死にたいと思っているすべての大学生へ Masaki Ohashi(@ohashimasaki )氏2012/06/12
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大学のとき、俺は就活しなかった。別にやりたいことや自信があったわけじゃないけど、どこで何がしたいのか分からないのでそんな状態で働けるわけもない。(今も来るのかわからないけど)膨大な量が勝手に送られてくる会社案内も、なぜか俺にだけは1部も届かなかった。続く
2012-06-12 17:19:47続き。当時はバブル崩壊数年後でまだ景気はそこそこ良くて、まあみんな有名な企業に就職して俺なんか相手にしなくなったw でも、自分としては自分が本当は何ができるのか、どうしても自力で確かめてみたかった。それは、幼稚園に入ってずっと奪われ保留にされていたことだった。続く
2012-06-12 17:27:10卒業式の前後に、俺はまず東急ハンズに行って電動ドリルを買った(これ以降、どんどん工具を買って使い方を覚えていった)。それからとりあえずベトナム料理屋でバイトすることにした。そして、自分が生肉さえ切ったことがなかったことに驚いた。ベトナム人のおばちゃんは優しかったよ。続く
2012-06-12 17:30:27そのあとも、20種類以上のバイトをした。わざとやったことのない「汚い」仕事を選んだ。おっさんにいじめられたり、薬品を浴びたり、ロングサイズのトラックを運転させられたり、いろいろした。でもおおむねみんな優しかったし、ほとんどのところで「うちで働かないか」と誘われた。続く
2012-06-12 17:34:28あるよく晴れた夏の日、ボウフラ駆除の薬品を噴霧するために、胸まである長靴?を着けて俺はドブ川に入っていた。ドブ川の底は渓谷みたいに静かで涼しかった。俺はなぜか「ここまで来たんだ…」と思った。そのとき橋の上を1台のBMWが通り過ぎた。続く
2012-06-12 17:38:18そのBMWは、若い奥さんが運転していて、小さい女の子を乗せていた。「友達」たちが住んでいるであろうキレイな世界と、俺がいる場所のこの違いを、そのときほどはっきり意識したことはない。でも自分はキレイな世界にこのまま行く気はなかった。まだまだ見ぬ先があると思っていたから。続く
2012-06-12 17:42:23落ち込むと本屋に行って、知らないジャンルの雑誌を何万円分も、興味のままに買ってきて読んだ。とにかく知りたかったし、自分の知らない世界が広大に開けていると分かると、風通しが良くなって気分がよくなった。つまり、狭い価値世界は閉塞感となり、すぐに絶望しやすくなることがわかった。続く
2012-06-12 17:47:19夕食作んなきゃいけないしあんまり連続で書くと嫌がる人もいると思うので、子どもが寝たらまた続き書きます。 死にたいと思っているすべての大学生へ。
2012-06-12 17:52:56駅のアクリル板の時刻表に時刻のシールを貼るバイトしてたとき、深夜の突貫工事に連れていかれたことあるんだけど、施工系のお兄さん達の仕事の速さ的確さは凄いね。ショックドライバーでネジを打つ時の、そのまま行くかやり直すかの判断とか、見ててこれこそが「仕事」なんだと思ったのを憶えてる。
2012-06-12 21:56:00肉体労働をしているときは、その精神的補償としてか、とにかく本を読みまくった。毎日夕方になると古本屋に寄ってドトールに行った。気づいたこと考えたことはすべてメモするようになった。夜はシンセサイザーとシーケンサーをいじってた。いま思うと最高に優雅だな…(笑)。
2012-06-12 21:58:11プー太郎してて友達もいなかったときにも、日向ノエミア先生というポルトガル語の先生だけは、授業をとってたわけでもないのに面白がっていつも相手してくれた。人を生かすのってユルさと多様性なんだろうと思う。自分が暗く苦しい道を歩いたことがなければ、他者への想像力はとても持てないと思う。
