あのとき避難所は――おだがいさまが支えた169日(天野和彦さん)

2012年7月12日、福島大学行政政策学類の授業(専攻入門科目2クラス合同)で、天野和彦さん(うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授、元福島県職員)にビッグパレットふくしま避難所での運営支援経験をお話しいただきました。質疑を含めて、ツイートをまとめました。 天野さんは、昨年6月11日の福島大学主催シンポジウムでも、お話しされています。そのときの記録はこちらにあります。短いものですが、合わせてお読み下さい。 http://togetter.com/li/147180 続きを読む
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高橋 準 @myriel_june

今日は専攻入門科目(2年生ゼミ)で、ビッグパレット避難所の運営に尽力された天野和彦さん(当時福島県職員)をお迎えしてお話をうかがいます。

2012-07-12 14:43:56
高橋 準 @myriel_june

天野さんは現在、うつくしまふくしま支援センターにいらっしゃいます。同時に富岡町生活復興支援・おだがいさまセンターのスタッフです。「あのとき避難所は……おだがいさまが支えた169日間」というテーマでお話になります。

2012-07-12 14:49:17
高橋 準 @myriel_june

天野「おだがいさまというのは、英語にはない概念。"give and take"ではない。」「5/29の新聞に浪江に一時帰宅していた男性が自殺の記事。「商売はふるさとに戻ってから」と言っていたが、一時帰宅をするたびに『戻れない』という気持ちになったのだろうか。」

2012-07-12 14:51:23
高橋 準 @myriel_june

天野「ふるさとがなくなるということを考えてみてほしい。大事なのは『想像力』。」「富岡高校の生徒と話した。「自分には夢がある。地震の時、富岡高校は授業中で、強い揺れを経験した。教員の指示ですぐ校庭へ逃げた。机の上に教科書と鉛筆とノートを置いたままだ。」

2012-07-12 14:55:44
高橋 準 @myriel_june

天野「自分の夢とは、その教科書を自分の手で閉じて、鉛筆を自分でペンケースにしまって、ノートを片付けたい。それをするために、もう一度教室に戻ることです……彼女はそう語ってくれた。ふるさとがなくなるとはこういうことだと。」

2012-07-12 14:57:24
高橋 準 @myriel_june

天野「去年の3/13の民報朝刊。3/12の7:30の写真が載っている。富岡から避難する町民の車の列。発災直後から役場を避難所に。そこへ噂が。「東電が原発から逃げ出しているらしい。」「大熊町が避難を開始したらしい。」夜通し町役場で会議をして、町長が判断。「避難させよう」」

2012-07-12 15:02:53
高橋 準 @myriel_june

お話し中の天野さん。ちょいワルおやじ風。 http://t.co/XtC7Egdt http://t.co/pU3h1xjX

2012-07-12 16:59:19
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上のツイートの最初の写真で写っているスライドが、朝刊の写真です。富岡町から避難する人たちが乗る車が、数珠つなぎになっています。

高橋 準 @myriel_june

天野「川内村へ6000人。そのほか、いわきなどへも。困ったのは食糧。3000人の川内村に倍の人数が来たから。外から物資は入ってこない。先ほどの写真は、避難指示を出した30分後の様子。1時間に50mぐらいしかすすめない。」

2012-07-12 15:05:34
高橋 準 @myriel_june

天野「町の人は放射能の怖さをよく知っていた。だからみんな必死で逃げようと車に乗ったはず。だが、まったく前に進まない。どんな気持ちで車内にいただろう。たった一枚だけど、この写真の物語ることは多い。」

2012-07-12 15:06:51
高橋 準 @myriel_june

天野「これは去年6月の家屋と町の様子。今もそのまま。地震でいたんだ家は時間とともに崩れていく。下水道もめちゃめちゃ。インフラがやられているということ。除染すれば帰れるというのはとんでもないいいぐさ。それを一時帰宅の度に、みんな見ているということ。」

2012-07-12 15:09:22
高橋 準 @myriel_june

天野「昨年11月の富岡の様子(※動画)。道の両側は真っ黄色。セイタカアワダチソウが田んぼに広がっている。たった数ヶ月で。人が住まなくなるということはそういうことだと。海岸の景色も一変。海を見に行った人はがっかりして戻ってくる。以前の姿がないので。」

