國分功一郎『スピノザの方法』のインパクトとは
- sunamajiri
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サーカーは自らの哲学を宗教ではないと言います。哲学的には人類最古の哲学であるウパニシャッド哲学を継承しており、それは「万物の根源の一から分かれ無限の多が生まれた」というonenessの思想です。基本的にはスピノザやヘーゲルのすべてが神のあらわれという汎神論哲学と共通のものです。
2012-06-27 11:06:07スピノザは、観念に関しても因果連関のなかにその位置を占めると主張したわけだが、僕の立場からはそれを否定したい。全ての出来事が心的出来事だとはデイヴィッドソンならば言わないだろう。
2012-06-26 15:11:55この杉本のメルロ=ポンティの方法http://t.co/RoMU5pdX は面白い。というのは、國分『スピノザの方法』では、哲学に方法論がないこと、すなわちスピノザが、方法序説を提出したデカルトの矛盾を克服していく道が示されていたからだ。
2012-06-26 08:30:29杉本『入ること』http://t.co/RoMU5pdX では、メルロ=ポンティを読むのに、入門の方法論はないと看破する。仏門に入り内部から学ぶ道のように「語源的な意味での入門」しか「学ぶ」「方法」がないという。
2012-06-26 08:29:23まとめを更新しました。 「現象学のねちっこい変態さはお好き?」 http://t.co/n4DyqD9M
2012-06-26 06:44:25國分『スピノザの方法』アマゾンレビューhttp://t.co/jLQvVT4M 「十全な観念重視の柄谷行人と判例重視のドゥルーズの解釈の立場の相違が補完的に作用することを確認するいい機会だったのに。 追記: とにかく結論としては、本書より先に『探究2』を読むべきである。 」
2012-06-22 18:15:11柄谷行人といえば、國分スピノザの方法のアマゾンレビューhttp://t.co/jLQvVT4M で、創出的方法と創出された方法が、柄谷探求2では無限と無際限だというので、被災さに引っ張りだして呼んだが、柄谷行人はほんと鋭いな。
2012-06-22 18:13:18おお『東大話法』の安冨歩がアマゾンで國分『スピノザの方法』を「デカルトの脱構築として解釈しているが、スピノザ/ホイヘンスの非線形的世界観は、デカルト/ニュートンのそれを乗り越える上で、決定的に重要」を除いて絶賛してるな。(^-^)/ http://t.co/OvTlfhoS
2012-06-22 17:06:35何時までたってもデカルトが躓きの石になり、十七世紀に留まりつづけ、十六世紀文化革命の問題に遡行できないのであった(・_・;) http://t.co/w2kKBfoH
2012-06-22 16:44:47國分氏によるとスピノザは、言葉(観念でもよい)が物を指示する真偽の基準=標識を無限懐疑となる実在性の量として斥けて、論理的順序にとっては実在する実体が唯一であるという観念を定理8までで証明することで、デカルトの神を度外視するようなのだが。http://t.co/SpVsc3QJ
2012-06-22 16:30:56https://t.co/7XctLipm もちろんデカルトに唯物論があると思えないし、デカルト以前に無神論や唯物論、つまり懐疑論は寧ろ喧しくあったとは思うのだが、なぜそれがデカルト以降に前景化したのだろう? それほど攝津-廣松のいう17世紀の明澄説は詐術的なのかしら?
2012-06-22 16:13:24なぜ唯物論(言葉が物の原因ではないこと)は、デカルト以降固有なのかを、攝津氏のhttp://t.co/SpVsc3QJ から考えながら、デカルト省察の冒頭要約部。観念の明澄さとは何だったのだろう? http://t.co/GsKxSO3E
2012-06-22 16:03:58ちなみにスピノザは、エチカ以外は、岩波文庫も全部廃刊されてる。普通に買えない。全集もないし。それだけエチカだけが完成されてるからなんだろうけど、エチカ単体だと実はその後の西欧近代の誤読史に直結したのかもしれない。國分さんのインパクトはそんな感じ。@nakagawasun
2012-06-22 08:31:062部の『デカルトの哲学原理』が、いかに3部の『エチカ』の前史になって同定理8までを可能にしたのか、そしてそれが分かるのが一部の『知性改善論』の破綻だ、という立論だよ。スピノザの『デカルトの哲学原理』が今まで軽視されてたために、エチカの神も誤読されていた。@nakagawasun
2012-06-22 08:26:18スピノザの知性改善論と単論文も一応手許にあるけど、なくても國分さんだけで読める。でも第三部のエチカ定理8までと9以降の話はややこしすぎて、たぶん難儀すると思う。@nakagawasun そぅします。教えていただきましてありがとうございます。
2012-06-22 08:20:16たしかに読みやすいとは言える。でも第三部のエチカに入ったときは、エチカ畠中訳が手許にないと、かなり読みづらくなると思うよ。岩波文庫の定番のやつ。あれは手許にないとだめかも。第二部で扱うデカルトの哲学原理はなくてもよめる気がしたけど。@nakagawasun
2012-06-22 08:17:51@sunamajiri 実は、スピノザの翻訳本は一冊も読んでないので疑問も起こらないです。読みやすいです。(字が小さいのが難点。紙質といいbest)ひととおり、ひとまずさっと読む構えで進めてます。読みやすいです、日本語。おまけに重複して行きつ戻りつしているところが、ほぅー、と。
2012-06-22 08:14:43しかもそれ解説書ではなく、博論だから、現代思想の思想書以上に、通用している西欧哲学の概念の系譜が暗黙裡に前提されてるからねー。でもそのテクストだけで完結して読めるから、最終的には解説書になっていたけど。でも途上の解説はない(膨大な注釈はついてたが)@nakagawasun
2012-06-22 08:08:29これから攝津氏のブログの私と國分氏を論じた件を読んでみることにする(^-^)/ http://t.co/hgYsN2ma
2012-06-22 08:05:29文体も論述も読みやすいのに、概念の所在が明記されないから、え?國分さんの意見?スピノザの意見?ってなる書き方なのよね。最後で全部一体化されてわかるけど。@nakagawasun 今のところは112頁。 獲得された観念は次の観念獲得のための道具となり
2012-06-22 08:04:45國分さんのスピノザの方法をお読みになっているんですよね? それはスピノザが実体という名目を、実在性に(定理8までで)転換して、あとは神に触れないでも人のことを話せるようになる(合理性)、つまり西欧哲学における概念の解決だ、という言説でした。@nakagawasun は~ぃ。
2012-06-22 07:54:34感想。スピノザによれば、デカルトは神を対象にするために我を置いている。つまり神を思う故に我あり。このように、デカルトは神しか思っていないから、思う対象を問わずに、思っている我を述定してしまった。フッサールは、我が思っているということより、何を思っているのかを、志向性と呼ぶ。
2012-06-16 19:15:40いわゆる17世紀の問題を、一文に纏めれば、先行する実体は欺く神だった、という普遍論争の解決だったのだろう。実体という先行するものは単に欺く神(無際限に我が疑われること)だというのが、彼らの存在証明だ。フッサールも言うようにそれをエポケーできるわけではない。
2012-06-15 07:46:05