保護貿易体質をあげたけど、この時代はイギリスも保護貿易だったか。オランダヘゲモニーだったので(p119

2012-04-16 15:42:00
m_um_u @m_um_u

オランダヘゲモニーに対して英仏が保護貿易(重商主義)しつつ、変化はそれぞれの国の戦争やら革命やらに依る、と。オランダは80年戦争でヘロヘロになり、フランスは革命とナポレオンの間に新大陸との貿易がほぼ完全にストップし、トドメに英仏植民地戦争→パリ条約で駄目押し

2012-04-16 15:45:36
m_um_u @m_um_u

ヘゲモニー国として握っていた潤沢な資本はイギリスの機械工業に投資され産業革命を引き起こすきっかけの一つになった、と

2012-04-16 15:47:15
m_um_u @m_um_u

しかし、工場やプランテーション労働力の面で新大陸握ったのがイギリスのアドパンテージになった、というのはわかるけど、産業機械を生み出す知恵や技術力がどの様に培われたかわからんな。。ロイヤルアカデミーに連なる実践知重用と俗語界隈からの知的リソース取り入れかなぁ

2012-04-16 15:50:41