藤田直哉さんが語る「本物のアート」と「口実としてのアート」
- macedoniablue
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大きな文脈の話をすると、「個性化志向」「表現者志向」の賞賛と、ネットの発達による一億総クリエイター時代が来たけれども、デフレなどなどによって金銭と名誉のパイがなくなっているから、一生を「表現すること」に賭けた人たちが大変困って自前で調達しなくてはいけなくなっている、こういう前提。
2012-04-22 03:19:50金銭と名誉、いわゆる「輝かしいクリエイター」は少数、だから承認を自前で相互に調達したり、肩書きを名乗るハードルを下げて対応しないと夢と現実のギャップに自意識と自己愛が対応できない。そういう社会的条件の中で「集団」や「組織」のアートというものが出てきていて。
2012-04-22 03:21:27前に「60~70年代は政治」「90年代は宗教」だったが、次は「芸術」に社会の歪が集まって噴出するのでは、と言ったことがある(ヤバくなる共同体、という文脈で)。そういう状態なのだと思う。問題は、どこまで軟着陸できるかに賭けられているのだと思っている。
2012-04-22 03:23:06ただ、ここで「本物のアート」と「口実としてのアート」に分けることができるのかどうか…… 評論家としては前者の「本物」を見分けろ、ということになるのだろうけど、語の定義自体が時代の必然として変遷していくことはそれ自体として認識していかなくちゃならないわけで。
2012-04-22 03:46:35もし後者の数が圧倒的で、「芸術」の概念を塗り替えてしまったら、前者が本物で後者が偽者だ、という風な認識は時代遅れということになる。その変化をどう捉え、どう判断するのか、というのが大問題になっている、とは思う。
2012-04-22 03:48:01例えばオウム真理教の事件が起きたとき、いわゆる「本物」(ということが可能だとして)の宗教は、オウムと同じ「宗教」と世間に思われることでどんな損害を受けたのか。……本物と偽者をどう分けるのかなんて、島田裕巳や中沢新一の言説を見てれば、事前にわかりやしないんだろうけど。
2012-04-22 03:50:32後者にこそ圧倒的な価値があり、真の芸術なんだ、と言えるだけの圧倒的なパッションがあれば、評論的にロジックを組み立てて、そう書いたらいいと思う。きっと需要があるし、その価値転倒は話題になる。ぼくも書きたい、それを信じられれば。
2012-04-22 03:56:1217のときにNYに連れてってもらって、なんの予備知識もない状態でMoMA行って、ポロックのなんかでかい絵見て、そのときに圧倒的な感じを受けて立ち尽くしたのが、ぼくが平面絵画に圧倒された唯一の経験。フランスでモナリザ見ても「写真に似てるなぁ」ぐらいしか思わない人間の唯一の体験。
2012-04-22 04:03:48そのときのポロック体験は、いわゆる概念とか意味とか関係なしの体験だった。しかし、その後調べてみて、ポロックは随分と「偽者」とか「ちゃんと手で書いてない」とか言われていると知った。
2012-04-22 04:05:06だから、「本物」か「偽者」かの価値判断は歴史が決める。狭く言えば専門家の「言説」なり「研究」なりが決める。民主的に言えば、民意が決める。というところはあると思う。そのように価値が決まる身も蓋もなさを超える、ある超越的な価値基準があるのかどうか、個人的にはわからない
2012-04-22 04:29:13その上で、「言説」や「概念」が現代アートには大事だという通念(それも言説なのだけれど)を踏まえた上で、どうも「言説」でなんとかしようとする人たちには、擬似的にでも超越的な価値を信じないと共同体や歴史を超えて評価されることはできないんじゃないかと危惧している。
2012-04-22 04:36:54ある程度のレベルまで自分自身で高めて、その上で戦略的に「言説」を使うのでなければ、内輪で褒めあい、向上心を失う、自堕落な装置に化すだけなのではないかと思う。よっぽどの克己心を最初から持っている人以外は手を出すべきではない麻薬に似た何かだと思う。
2012-04-22 04:38:24アートの価値というものに対する信仰めいたものをなくしてしまうのなら、(犯罪や著作権違反の側面は別として)社会的矛盾の極限におけるバッファとして機能してくれたらありがたい、という考え方もありうる。共同体を形成して、相互承認によって低コストで生き、かつ承認を調達する合理性も認めうる。
2012-04-22 05:12:07ただ、その場合、社会問題に対応するための福祉、とほとんど同義になってしまう。それでも構わないっちゃ構わないという立場もありうる。よっぽどの迷惑を社会にかけない限り、社会的機能としてはそれは有益であるから。これなら助成金も正当化しうる。「芸術」であるという名目の福祉であるなら。
2012-04-22 05:15:09そう考えた場合 1「それは面白いのか?(内部における価値判断と外部からの価値判断のギャップについてどう考える?)」と、2「社会的機能の合理性故に存在を許されていて芸術という名目を与えられてるに過ぎないのだから社会に迷惑かけたらあかんよな」ってのが出てくる。
2012-04-22 05:20:47問題を整理すると、「現代において福祉に等しい意味に近付いた〈芸術〉」をやっているのに、同じ言葉だからといって、かつての歴史的な〈芸術〉家と自分が同じだと思い、模倣しようとするから、余計なトラブルが起きている、ということなのでは。
2012-04-22 05:23:00