渡邊芳之先生ynabe39の「「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。」

「いじめ自殺」が「殺人」とされないのも学校が「教育の目的で生徒の人権を制限する」ためになし崩し的に「外の法律の適用されない場」になっていることの結果。こういうことをなくすためにも「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。 学校が「治外法権」になっているのは学校が機能するためには法律が保証するような生徒の人権をある程度制限しなければならないからだが,そのことが教師や生徒の不法行為も容認するように働いてしまっているのが問題なのだと思う。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

「いじめ自殺」が「殺人」とされないのも学校が「教育の目的で生徒の人権を制限する」ためになし崩し的に「外の法律の適用されない場」になっていることの結果。こういうことをなくすためにも「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。

2012-07-04 16:50:51
渡邊芳之 @ynabe39

学校が「治外法権」になっているのは学校が機能するためには法律が保証するような生徒の人権をある程度制限しなければならないからだが,そのことが教師や生徒の不法行為も容認するように働いてしまっているのが問題なのだと思う。

2012-07-04 16:54:49
渡邊芳之 @ynabe39

そういう意味では「学校では生徒をもっと厳しく指導しろ」「生徒が自己決定権を求めるようなことはけしからん」といった意見こそが教師の不法行為やいじめの温床になっているといえる。

2012-07-04 16:56:15
渡邊芳之 @ynabe39

その際には教員の生徒に対する体罰や脅迫などもその警察官によって摘発されるようにしなければなりません。 RT @MINORANU: アメリカのように学校に警察官を常駐させればいいのに。

2012-07-04 16:58:28
渡邊芳之 @ynabe39

「いじめられる子が選択される基準がその子が持っている特徴や特性であること」はあると思います。しかしそれは「いじめられる側の落ち度や責任」ではないということ。 RT @yutakioka: いじめられる方に原因なんてないですよ。

2012-07-04 17:06:52
渡邊芳之 @ynabe39

「原則として学校も外の社会と同じ法律が適用される場です」「だから教師や生徒が法律からみて犯罪とされることを行なった場合は裁きを受けることになります」「ただし生徒の以下の権利については以下の目的および理由において制限されます」とすべきなのだが(続く)

2012-07-04 17:12:03
渡邊芳之 @ynabe39

現状では「学校では教育上の目的で生徒の権利を制限します」「その権利の制限が違法とならないために学校を治外法権とします」となってしまっている。かつその「教育上の目的」やその妥当性はまったく説明されない。

2012-07-04 17:13:55
渡邊芳之 @ynabe39

それに学校ではしばしば「なんらかの意味で強い者」もいじめられます。強いものいじめならいいのか。 RT @mirai_list: @yutakioka 私は「弱い者いじめ」という言葉を親や教師が使うのが大嫌いでした。 嫌な思いをしている側に「弱い者」という言葉をかぶせますか?と

2012-07-04 17:16:15
渡邊芳之 @ynabe39

その「子どもの間違いを許容する範囲」についても昔のような社会的同意がないし,現にその許容がこういった事件の遠因になっているわけです。教育の目的や方法も含めてもう一度議論して社会的同意を作っていかねばならないと思います。@fjhiro3

2012-07-04 17:25:01
渡邊芳之 @ynabe39

「あり得る」ではなくて多くの場合そうで「いじめるのは誰でもいい」ということはないのです。むしろ曲解するほうが問題。 RT @yutakioka: あり得るかもしれませんが、それは「いじめられても仕方がない子」がいると曲解される恐れもある考えかと思います。

2012-07-04 17:26:48
渡邊芳之 @ynabe39

極論をいえば,私にもし首がなくてそのことでいじめられるとしたら「首がないことがいじめられる原因」ということはできます。しかしそれと「首がない私に責任がある」「首がないのだからいじめられてもしょうがない」「いじめてもよい」というのはまったく別なことです。そこが混同されている。