2012-06-12 22:03:48ブランド(世間体)を追いかけてると苦しくなるよね。それにコントロールされるのがいやだった。でもそういう圧力をはね飛ばす自信もなかった。いま思うと日本的圧力って飽和した環境内での共喰いだから、そこを出れば涼しい風が吹いてる。ごく普通に自然や世界を基準に変えればどうでもよくなる。
2012-06-12 22:06:58よく「やりたいことが見つからない」っていうけど、考えてたってそりゃ見つかるわけない。仕事ってカテゴリとしてまとめられてる数よりはるかに多くて、1億人いれば1億種類の仕事がある。だから求人されてる仕事の奥に、ゴキブリの例のようにその100倍ぐらいの種類の仕事がある。本当だよ。
2012-06-12 22:08:15だからやってみないと見つからない。でも「これは違う」と思ったら速攻やめること。これは損切りだから早ければ早い方がいい。自分の知ってる仕事の種類なんかたかがしれてるから、ちょっとでも気になればとりあえず「カラー」を問わずやってみればいいよ。すべての現場で意外な出会いが必ずある。
2012-06-12 22:12:55(矢継ぎ早につぶやくといやがられるかもと思ったけど、結構そうでもないようで、なんかわかんないけど泣きそうwww 日本は変われるよ絶対に)
2012-06-12 22:39:56関係ないけど、たぶん日本ではこれから被相続人に対して相続人が少ない状態、つまり2軒も3軒も相続してしかもそれを貸したり売ったりする当てもないような時代になりそうだから、移民が増えない限りは、住むところはあるけどお金もないみたいになるかもね。空いた土地で野菜作る人増えるかもなぁ…w
2012-06-12 22:59:10ちなみに親父は開業医だったけど俺が大学卒業直前に脳卒中で倒れて半身不随になって廃業して、泣き虫キャラに変貌(脳をやられると変貌する)して約10年生きた。貯金があるかと思いきやかなりの借金があって、俺が生まれた頃の開業時も超貧乏だったらしいので家族はふりだしに戻ったwwww
2012-06-12 23:10:57病院に行って親父のウンコまみれのパジャマをレジ袋に厳重に入れてしばって持って帰ってくるとき、山手線の中でにおってないかと気にした春の夕方もあった。介護はとくに母には大変だっただろうけど楽しくもあった。子どものようになった親父とたくさん話せたし、孫にもギリギリで合わせてやれた。
2012-06-12 23:18:44俺のプロフィール見るとなんか研究者か開発者みたいに見えるけど、ブラジル人の友人の紹介でコールセンターで電話取ってただけなんだよ。そんなの女の子がやる仕事だと思ってやる気なかったんだけど、お客さんと話すの面白くてwwwwwしゃべってるだけで金もらえんのかってwww
2012-06-12 23:54:35である日、上司が100人以上のシフトを手作業で作ってるの見て「自動でできるよ!(たぶん)」ってホラ吹いて帰りに池袋のジュンク堂でExcelの本を片っ端から立ち読みして、マクロっていうのでできるかもって思ってアキバで自腹で中古(人生初)PCを買ってきた。当時はWindows98。
2012-06-12 23:54:55大村あつしのExcelマクロの本を見ながら自宅で頑張ってExcelが勝手に動いてシフトができるの作ったら、電話取らないでいいからこっちやれってなった(笑)。どんな職場にも、こういう予想外の仕事や機会がある。最初は突破口として自腹が必要になるけど、それは実は自分の突破口のため。
2012-06-12 23:55:43その後も紆余曲折あってまだコールセンターにはいるんだけど、俺とていつクビになるか分からないのは誰と変わるものでもない。でも求人してない仕事してるのは確かだし、ほとんど誰にも何も言われずに自分の好きなことできてるのも確か。所得はたぶん確実に大学同期のなかで一番低いですがwwwww
2012-06-13 00:03:05