放射能危機から逃避した専門家たち

私はほめられた。
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落花生BOY @bonkuratv

大局的な視点が欠如しているというか、大局的な視点から物を言う人をペテン師扱いして信用しないという風土があるような気がする。それよりも「プロフェッショナル仕事の流儀」に登場するような、黙々と目の前の仕事をやり抜く職人のみが尊ばれる風土が。

2012-04-16 14:47:23
蕩尽伝説 @devenir21

↓ 「プロフェッショナル仕事の流儀」@ NHKに出るような優秀きわまりない専門大衆たちが徒党を組み、日本の進歩を阻害しているのである。専門家は仕事はできるかもしれないが、新しい仕事を創り出すことができない。

2012-04-16 15:17:09
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

↓これはいつの時代にも普遍的に付きまとうことなんだが、3.11以後の日本を見るとそうではない。むしろ「専門家が専門家としてやるべきことをやっていない」の感が強い。タコツボとは専門性に自閉することではなく、世界の変動に対して専門性を矮小化することだと思わせる。

2012-04-17 07:32:49
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

専門家は「問題を解決する」能力に秀でているように思われがちだが、専門家はそれ以上に「問題を発見する」能力に秀でている。問題を発見するからこそ研究し解決する。しかるに3.11以降、問題発見から目を背けているかのような専門家が目につく。何もかも既知のことのように評論する。

2012-04-17 07:52:20
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

日常が安定していると「問題」を発見するのはなかなか難しい。日常が揺らぎ異質なものがチラリと顔を覗かせた時に、日常の背後に隠れていた「問題」が可視化する。それを見逃さずに切り出すのが専門家の手腕だと思っていた。ところが、3.11で日常は揺らぐどころかパックリと巨大な裂け目を開けた。

2012-04-17 12:52:10
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

日頃背伸びして天下国家を云々している私などはしばらく何も書けなくなった。目の前で起きていることについて何かを論じることに恐れを抱いた現実に圧倒された。あっさりと「言語に絶し」てしまう自分の卑小さを思い知らされた。この点、専門家はどうだったのか?

2012-04-17 12:53:57
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

「御用」「エア御用」と評される学者がメディアに目立つようになった。彼らは日常に開いた巨大な裂け目を覆い隠す方向での言説を志向した。「問題」を発見するどころか、大衆にも察知できるような問題が取るに足らぬことであるかのように、あるいは存在しないかのように振る舞った(多分続く)

2012-04-17 13:00:44
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

そんな中で気骨を示した専門家もいる。例えば、火山地質学が専門の早川由紀夫教授だ。氏は傍観者や隠蔽者たちから過激な煽り屋と攻撃されるが、そのベースには専門家としての地道な作業がある。火山灰の運動との類推や測定データから得られる放射能の分布や挙動についての知見を盛んに発信している。

2012-04-18 05:03:00
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

ありがちな「専門を脇に置いての一市民としての社会活動」や「運動家への変身」とは一線を画し、徹底的に専門性に軸足を置いての活動であること、それが人々に有用な情報を生み出していることが注目に値する。氏の守備範囲がたまたま対象と親和していたという話ではない。

2012-04-18 05:04:24
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

と同時に、氏は人々や社会に対する強い警句的発言も行っている。これを「専門家の殻からの離脱」と単純解釈するわけにはいかない。なぜなら、その警句は科学者として対象を究めたことによる確信が言わしめるものであり、専門家であることの責任意識、専門家であることと一体の発言だと思われるからだ。

2012-04-18 05:05:09
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

3.11以降「役立たずの専門家」の群れにうんざりして「脱タコツボ」「脱専門家」を安易に語る前に、専門家が専門家に徹して仕事をすることの大切さを強調しなければと思う。「脱専門家」というものがあるとすれば、その先にしか無いのではないか。早川教授らの仕事を見てそう思った次第。

2012-04-18 05:07:09