2012-07-04 17:30:50
渡邊芳之 @ynabe39

それは「キューになる特性がそのつど違う」というだけのことで,「特性が存在しないこと」とは違います。 RT @yutakioka: もちろん誰でもいい=ランダムということはないと思いますが、その「特性」を定義することはできませんね。

2012-07-04 17:33:35
渡邊芳之 @ynabe39

その「現場で人権が守られる」根拠はなんですか? RT @ActOfGRB: 議論してみたところで、現場で人権が守られなければ何にもならないと思います。監察をするのも同じ仕事をしてきた人たちで、慣習と権威でやっている。

2012-07-04 17:38:07
渡邊芳之 @ynabe39

現実には学校の先生はそういう生徒をたたきますし,そのために生徒同士のダイナミクスを利用することもあります。 RT @Tatsuyuko: 勉強が出来る人・成績がよい人をたたき始めると、学校にとっては致命的結果をもたらしますよね…

2012-07-04 17:41:56
渡邊芳之 @ynabe39

だったら「特徴」「形状」でもなにもかまいません。「いじめの対象として選択されるキューとなる個人差がいじめられる側にあることはありふれている」「しかしそのことはいじめられる側の責任とは言えないしいじめを正当化するわけでもない」という簡単な話です。@yutakioka

2012-07-04 18:01:22
渡邊芳之 @ynabe39

だから「学校がなんの目的でどの権利をどこまで制限できるか明確にする」「そのうえでそれ以外の権利については外の世界とまったく同じように守る」ようにする以外の解決策はないと思います。@yutakioka

2012-07-04 18:15:04
渡邊芳之 @ynabe39

その人は「自分はこれで大丈夫ですか,責められたり批判されたりしませんか」と聞いているだけですからね。 RT @theuzing: やたらと「大丈夫ですか?」って聞く人は実は相手のことは考えていない

2012-07-04 18:16:00
渡邊芳之 @ynabe39

そうそう。「いじめをなくすことは不可能」ということと「いじめを放置してよい」というのはまったく違うことなのに,ごく簡単に混同されるよね。それで「いじめ撲滅」という「別種のいじめ」がはじまる。

2012-07-04 18:29:14
渡邊芳之 @ynabe39

もともと「病気や障害の分類」というよりは「ある人たちをケアの網にかけるために作られた言葉」だと思います。 RT @mirai_list: 発達障害という言葉自体が、あやふやだと思います。 そのため、多くの人が苦しみ・困惑するし、原因の解明にもつながらない。

2012-07-04 18:38:52
渡邊芳之 @ynabe39

「その特性を理由にいじめることは正義ではない」ということが社会的に同意されているかどうかでしょうね。 RT @tak_ppp: 差別の場合は差別されている人の特性に関して言及するのは普通なのに、いじめの場合は特性に言及するのが禁忌というのも不思議です。

2012-07-04 18:42:18
渡邊芳之 @ynabe39

たとえば「身体障害を理由にいじめる」ということはいまの多くの人にとって少なくともあからさまには許容しにくいことだけど,「性格が悪いからいじめる」「いい気になっているからいじめる」「みんなと違うからいじめる」というのはむしろ「社会的におおいに許容されている」わけで。

2012-07-04 18:45:05
渡邊芳之 @ynabe39

民主党ってものすごく「学校っぽい」感じがする。もちろん悪い意味で。

2012-07-04 18:54:42
渡邊芳之 @ynabe39

理由が合理的であればいじめてもいいんでしょうか。 RT @yutakioka: つまり、いじめをする方の理由なんて合理的でない場合の方がほとんどなんですね。

2012-07-04 19:15:45
渡邊芳之 @ynabe39

「いじめがいいか悪いか」は倫理の問題で,倫理の問題を合理性(だけ)で論じるのは難しいと思うなあ。合理的だけどやっちゃいけないことはたくさんあるわけで。

2012-07-04 19:18:58
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも法律は「合理性について定めている」のかという問題。私は法律は「人々がもつ倫理の最大公約数」を基盤にしていると思う。

2012-07-04 19:21:31