80年戦争、あるいはオランダヘゲモニーへの経済史的背景として(仮)
グルデン(フィレンツェ、1252~)→ターラー(チロル、1486~)→ターラー(ボヘミア、1520) 以後、当時のオーストリア系銀貨は「ターラー」 / “米ドルの故郷はチロルとボヘミア” http://t.co/BxxNjfbT
2012-04-20 16:35:38ドッカード金貨(ヴェネツィア、14~15c)、スペインから貴金属大量流入(16c,鋳造場所わからず)、バンコ・グルデン(オランダ、17c)、フランスイギリスの植民地通貨としてポンドとリーブル(18c) / “基軸通貨の歴史、基軸通貨と…” http://t.co/VKvJFz1R
2012-04-20 16:40:10「マンツフェルト・南ザクセン・ボヘミア・ドイツ(シュヴァルツシルト、ティロル)・ハンガリー、レーエン(シャフト):鉱山保有権(税)、十分の一税の最初の形、国は地金を廉価で購入→地金と造幣金額の差が大きな国庫収入に、
2012-04-20 17:28:41『カール5世、フッガー家などに対する独占非難の勅令』、ケルン周辺・エルベ川流域(プラハ北)・イン川南、地金を廉価で購入→地金と造幣金額の差が大きな国庫収入に、鉱山プランテーション、先買権=金融 / “中世末期・近世初頭のドイツ鉱山業と…” http://t.co/ui8xbAOo
2012-04-20 17:28:41先買権=金融:(5グルデンで買った銀の先買権は最終的に10グルデンの価値→2グルデンの儲けに)、上げた利益でフッガーなどが銅買い付け(戦争材用)、鉱山プランテーション(→労働者不満)、南ドイツとヴェネツィア商人の連携、対フッガーライン→ヴェネツィアへの銅禁→アントウェルペンへ
2012-04-20 17:33:39基軸通貨の流れみるとその時代の経済の中心がどのあたりだったか分かるし、銀と人口の流れがそれを裏付ける形になるんだろうけど。銀はただ採掘→鋳造してるだけだと富に通じなくて、実際にモノと交換した時点で富になるのだろうからそれを含んだ流通全体の流れがわからんとなぁ。。
2012-04-20 17:59:33価格革命周辺のこの辺の流れがどうも未だはっきりわかってないというか、色々議論があるみたいなのだよの。ヴェネツィア+南ドイツラインからブリュージュ、アントワープ、アムステルダムに移っていった流れもよくわかってないみたいだし。バルト海沿岸の貿易もよくわかってないみたいだし
2012-04-20 18:03:50中世から近世ぐらいの大商人のはたらきっぷりについてまとまってるものが意外とない。。メディチ、フッガー、ウエルザーみたいなのが銀行・金貸しして発言権強めてった、みたいなの
2012-04-21 00:57:02この時代だとまだ活版印刷できてなくて商人活動記録みたいなのなんかわざわざ残さないので全体的な実態が捉えにくいのかのぅ。。地域研究みたいなのだと出てるのだろけど
2012-04-21 00:58:46「ヨーロッパ中世の手工業と商業(瀬原義生)」よりフッガー、ウェルザーなど http://t.co/f3Xe4O3G http://t.co/IDQjPG6H / “HD: 中世期の商業3” http://t.co/gZS1yaqg
2012-04-21 01:02:59従来の政治学とかだと「このように王権が弱く都市国家が多かったので中央集権デキなかった」みたいな言い方されるけどなんか逆のような。。(商業的自治権が固まっていたので経済的な準ヘゲモニーはたらいて中央集権する必要がなかった。もしくは高度に複雑化した商業組織・制度運営のために
2012-04-21 01:15:48なるほろ。中世、近世だと株式会社なかったから金融つっても王権に融資するぐらいしかなくてそんなに膨らまなかったのか(一部ぐらいしか) モノの量もカネの量も人口も少なかったし
2012-04-21 01:21:38もともとは東方に綿と麻ブレンドした織物売って一財産儲け、そこから鉱山商売に手を出した。ハプスブルクの鉱山、銀行取引を一手に率い、ハプスブルクの没落とともに消えていった(贖宥状を教皇に薦めた、絡み / “南ドイツといえばフッガー家: ぴ…” http://t.co/TccGsGH2
2012-04-21 01:45:21為替取引でレートの利ざやを得た、と。やってることは高利貸しなのでカトリックの教えに反する→ルネサンス芸術に寄与することで贖罪 http://t.co/Z0gCz0Lq cf.煉獄の創造と贖宥状 「中世の高利貸し」 … http://t.co/hZwKfk4N
2012-04-21 02:06:08