日本の中世南北時代の戦の死因、血糊などについて

日本の中世・南北時代などの戦の死因と軍忠状、血糊などについてのツィートをまとめました。
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ちていのき @baritsu

唐土にては樋の事を血漕といふなり武備誌に見えたり…人を切りたる時血が樋の中へ入りて流れば刀に多く血糊つかざる為なり血にまみれて血こつつけばねばりて切りの障りになる事あるべしとの用心也 (剣論) うーん東大学工学部さん引用データは編年とか著者名とか出してくれると助かったんですけど

2012-06-09 03:53:58
ちていのき @baritsu

しかし他の引用書からみて「剣論」もたぶん江戸期の本だろうなぁ。あちこち見たけど江戸期にここまで具体的に血糊云々と書いた本は見たことなかったけど。うーん…なんかなぁ

2012-06-09 04:07:13
我乱堂 @SagamiNoriaki

血糊が斬るに差し支えるという話は、みんみんぜみさんから聞いたところによると少なくとも江戸初期くらいの実戦を経験した者たちが残しただろう伝書には書いてないそうだ。影響があるのならば少しくらい言及していてもよさそうなものなのに…ともわれてたが。

2012-06-09 04:55:14
我乱堂 @SagamiNoriaki

しかし一キロの鉄の刃物を体重50~60キロの人間が力いっぱい振り回して、厚さ数ミリ程度の血糊が何か緩衝材として機能し得る…というのはどうにもありえない。包丁は云々とはいうが、刺身包丁で魚を捌くのと一緒にされてもなあ…。

2012-06-09 04:58:50
ちていのき @baritsu

だから探してるんですw RT @SagamiNoriaki:少なくとも江戸初期くらいの実戦を経験した者たちが残しただろう伝書には書いてないそうだ。影響があるのならば少しくらい言及していてもよさそうなものなのに…ともわれてたが。

2012-06-09 05:20:52
ちていのき @baritsu

でもねーよく言うでしょ動脈を狙うとか、ああいう精妙な技では血糊で滑る、刃が寝てしまう、切り進めないというのはあり得るとも思うのよねー RT @SagamiNoriaki: なるほどwけど多分、血糊云々は迷信の類だと思う

2012-06-09 05:27:00

いくさの戦死について

ちていのき @baritsu

ディスカバだったか鎌倉で出た人骨の番組で頭蓋骨の切り込み跡をやってた。検証で切ってみて西洋刀が切り込んだ後骨を砕いてしまうのに対して、日本刀はあくまで切るに留まっていたのだけど、あれは興味深かった

2012-06-09 05:30:36
ちていのき @baritsu

ナショジオ(でした)でやってた鎌倉出土の人骨「戦士たちの墓場3 蘇るサムライ」関連の論文があった「 鎌倉市由比ヶ浜地域出土中世人骨の刀創」 http://t.co/MITdCNR5

2012-06-10 01:09:34
リンク t.co 書誌事項
ちていのき @baritsu

こちらは座談会 「中世鎌倉の発掘 仏法寺跡と由比ヶ浜南遺跡をめぐって」 http://t.co/AwV9LTRt

2012-06-10 01:11:43
東国剣記 @tougoku_kenki

@SagamiNoriaki @CLONE_P0806 大半の戦国武士の死因はわからないですよ。基本的に軍忠状からわかるのは合戦の後に生還した人間が申告する傷です。 だから壊滅した陣営の戦闘員がどうなったかなんてまずわからないです。

2012-06-10 23:19:00

コンラン論文による軍忠状による戦傷の分析について

東国剣記 @tougoku_kenki

では、戦国ではなく南北朝時代(軍忠状の原則は変わりません)で、また刀と槍ではなく弓矢についてですが、これからトーマス・コンラン氏によ る軍忠状研究『南北朝期合戦の一考察』から数ヵ所引きます。

2012-06-13 20:04:39
東国剣記 @tougoku_kenki

コンラン氏は軍忠状に記載される記載の負傷の統計を取り、日本の南北朝時代に関してその受傷数の多さから「一四世紀を通して弓は一番有効な武器であった」としながらも次のようにも分析しています。以下、【】内は引用者が勝手につけた見出しです。

2012-06-13 20:05:43
東国剣記 @tougoku_kenki

また、「太刀」による戦傷とされているのは引用者が軍忠状を実見する限りあくまで武器不明の「切疵」とすべき箇所だと思いますが、原文通り載せます。

2012-06-13 20:06:06
東国剣記 @tougoku_kenki

【※軍忠状からわかるのは死因ではなく戦傷】 ・戦死の原因は負傷の内容を分析することで明らかになる。武士が殺害された場合、その原因について軍忠状に記載はない。しかし、戦傷については、一二五○例のうち約半数にどこで、どうやって負傷したかが詳細に記載してある。

2012-06-13 20:06:26
東国剣記 @tougoku_kenki

【※馬の死傷と武器の効率】 ・馬の場合、致死の原因も記載しているため、武器の効率は人間の場合より明らかになる。死傷三一頭の内、四八パーセントは太刀で切られ、四八パーセントは矢で射られ、三パーセントは鑓で突かれている。この中で、三九パーセントが殺害され、六一パーセントが負傷である。

2012-06-13 20:06:46
東国剣記 @tougoku_kenki

続:武器別に殺害と負傷の割合をみると、太刀(※引用者注:切疵)=53:47、矢=20:80、鑓=100:0(しかし一例しかない)となり、武器の効率の差異は明らかである。

2012-06-13 20:07:14
東国剣記 @tougoku_kenki

【※弓矢の意外な殺傷率の低さ?】 ・武士や馬を射殺すことは非常に難しかったようで、南北朝期の軍忠状には「射殺」という言葉は五回しかあらわれない。(中略)  弓矢の殺傷率が低かったことは、以下の事例からも明らかとなる。たとえば、今川頼国が討ち死するには矢が二○本も必要であった。

2012-06-13 20:07:40
東国剣記 @tougoku_kenki

続:得田章名は「甲鎧ニ請止矢数数十手、雖有被疵、於軍忠抜群也」と誇った。矢の傷は軽く、関城を攻めた別府幸実は四月二十四日に「合戦被疵、被射通左手中指」たが、二日後にも「合戦仕」った。

2012-06-13 20:08:07
東国剣記 @tougoku_kenki

続:(中略)しかし当たった部位によっては、重傷を負う場合もあった。二度目まで軽傷だった別府幸実は、三回目に重傷を負った。「八月廿三日、合戦之時被疵被射通右足踝、矢尻折留」まったので、合戦に参加できなくなった。

2012-06-13 20:08:33
東国剣記 @tougoku_kenki

以上。もちろん死因がわからないわけですから、人間に対する本当の矢の致死率も明らかではありません。ただ、軍忠状の矢傷には二日後の合戦にも問題なく参陣できるようなものまで記載されていたことは確実です。

2012-06-13 20:09:03