2012-07-12 15:12:46
高橋 準 @myriel_june

天野「あるおばあちゃんは薬がなくなったので、12日に病院に行った。出てきたら、町のバスが待っていた。「おばあちゃん、早く早く」というので、親切なことだなあとバスに乗ったら、気がついたら郡山だった。」

2012-07-12 15:14:51
高橋 準 @myriel_june

天野「川内へ移動したあとに、30キロ圏も避難ということに。田村も三春もいっぱいだった。中通り(県中)も震度6弱~強の地震で、大被害を受けていた。やっと3/16にビッグパレットへ。雪が降っていた。」

2012-07-12 15:17:49
高橋 準 @myriel_june

天野「ここからはわたしの話。ビッグパレットへ移る前は、相馬の避難所にいた。4/9に命令で県の災害対策本部へ。話をする幹部は、こわい表情をしていた。緊張だと思う。『ビッグパレットへいってくれないか。人が死ぬかも知れない。』といわれた。」

2012-07-12 15:20:29
高橋 準 @myriel_june

天野「ビッグパレット運営もいっぱいいっぱいだったようだ。4/11に県庁から常駐の運営支援チームが派遣された中に自分もいた。ノロウィルスが蔓延していた。秩序もない状態。4月のビッグパレットの写真が、気がついたら実はない。余裕がなかったんだと思う。」

2012-07-12 15:22:37
高橋 準 @myriel_june

天野「いたるところに人がいた。トイレの真ん前にも、二階の通路部分にも。避難者は2500人。それに対し150人が運営にいたが、バラバラで機能していない。司令塔が不在だった。」

2012-07-12 15:25:17
高橋 準 @myriel_june

天野「ついてすぐヒアリング。村や町の責任者から話を聞いてたら、震度5強の余震。建物がくずれると思った。おさまってから「避難経路図は」と訊いたら「ありません」。名簿もない。驚いてまじまじと相手の顔を見たら、ひどく疲れた顔をしていた。怒鳴る前に『休んでますか?』と訊いていた。」

2012-07-12 15:29:16
高橋 準 @myriel_june

天野「4日働いて1日休むシステムだが、「休んでいられません」。職員も被災者なのだと痛感。バラバラな動きをしているのを、県庁の支援チームが指揮をとって統括。それを皮切りに様々な取り組みをしていった。」

2012-07-12 15:31:55
高橋 準 @myriel_june

天野「女性の問題。着替える場所がないという訴えがすぐにあった。「毎日恥ずかしい思いをしている。」段ボールの間仕切りがやっとある状態。災害が起きて始めて問題が起きるのではなく、地域が抱えていた問題が顕在化する。そもそも女性の人権が重視されてこなかった。」

2012-07-12 15:33:35
高橋 準 @myriel_june

天野「女性の専用スペースを設置。リラックスできて楽しい空間として。男性は入れないので、別れた夫と顔を合わせるなどということもない。」

2012-07-12 15:35:32
高橋 準 @myriel_june

天野「ほかに、おだがいさまFMと畑しごと隊。後者は、体を日常的に動かさなくなって、体をこわす人が出てくる、それに対応するために作った。これら3つは、避難所と専門機関との協働という共通点。」

2012-07-12 15:37:07
高橋 準 @myriel_june

天野「女性専用スペースは県男女共生センターの運営。さらにそこからNPOなどの支援。FMはふくしまFMの支援。畑しごと隊も同じ。」

2012-07-12 15:38:23

終わってから、「畑しごと隊の話をもうちょっとしたかったですね」と天野さん。地域とのつながりを含むから。

高橋 準 @myriel_june

天野「女性専用スペースのポスター。すぐセンター職員が作ってくれた。貼りに行こうとすると止められた。大勢の人の目に触れるところに貼ると、必ず男性がやってくるから。女子トイレの個室の中に貼ることに。こういうことは専門家でないとできない、大事な気配り。」

2012-07-12 15:41:32