長野市街地いろいろ

地味な地方都市ながら、長野市は実はさりげなくすごい都市だったりします。それを散策しながら、つらつらと。
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長野市は五輪開催で注目を集めたとはいえ、比較的地味なイメージのある都市。しかし実態は、都市政策や交通政策で日本有数の高度な施策を準備・実施している都市でもあります。そんな長野の中心市街地、ほんのちょっと覗いてきました。

まずは長野駅に着き、駅前から斜めに延びる広幅員道路へ。

せき のりかず @kotonoha_s

長野大通り。長野電鉄を地下化し捻出した土地を都心環状道路にしたもの。昭和50年代の設計・開通ですが、当初から片側3車線+自転車レーン付の、今でもまだ先進的な道路。 photozou.jp/photo/show/474…

2012-05-19 11:40:36
リンク フォト蔵 長野大通り。長野電鉄を地下... - みんなの写真コミュニティ「フォト蔵」 長野大通り。長野電鉄を地下化し捻出した土地を都心環状道路にしたもの。昭和50年代の設計・開通ですが、当初から片側3車線+自転車レーン付の、今でもまだ先進的な道路。 http://twitter.com/kotonoha_s
せき のりかず @kotonoha_s

地下には長野電鉄が走ります。大正時代の開通時から複線電化の、これまた先進的な地方私鉄でした。今でも長野市の基幹軸として機能する、都市インフラです。 photozou.jp/photo/show/474…

2012-05-19 11:46:00
リンク フォト蔵 地下には長野電鉄が走ります... - みんなの写真コミュニティ「フォト蔵」 地下には長野電鉄が走ります。大正時代の開通時から複線電化の、これまた先進的な地方私鉄でした。今でも長野市の基幹軸として機能する、都市インフラです。 http://twitter.com/kotonoha_s

長野電鉄は、元は地上を走る複線電化鉄道でしたが、開業当初は市街地の外縁に線路を敷いた形だったものの市街地の成長で線路より外側にも市街が拡大、その結果線路が市街地の中を縦断するような形態になり、踏切による交通渋滞が問題となりました。

そこで連続立体交差化して踏切を除去しようということになりましたが、事業費や維持管理費の安い高架化を推す県や長野電鉄に対し、長野市は「都市計画にどうしても必要な都心環状道路として軌道敷を転用したい」として地下化を強く望み、高架化と地下化の差額を市が負担するような形で地下化を押し切り、この道路が出来ました。

まずは長野電鉄長野駅から電車に乗って、善光寺下駅まで行ってみました。折り返しも電車で。

リンク フォト蔵 新玉川線に乗ります。 - みんなの写真コミュニティ「フォト蔵」 新玉川線に乗ります。 http://twitter.com/kotonoha_s

善光寺下駅からの長野行き上り列車の様子。

せき のりかず @kotonoha_s

さすがに土曜日なので空いてます。でも善下までは20m3連が満席になってたんだから、地方都市としては上出来。 photozou.jp/photo/show/474…

2012-05-19 07:54:38
リンク フォト蔵 さすがに土曜日なので空いて... - みんなの写真コミュニティ「フォト蔵」 さすがに土曜日なので空いてます。でも善下までは20m3連が満席になってたんだから、地方都市としては上出来。 http://twitter.com/kotonoha_s

長野電鉄の長野線は、地方都市としては稀にみる「通勤利用」がきっちり見られる路線。平日朝ラッシュ時は通学だけでなく通勤者で混雑します。

※朝ラッシュ時の詳細は、こちらに。
http://photozou.jp/photo/list/475086/3452227

長野線は北国街道沿いの古くからの集落近くを走る路線形態ですが、長野市が都市計画において居住系は鉄道沿線に、工業系は将来の幹線道路沿線にと意識して土地利用を進めてきたこともあり、電車沿線は良好な住宅地として開発・定着しています。

また昭和40年代から「さわやか日替わり通勤市民運動」が展開され、自動車だけに頼らない都市交通形態を目指してきました。

せき のりかず @kotonoha_s

長野市の「さわやか日替わり通勤」は、公共交通への誘導策として参加宣言をした事業所従業員向けの特別回数券発売や自動車相乗りが難しい帰宅時のサポートとしての片道定期券の設定、バスでは路線途中停留所始発便を設定して着席可能性を高めたり、雨の日の増発運行などもあり、本気の対応でした。 pic.twitter.com/A6l2WM7K9R

2020-11-23 08:43:29
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この運動はノーマイカーデーのように特定日に一斉実施するのではなく、事業所や団体単位で「可能な日・可能な手段」を考え、実施するスタイルでした。A社は毎週水曜日に電車通勤を推奨B社は火曜日にマイカー相乗り通勤を実施、という形で、各自が都合の付く日取り・手法で実施するスタイルとして無理なく参加できるよう工夫し、同時に協力者用特別回数券の発行やバスの増発改正を実施し、公共交通への転換誘導も図られていました。

さわやか日替わり通勤運動に合わせて、公共交通側でもバス・電車共通回数券や片道定期券の設定(朝は自動車乗合や家族の送迎・帰宅時は時間がバラバラなので公共交通利用などの場面を想定)、ラッシュ時のバス増発や混雑路線での着席機会増加による利用促進を目的とした「途中バス停始発便」の設定、また特に自転車やバイクからの一時転換が多く見込まれる雨の日になどに特別増発(ダイヤに織り込み済み)するなど、様々な工夫が行われました。

こういった様々な工夫の効果もあってか、上記のように今でも通勤手段として公共交通の利用が一定数残っているのでしょう。

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