山崎邦紀監督(@kuninori55)による、故・畑中純氏との思い出

まとめました。
2
Kuninori Yamazaki @kuninori55

これから30年来の友人のお通夜。告別式は明日。最近は年に一、二回会う程度だったが、よく電話や郵便をくれた。急逝されてみると、自分が意識する以上にダメージがあり、脱力が甚だしい。多くの人と顔を合わせることになるが、言うべきことは何もない。お手伝いの下働きに徹しよう。

2012-06-16 15:04:06
Kuninori Yamazaki @kuninori55

マンガ家・畑中純氏の通夜、告別式終る。火葬場で待ってる間に、喪主の元くんと話していたら「子供の頃タコおじさんとか呼んでたけど、父とどういう関係だったのか」聞かれる。タコおじさんは、わたしが時々丸坊主にしていたためだが、そうだ、わたしが畑中氏と知り合った頃、彼は赤ん坊だったのだ。

2012-06-18 11:53:48
Kuninori Yamazaki @kuninori55

『東京情報』というタウン誌の編集をしてた頃、少女マンガ好きの女性たちの協力を得て、マイナーな漫画コーナーを作った。当時『跋折羅(ばさら)』という漫画同人誌があり、畑中氏の友人の勝川克志氏が参加していたためか、畑中氏が自費出版した『それでも僕らは走っている』の広告があった。

2012-06-18 12:07:04
Kuninori Yamazaki @kuninori55

『それでも僕らは走っている』は一コマ画集だったが『跋折羅』の広告の1カットが忘れ難く、連絡を取って調布のアパートに会いに行った。すでに『話の特集』に『月夜』を発表し(77年)デビューしていたが、アパートには驚くほど大量の一コマ漫画とストーリー漫画が、発表の当てなく積まれていた。

2012-06-18 12:18:54
Kuninori Yamazaki @kuninori55

『東京情報』で毎月1ページ、一コマ漫画を連載しながら、単行本を作ろうと非力ながら動いてみた。交換広告をしていた『本の話』の発行人の目黒さん(北上次郎氏)にも見てもらったが、難しいと言う。『東京情報』もジリ貧状態で、わたしも間もなく辞めることになるが、ここから出すのは論外だった。

2012-06-18 12:31:05
Kuninori Yamazaki @kuninori55

弱ったなあと思っていたら、たまたまわたしの祖母が、何故かお金をくれた。『東京情報』を出していたのが印刷会社だったので、社内料金で印刷してもらい「東京情報・別冊」と銘打って作ったのが『ミゝズク通信』(79年)だった。作ったはいいが、配本も断られ、友人達と書店に頼んで置いてもらった。

2012-06-18 12:41:55
Kuninori Yamazaki @kuninori55

『ミゝズク通信』を作っている間に『週刊漫画サンデー』で「まんだら屋の良太」の連載が始まり、畑中氏の快進撃が始まる。一方『ミゝズク通信』はと言えば、都内の一部書店と「まんだら屋」で畑中氏を知った大阪のブックセンターからの注文ぐらいで、まことに作家に対して申し訳ないことをした。

2012-06-18 13:01:18
Kuninori Yamazaki @kuninori55

『ミゝズク通信』は、後に福岡の花書院から書き下ろしを加えて新装刊行された(96年)。帯に「甦る幻の漫画」と銘打たれているが「幻」にしてしまったのは実にわたしなのである。にも拘らず畑中氏はわたしを「一番最初に原稿の注文に来た編集者」と遇してくれた。売れたら疎遠になるのが普通では?

2012-06-18 13:17:17
Kuninori Yamazaki @kuninori55

何とか『ミゝズク通信』を宣伝しようと『ぴあ』で読者プレゼントしたことがある。作家の盛田隆二氏が、学生時代に一時『東京情報』でバイトし、卒業後『ぴあ』に就職したので、彼に頼み込んだのだ。書店に行き『ぴあ』で紹介されるから置いてくれと交渉したりもした。

2012-06-18 13:25:03
Kuninori Yamazaki @kuninori55

素人が本を売るというのは至難の業であり、わたしのもとに多量の『ミゝズク通信』が残った。未配本なので新ピカである。畑中氏から展覧会などで使うので送って欲しいと言われ、今年も送ったが、そのたびに後どれぐらいあるか聞かれ、忸怩たる思いのわたしは、笑って口を濁すばかりだった。

2012-06-18 13:33:49
Kuninori Yamazaki @kuninori55

畑中氏の葬儀で、北九州市にできる漫画ミュージアムの研究員の方に出会った。畑中氏もずいぶん協力したのだが「もしミュージアムの活動の中で使えるなら、昔の『ミゝズク通信』進呈します、百冊とかでも大丈夫ですよ」と申し出た。いきなり言われた方は面食らったろうが、活用して頂けたら有り難い。

2012-06-18 13:53:37
Kuninori Yamazaki @kuninori55

知りあいはみんなマイナー系だったので、『ぴあ』の盛田氏はわたしにとってメジャー系の代表選手だったのです。文春新書の『赤ちゃんが危ない』の時もお世話になりました。 RT @product1954 おお、なんと懐かしい、畑中純氏の『ミゝズク通信』。

2012-06-18 14:19:36
Kuninori Yamazaki @kuninori55

潮出版社から出た『良太!』を編プロ「フロッシュ」の友人達と協力して作ったこともあった。漫画やエッセイを盛り込んだ畑中純スペシャルだったが、眼目は糸井重里氏と畑中氏のロング対談。編集担当の高橋康雄さんの手配だった。多くの著書のある高橋さんだが、札幌大学教授に転じた後、亡くなった。

2012-06-18 15:16:36
Kuninori Yamazaki @kuninori55

近いうちに『 ミゞズク通信』お送りします。 RT @suikyokitan 去年ツイッターで再会したお二人と、私は同じ畑中まんだらの世界の住人だったんだな。

2012-06-19 09:16:58
Kuninori Yamazaki @kuninori55

通夜の後に、たぶん10年ぶりぐらいで彼や島本慶氏と飲みました。顔は変われど、喋るパターンは何も変わらないという一夜でした。 RT @kimoto2010 わわ!ミゞズク通信は夫から借りっぱなしで私の本棚にあります(´∀`)

2012-06-19 09:20:46
Kuninori Yamazaki @kuninori55

そうでしたっけ?『ミゝズク通信』作ることで、いろんな人と出会うことができたことを、改めて実感します。畑中氏に感謝。 RT @m_tangledtale おもえば私が最初に山崎さんにコンタクトしたのも、『ミゝズク通信』を送っていただいた時だったと記憶しています。

2012-06-19 09:32:52