茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第638回「健康で文化的な最低限度の生活には、ひととのつながりが含まれる」
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連続ツイート第638回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日、豊中市のパーソナル・サポートセンターの方々とごいっしょしているときに考えたこと。
2012-06-28 07:39:13けひ(1)東京芸大で教えていたとき、真っ先になついてきたのが植田工(@onototo)だった。授業のあと、上野公園で飲んでいると、植田が「へい!」と言って自転車でビールとかおつまみとか買ってきてくれた。人の流れのハブとして、植田のまわりにはいつも笑顔があった。
2012-06-28 07:40:43けひ(2)その植田が、なんとか就職して、しばらく経った歳末、忘れもしない目黒のビアガーデンで、大ジョッキをぐびぐび飲んで、顔を真っ赤にして、「茂木さん、会社辞めることにしました」と言ったときには驚いたが、植田だったらなんとかなるんじゃないかとも思った。
2012-06-28 07:41:38けひ(3)植田が大ジョッキのビールをぷはーとやって、「会社辞めることにしました」と言ったときに、なぜ「なんとかなるだろう」と思ったかと言えば、人のつながりがあるから。収入がどうのこうのというよりも、たくさんの人とのつながりがあるから、その中で何とかなるだろう、と思ったのだ。
2012-06-28 07:42:44けひ(4)実際、植田は、会社をやめたあと、たくさんの人たちの間をつなぎながら、いつも「へい!」と走り回っていて、収入がどうのこうのというよりも、孤立していない。仕事も、いろいろな人が少しずつくれて、なんとかなっているようだ。人とのつながりは、人生の財産なのだろう。
2012-06-28 07:44:14けひ(5)人は、ひとりで生きるものではない。逆に、本当に困ってしまうのは、他人とのつながりが失われてしまった時ではないか。生活のためのお金は大切だが、それがすべてではない。時には、お金というものは、人とのつながりを目に見えるかたちにしたものに過ぎない。原因と結果が逆なのだ。
2012-06-28 07:45:13けひ(6)憲法は「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利があるとする。この思想に基づいて生活保護法が制定されている。お金は大事だが、そこだけに本質があるのではない。問題は、いかにして人との絆をつくるか、社会とつながっているかということ。人とのつながりがなければ、生が充実しない。
2012-06-28 07:46:58けひ(7)生活保護費という「お金」は、基準によって算定し、「支給」すればとりあえず機能を果たす。問題は「絆」。本当は、友人30人を「支給」したり、ツイッターのフォロワーを100人「提供」できればいいが、つながりは、お金と違って、単純に「支給」するわけにいかない。
2012-06-28 07:48:07けひ(8)現金は占有者が所有者となり、社会の中を流動する。一方、絆や、つながりは、育むもの。たとえ、友だちを「支給」しても関係性がなければ意味がない。「健康で文化的な最低限度の生活」が人とのつながりを含むとしても、そのつながりを育むのは心のこもった時の流れなのだ。
2012-06-28 07:49:36けひ(9)湯浅誠さんと一緒に、豊中市パーソナル・サポートセンターの方々のお仕事ぶりを見ていて、一番感じたのは以上のようなことだった。人とのつながりは支給するものではなく育むものだからこそ、パーソナルなサポートが必要となる。誰も一人で生きているのではない。友人はありがたい。
2012-06-28 07:51:10