原田正純『裁かれるのは誰か』(世織書房、1995年)紹介

 本書は、水俣病問題をとくに専門家や専門性というテーマから考えなおしたものです。  専門家たちは水俣病に対してどのようにかかわったのでしょうか。また、専門性はどのように活かされ用いられたのでしょうか。こうしたテーマに関心のあるひとにまず手にとってもらいたい一冊です。  今回は、長年水俣病にかかわってきた著者の思いがよく描かれているように思えた「あとがき」から引用しその内容を紹介しました。 Amazon: http://t.co/MTdbDgBv 続きを読む
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dabitur @dabitur

読了. 原田正純『裁かれるのは誰か』(世織書房、1995年) http://t.co/MTdbDgBv

2012-05-27 23:53:57
dabitur @dabitur

水俣病の問題を「専門家」の問題としてとらえて考えなおす、という趣旨の本。原田のほかの著作との重複が多く、とりわけ新しい議論はないように感じたが、それでも「専門家」の問題ということを全面に押し出すということは現在なおいっそう必要な作業であるように思われる。

2012-05-27 23:57:56
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以下、あとがき等からおもしろかった箇所をいくつかピックアップしておく。

2012-05-27 23:59:38
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原田正純(1995)『裁かれるのは誰か』あとがき:「世織書房の伊藤晶宣さんに何か書いて欲しいといわれたとき、正直いって頭は空っぽであった」(p.245)

2012-05-28 00:01:03
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原田(1995:245)「1972年の『水俣病』(岩波新書)以来、『水俣が映す世界』(日本評論社)、『水俣、もう一つのカルテ』(新曜社)など水俣病と名のつく著書を10冊余り出版した。* したがって、水俣病に関していうなら当分書くことがないように思われた」

2012-05-28 00:02:11
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原田(1995:245) 「ところが最首悟さんから『水俣病における専門家の責任』みたいな点について書いたらという助言を受けて動き出した」

2012-05-28 00:02:57
dabitur @dabitur

原田(1995:245)「水俣病とのかかわりの中で非難、中傷、いやがらせ、脅迫などは大した問題ではなかった。たとえ、暴力団であろうとどうということはなかった。正直いって一番応えたのは同じ専門家といわれるものたちからの批判であった」

2012-05-28 00:03:37
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原田(1995:245)「それも堂々とした批判や反論ならまだしも、陰湿な陰口や策動(排除・無視)であった。排除や無視では議論にならない。そのために私は次々と書いていくしかなかった

2012-05-28 00:04:18
dabitur @dabitur

原田正純(1995:246)「細川政権の崩壊のその日、まさに正午、私は広中環境庁長官に面会していた。*真拳な姿勢は好感がもてた。しかし、私は水俣病に関してすでに何人もの環境庁長官に個別に会ってきた。*助言が実際に実現したのは三木武夫環境庁長官の国立水俣病研究センターだけであった」

2012-05-28 00:06:22
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原田正純(1995:246) 「したがって、長官に会ってもほとんど何も期待できないのである。それでも広中長官にいいたかったのは水俣病事件における専門家の責任についてであった」

2012-05-28 00:07:34
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原田正純(1995:246) 「そして、環境庁がかかえている水俣病に関係のあるいくつかの専門家会議のメンバーを少くとも半分入れ替えることを提案したかった。そうすれば、そのうち自ずと解決すると考えたからである」

2012-05-28 00:08:04
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原田正純(1995:246-7) 「その後、自民、社会の連合*がおこり、村山政権が誕生した。それでも事態に大きな進展はみない。結局、この国を実際に動かしているものは誰かということが今回の政権交代でよくわかった。この国を動かしているのは世界で最も優秀だといわれる官僚たちである

2012-05-28 00:09:57
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原田正純(1995:247) 「もちろん、今日の日本経済発展は彼らに負うところが大きいが、彼らのつくり出したシステムが問題の解決を復雑にしている。官僚たちが意志を決定し、立案し、実行するのであるがその過程で多くの専門家たちが利用される」

2012-05-28 00:11:07
dabitur @dabitur

原田正純(1995:247)「各省庁に多数の審議会、協議会、懇話会、調査会、諮問委員会、専門委員会、審査会、検討委員会などが存在し、さらに県、地方自治体レベルでも国に見習って同じようなものが存在している。*ここに多数の専門家と呼ばれる権力あるエリートたちが招集されている」

2012-05-28 00:12:41
dabitur @dabitur

原田正純(1995:247) 「ここで問題が議論され答申され、その答申によって実施されるというきわめて公平にみえるこれらの手続きは、そのいくつかは単なる儀式にすぎない。しかも、そこでの議論が未公開であり、その人選も官僚の思うままである

2012-05-28 00:13:36
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原田正純(1995;247) 「しかも、そこでの議論が未公開であり、その人選も官僚の思うままである。とすると専門家による専門的事項という理由で議会の議論を経ていないから議会制民主主義を破壊していることになりはしないか」

2012-05-28 00:14:06
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原田正純(1995:247) 「何故か学者たちもこの種の会にはいりたがる人が多い。しかし、選ぶのは官僚であるから日頃から過激な(官僚に批判的な)ことはいわない。結局、官僚に都合のいい人が多く集められるから、結論は最初から決まっている。ただ官僚の決めたことを追認することになる

2012-05-28 00:15:04
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原田正純(1995:247) 「もちろん、すべての会がそのようだといっているのではない。そのような会が多すぎるのである。そして、その決めた結果について専門家たちは絶対に責任をとらない。誤ちを犯そうが、とんでもない結果がでようが、専門家たちは無責任にいいっぱなしである」

2012-05-28 00:16:14
dabitur @dabitur

原田正純(1995:248)「このような構造が変らない限り問題は解決しない。そして、このような専門家がいる限り民衆は専門家を信頼しない。水俣病事件はその典型である。最初から意見の異なるものを半分入れておいて、そこで十分議論しておけば、その後はかえって円滑にすすむはずである」

2012-05-28 00:17:07
dabitur @dabitur

原田正純(1995:248) 「この本ではこのような結論に至る私と水俣病のかかわりを専門性という視点からまとめた。これは決して水俣問題に特異な問題ではない。普遍的な問題としてとらえてもらいたい」

2012-05-28 00:18:02
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原田正純(1995:248) 「水俣病は鏡である。そこに映し出され、あぶり出されてくるものは企業の責任、国家の責任ばかりでなく、専門家たちの責任も重大である。そして、また私たち自身の責任もあぶり出されてくるのである」

2012-05-28 00:18:37